なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。
メッセージ
<創世記 9章19節~10章32節>
信徒:K
開会聖句
神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました。
<使徒の働き 17章26節>
メッセージ内容
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はじめに
今日も、聖書から神さまの素晴らしさを味わいたいと思います。前回は虹の話でした。洪水の後、神さまはノアと契約を結ばれます。「もう滅ぼさない」という契約。大洪水は大雨と大水によってでしたが、原因は人の悪でした。神さまは地上を乱している人間の様子を見て心を痛め、全部滅ぼそうと決心されたのです。ですから、この洪水は人の悪に対しての神の裁きでした。 しかし、神さまは「もう滅ぼさない」と心を変えられます。人間は自由意志を与えられましたが、それがどうしようもなく悪に傾くことを知られたからです。そこで、その自由意志を取り上げることもできたかもと思うのですが、そうはされず、ご自分の方が大きく譲歩されました。それが、「もう滅ぼさない」で、虹は「もう人間に弓は引かない」というしるしでした。神さまは再び、世界を作り直します。もう滅ぼすことなしに。
ここまでが前回ですが、では悪の問題をどうされるのか?放置?ノー。人を滅ぼすのではなく、人を悪から救おうという救いの計画が始まります。それは究極的にはイエスさまのことですが、最初の選びはアブラハムです。人類の救いの計画はまず一人の人、12章のアブラハムの選びから始まります。今日はノアからアブラハムをつなぐ途中の話です。ノアの契約から始まる再創造、神の救いの計画はどのように進んでいくのか。主題は「再創造はどう進んでいったのか」。その進み具合を広いと狭いの2つの観点から見ていきます。
Ⅰ.再創造は「生めよ、増えよ」の祝福通り、諸国の民に広がっていった。
今日の聖書箇所は系図が含まれて広範囲です。ここは広い観点の話です。虹の契約の後、
18~19「箱船から出てきたノアの息子たちは、セム、ハム、ヤフェテであった。・・・全世界の民が分かれ出た。」
という文章で始まり、ノアが酔っ払った話を挟んで、10章で3人の息子たちの系図になります。
10:1「これは、ノアの息子セム、ハムヤフェテの歴史である。・・・」
以前にも長い系図がありましたね。洪水前の系図(セツからノア)で、それとは書き方が違います。前は「○は何歳で○を生んだ。それから何年生きて○○を生んだ。○の全生涯は何年だった。」というパターンでしたが、10章はたくさんの名前と地名ばかりです。でも、9:28,29をよく見ますと、ここも系図のよう。実はここは前の系図の続きなのです。前の系図は
「ノアは・・・生んだ。」(5:32)
と完結してません。洪水の記事を挟んで、ここで本当にセツからノアまでの10代の系図が完結し、ここからが新しい時代になっていきます。
10章は「諸国民の表」と言われ、こういうふうに、人類が増え広がったと書いてます。最初は2~5節のヤフェテの子孫のことです。「これから島々の国民が分かれ出た・・・。それぞれの地に言語ごとに、氏族ごとに・・・国民となった。」「地図で学ぶ聖書の歴史」を見ると、なるほど島が多い地方です。そして、ヤフェテの記事はとても短いですね。資料がなかったのか、或いは聖書に登場しないので、関心がなかったと考えられます。
6~20節がハムの子孫で、記事の量は多いです。旧約聖書に多く登場し、文明を発展させた人たちとして描かれます。8節のニムロデは地上初の権力者で、10節で彼の王国が始まります。「進出」「大きな町」などの単語は、神さまが洪水で地上の生きものを全滅しようとされた悪の様子を思い出させます。それは、権力によって強いものが弱いものを支配するという暴虐が地に満ちていたからでした。また、多くの氏族が生まれています。ペリシテ人、アモリ人も。際だって、ハムの子孫が増え広がり、繁栄したことがわかります。生き生きとした系図ですが、自分の力により頼む人たちが地上で、再び繁栄していくことで、また地上に悪が繰り返されることが予測されます。バベル、シンアルという地名がそうです。
セムの子孫の24~25節「アルパクシャデ、シェラフ、エベル、ペレグ」の名は、ルカ3章のアダムに至るイエスの系図にも出ています。このセムの家系からアブラハムが生まれます。
最後の32節は、こうしてノアの3人の息子によって諸民族が広がったことのまとめです。10章の系図は、創世記の「生めよ,増えよ、地に満ちよ」という神さまの祝福が、途中、それが実現しないという洪水の危機を乗り越え、「もう滅ぼさない」という契約と再び繰り返された
「生めよ、増えよ・・・」(9:26)
の約束と合わさって、神さまの祝福の通りに、人類は増え広がりましたという神の祝福の実現を表わしています。広い観点から見た再創造は、神の祝福のとおりに、地上に諸国民が広がったことです。
Ⅱ.再創造はアブラハムにつながるセツの選びに進んでいった
では次は狭い観点からということになりますが、9章に戻ります。ここはノアの失敗談として有名です。20~24節を読みますと、ノアは洪水のあと、農夫になり、ぶどう作りをするのですが、そのぶどうからできた葡萄酒を飲んで、天幕で酔っ払って裸で寝てしまうのです。それを息子のハムが見て、セムとヤフェテに告げます。彼らは父の裸を見ないように後ろ向きに歩いて行って、父の裸を上着で覆いました。酔いから目が醒めたノアはハムの行為を知って、激怒し、呪ったという話です。私は酔っ払ったらそんなことあるあるという感じで、模範的な信仰者のノアだって、そんなことあるんだと微笑ましいぐらいですが、これがこの兄弟の今後を決めることになっていきます。なぜ、ノアがそこまで怒ったのか、ハムを呪うことまでしたのか、色々な理由が憶測されてきました。単純に親の恥をカバーせず、告げ口したことだろうか、裸ということばが繰り返されてるので、何か性的なことだろうかと。
本当のことわからないのですが、見落とせないのは、このことが理由で、ハムが退けられ、セツから始まった主の御名を呼ぶ家系にノアの次にセムが選ばれていったことです。面白いことに、25~27節のノアの発言を見ると、
「彼は言った。『カナンは呪われよ。兄たちのしもべのしもべとなるように。』また言った・・・神がヤフェテを広げ、彼がセムの天幕に住むようになれ。カナンは彼らのしもべとなるように。」
と、3回も「兄弟たちのしもべとなるように」が繰り返されているのですが、不思議なことは、その対象は息子のハムでなく、その子カナンなんです。全く関係ないのに。22節「カナンの父ハム」を見ると、この話の最初から、カナンという名が使われています。それは、ハムではわかりにくいが、カナンという名なら、この民族がどういう民族かが読者(ユダヤ人)にとって、わかりやすいからだと思います。彼らはイスラエルと敵対関係になっていく民族です。ノアがハムではなくカナンを名指しで呪ったことは、カナン人がそうされてしかるべき民族だということを匂わせているのです。旧約聖書はイスラエル民族の歴史で、背後に神さまの導きがありますが、書いたのは人間です。ですから、ここで「しもべとなれ」と呪ったのはノアであって、神さまではないことは見落としてはいけないことです。確かに神様はイスラエルがカナンの風習に染まることをひどく嫌いましたし、エズラ記では、異国人の妻と強制離婚もさせていました。でも、あれは捕囚後の民族の再建という特別な状況での出来事でした。
セムが選ばれ、カナンが不名誉な立場に置かれることになりましたが、セムの選びはやがてあらゆる民が1人の人の選びによって救われるという再創造の計画のワンステップでした。このように、狭い観点から再創造は、セムを選ぶことによって進められていきました。
終わりに
今日の開会聖句は
使徒17:26~27「神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました。」
これはパウロのメッセージの一部ですが、神さまが始められた再創造は、多くの時代を経て、地球上のすべてに広がりました。そして、1人の人イエスキリストによって、人を悪から救うという計画も実現しました。パウロも私たちも、それを伝えるために召された者です。
今日の、2つの観点の話から学べることは、神さまの働きは素晴らしくて、大きくて、測りしれないことです。しかし、そう知ってはいても、私たちは目先のことにいつも振り回され、元気を失い、不満も言います。日々のみことばでは、エズラに続いて同時代のハガイ書が取り上げられ、神殿建設のことが書いています。そこには、なんとか頑張って神殿は再建できたけど、そのみすぼらしさに落胆した人たちのことを、「彼らは目に見えるみすぼらしい現実だけを見て、目に見えない時空を越えて働かれる神の栄光を見ることができなかった。」と書いていました。目の前の現実しか見ていないなら、私たちも同じだと思いました。私たちは互いに信仰を励ましあって、神さまが今も知らないところで働かれていることと、私たちと共にいて働いてくださっていることに、目を向けていきたいと思います。
#57-3000