なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。
メッセージ
<創世記 9章1~17節>
信徒:K
開会聖句
互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります。
<ガラテヤ人への手紙 6章2節>
メッセージ内容
Youtube動画
今週の動画公開はありません。
メッセージ原稿を公開しました。
はじめに
雨上がりの晴れた空に、虹を見つけると、多くの人はうれしくなります。珍しい、綺麗、不思議だからでしょう。虹は見る人を幸せにしてくれます。私は「虹」と言えば、思い出す歌があります。「OVER THE RAINBOW」(虹のかなたに)という曲。Somewhere over the rainbow way up high There’s a land that I heard of once in a Lullaby どこか虹の彼方の空高くに、夢の国があると子守歌で聞いたわ 「オズの魔法使い」というアメリカ映画の中で、カンザスの農家の娘ドロシーという少女が歌って大ヒットしました。今もスタンダードナンバーとして、多くの人に歌いつがれていますから、皆さんも聞いたことがあるでしょう。
聖書を知る人にとっては、虹は洪水を生き残ったノアたちに、神さまが与えられた契約のしるしです。レインは雨、ボーは弓。これは弓矢の弓です。神さまが人間に対して武器を手放した、放棄した、「もう二度と洪水で人を滅ぼすことはしない」という契約です。船の中で、大洪水の恐怖を経験したノアたちと生きものにとって、神さまの約束である「虹のしるし」は、これから地上で安心して生きていくための、必要な保証であったと思います。今日はこの「ノア契約」について読んでいきます。この契約の役割と、内容について。
Ⅰ,ノア契約は、再創造を支えるためのもの
前回は洪水の終わったところまでの話でした。洪水は人間の悪に対しての裁きでした。「人の悪が増大し、心に図ることがいつも悪に傾き、地に暴虐が満ち、すべてが道を乱していた。」そこで、神さまは心を痛め、人を造ったことを後悔し、すべて滅ぼそうと決心されました。そこで洪水ですが、雨が降り始めて150日間も水が増え続けたという洪水でしたが、それは経験したことのない大洪水だったというより、創世記1章で、神さまが秩序をつくって、この世界を生きものの住処にされたけど、その秩序をご自分で破壊し、はじめの混沌カオスの世界に戻そうとしたということです。そして箱船のメンバーによってもう一度造り直そうと考えられました。
8:1「神は,ノアと彼とともにいた・・・を覚えておられた。神は地の上に風を吹き渡らせた。・・・」
神さまの風で、混沌はストップされました。(出エジプト14:21)
もう一度造り直そう。再創造です。しかし、問題がありました。またくり返しになってしまう。なぜなら、人は変わらないからです。たとえ、洪水のような恐怖を経験したとしても、人間の本質は変わらない。これが、神さまの人間への評価でした。私たちはよく「もうしません」「二度とやりません」と言って、固い決心します。心を入れ替え、本気で決心するのですが、喉元過ぎれば熱さを忘れるのが人間です。旧約のイスラエルの歴史はその繰り返しでした。
ここで、神さまは、「心に図ることがいつも悪に傾く」どうしようもない人間を、もう滅ぼさないと決心されます。神さまの方が譲歩され、変わられたのです。
21節「・・・『わたしは、決して人のゆえに・・・滅ぼすことは決してしない。』」
「決して」が二度繰り返され、その理由は「人の心が思い図ることは、幼いときから悪であるからだ。」滅ぼしたのと、まさに同じ理由で、滅ぼさないと決心されます。続く
22節「この地の続くかぎり、種まきと刈り入れ・・・昼と夜がやむことはない。」
もう、創造の秩序が破壊されることはないということ。21~22節は芳ばしいささげ物の香りをかがれた神の心の声です。人間を愛しておられるんですね。
聖書の神さまは、人間との関わりを持ちたい神です。「アバ父よ」、と私たちが話しかけるのを楽しみにされています。関係を持つのは、何のためかと言うと、相手を知るためですが、でも不思議ですね。神さまは全知全能、設計者なんだから、人間のこと何でも知ってるでしょ?それもそうです。でも、知るとは情報を得ること以上のものです。それは関わることで分かってきます。人間の親子関係に似ています。親は我が子のことは全部わかっているとよく思い込んでいます。私の子やから。でも違いますね。親だから子のことが全部わかるは嘘です。確かに、子どものこと、たくさん知ってます。でも、子どもは違った人格を持ってます。どんなに小さくても、1人の人間として関わってはじめてわかることがあるのです。
神さまはアダムからノアの時代までの人間と関わって、人間を知ったんですね。知っていたけど、もっと知ったんです。それで、人間に変わることを求めるのではなく、ご自分の考えを変えて人間を支え、守るようにしよう。悪を滅ぼすのでなく、悪から人を救いだそうと、決心されました。このように、ノア契約は、再創造を支えていくものになります。
Ⅱ,ノア契約は、悪に傾く人への配慮
9章に入ります。1~3節は創世記1章の「生めよ。増えよ。地に満ちよ。」という人類への祝福のことばが焼き直しされたもので、プラスαがあります。
2節「あなたがたへの恐れとおののきが、・・・海のすべての魚に起こる。・・・」
地上の管理の仕事も、同じく継続されていますが、管理される側の生き物に人への恐れとおののきが与えられるので、以前よりも、それがしやすいようになっています。更に、2つの許可令が付け加えられています。
契約ということばは、9節以降にでてきて、ノアと子孫に、すべての生きものに対して結ばれます。もう一度契約内容の確認が11節にあり、続いて
「契約のしるしとしてわたしは虹を立てる。わたしはそれを見て、この契約を思いだす。」
という神のことばがありますが、2つの許可令は、3~6節にある肉食と死刑制度のことです。
「生きて動いているものはみな、あなたがたの食物となる。・・・」
創世記1章では、人間も動物も草食ですが、ここで人間には肉食の許可がおります。おそらく、動物の肉を食べることは、すでにあったと思われます。ある本には、人の残虐性を考慮してとありました。許すけど、血のあるままでは駄目。血はいのちだからと、生きもののいのちの尊厳が強調され、制限がかけられます。また
6節「人の血を流す者は、人によって血を流される。」
これは死刑制度の容認です。人間の復讐心は際限ないので、ルール化することで、行き過ぎを押さえたのだと考えられます。神さまは、悪に傾く人間の弱さ、残虐性、暴力性を知って、再創造に際して、この2つのルールを加えられたのでしょう。ノア契約の内容は、悪に傾く人間への配慮と言えると思います。
聖書には契約がいくつか出てきます。ノア契約の特徴は、イスラエル民族にでなく人類に対しての契約ということです。ならば、私たちも該当するのでしょうか。ベジタリアンの人に、肉食べてよいと書いてあるとか、死刑制度を神さまは認めているとか、私たちがここから言えるのかという問題です。それはノーです。聖書は書かれた当時の読者へのことばですから、新約聖書はどう言ってる、現代の常識はどうなのかを照らし合わせることが必要です。聖書は私たちの生活の基準ですが、聖書の時代と現代をつなぐものが要ります。それが、よく言われる神の価値観、考えです。私たちはノア契約から、神さまが悪に傾く人間とどう関わろうとされたのか。人間を知って、愛想を尽かされたのでなく、その傾向、弱さに考慮して、新しいスタートを支えようとされた神の価値観に心にとめたいと思います。
今日の開会聖句は、ガラテヤ人への手紙6章2節
「互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります。」
ガラテヤ書はパウロの宣教初期の手紙です。キリスト教が生まれたてで、パウロの教え育てた群れに、ユダヤ教の律法遵守の教えが入り込んできました。ガラテヤ教会は混乱します。救いはキリストを信じて、否、律法守ることも必要、どちらなの?危機感を感じたパウロはこの手紙を書きました。パウロ自身は頭のてっぺんからつま先まで、パリサイ人です。ユダヤ人が律法を守るのは当たり前!しかし、彼は律法を守る習慣のない異邦人のことを思い、考えを新しく変えました。ユダヤ人の律法を守らなくていい。イエスキリストを信じるだけでいいと、言い切ります。イエスさまが人間の弱さを負って、十字架に至る生涯を歩まれたから、イエスを主と信じるだけでいい。そして、イエスさまがされたように、私たちは「互いの重荷を負い合う」という生き方をしよう。それこそが、新しいキリストの律法(生き方)ですと教えたのです。
終わりに
神ノア契約は、悪に傾く人間に配慮された契約でした。おかげで、再創造に始まった救いの歴史は、今に至るまで続いています。私たちも、人の弱さ、足りなさへの思いやりを忘れずにいましょう。互いの関係を大切にし、祈りあい、助け合いたいと思います。
#57-2992
Comments are closed