なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。
メッセージ
<創世記 6章9節~8章22節>
信徒:K
開会聖句
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、不正を喜ばずに、真理を喜びます。
<コリント人への手紙第一 13章4~6節>
メッセージ内容
Youtube動画
今週の動画公開はありません。
メッセージ原稿を公開しました。公開が遅れて申し訳ありません。
<はじめに>
梅雨が早々と終わり、7月は体温超えの高温になりました。気候が今までとは違ってきて、雨の降り方にも変化を感じます。線状降水帯が度々発生し、あまりの降り方に恐怖を覚えることがあります。ノアのときって、こんな丼鉢をひっくり返したような雨が40日も続いたのだろうか。大雨の後は、氾濫とか山崩れ、命にも危険が迫ります。でも私はそれがさばきとか罰のようなものであるとは思いません。なぜなら、神さまがそれはもうしないと約束されたからです。
ノア物語は有名で、図書館の絵本コーナーで、あるお母さんが「これは神さまが洪水で悪い人を滅ぼす話よ」と子どもに言っているのを聞いたことがあります。そばにいた私は、「それはまだ話の半分です」と言いたかったです。これでは、悪いことしたらお巡りさんに捕まるよみたいな話。子どもに神さまは怖いというイメージを植え付ける話になってしまうからです。しかし、このノアの洪水が神の裁きであることは、そのとおりです。神さまは愛の方であるけれど、悪に対しては決着をつける方です。ただ、この話の大切なところは、人の悪に対して「滅ぼす」というさばきをされた方が、この後、変わられたことです。今日の主題は「人の悪」です。その問題に対して,神がどう対処しようとされたのか、その変化を見ていきたいと思います。
I.人の悪に対して神はどうされたか―さばき
神様が地上のすべての生きものを滅ぼしてしまおうと一大決心をされたのは、人の悪が原因でした。アダム以来の人間の罪に対しては、今まで恵みをもってカバーしてくださってましたが、ここに至って、許容範囲をオーバーしてしまいました。人が増えて、地上はどうなったか?天地創造1章の最後は
1:31「神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常によかった。」
ですが、
6:12前半は「神が地をご覧になると、見よ、それは堕落していた。」
地上の様子が対比して書かれ、「非常によかった」が「堕落していた。」となってます。原因は、
12後半「すべての肉なるものが、地上で自分の道を乱していたから」
で、神の代理として地上を管理する人間の悪が原因で、地上には暴虐が満ち、堕落していました。
13節からは神様が一方的にノアへ語りかける場面です。
13節後半で、「見よ、わたしは彼らを地とともに滅ぼし去る。」
という神様の決意が伝えられてます。ノア物語ではノアのセリフは一言もなく、彼の評価だけが書いてあります。
6:8「ノアは主の心にかなっていた。」
6:9「ノアは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった。神とともに歩んでいた。」
素晴らしい評価ですが、ノアが罪を犯さない聖人君子ということではないでしょう。実際、後で失敗をやらかします。正しいとか,全き人とは神との正しい関係を持っていることだと思います。新約の私たちは今イエスさまによってそうですし、旧約時代には犠牲制度によって、神に近づくことができました。ノアの時代は、主の名を呼ぶ、主の名で祈ることがそうだったと考えられます。
ノアに命じられたことは箱船をつくって、家族とすべての動物の一部を乗り込ませ、洪水ですべてを滅ぼす間、そこに避難生活をすることでした。箱船のサイズは小学校のプール位の敷地に上に30階建ての高さの建物を横にしたくらい。箱の形。大水に耐えれるように細かく指示がある。そして、7,8章が洪水の様子です。結構長くて、数字がでてきてややこしい。その理由として、2つの記事が混ざっているからと考えられます。 7:7節と13節に、ノアと家族と動物たちが箱船に入った記事がありますが、それは一回のことでしょう。 乗り込んだ動物の数ですが、6:19~20では2匹ずつでの雄雌。7:2、3ではきよい動物は7つがい、きよくないのは1つがい。どっちが本当?
7:11~12節では「大いなる淵の源がことごとく裂け、天の水門が開いた。」
「大雨は40日40夜降り続いた。」
と
7:24「水は150日間、地の上に増し続けた。」
はどう考えたらいいの? 大水の原因「大いなる淵の源」とか「天の水門」てどういうこと? 創世記1章でははじめに大水と闇があって、神さまが光をつくって時間という秩序を定め、次に大空をつくって、水を上下に分けられました。上の水は空のドームの上に、下の水は陸と海に分けられました。こうやって、生きものが住まう空間の秩序が完成していったのですが、11節の記事はその秩序が破壊され、また世界が再び原初の世界に戻ったことを表わしています。そこはいのちが生まれず、育たない世界でした。人の悪に対して神がされたのは、全部滅ぼして再び混沌にというさばきの方法でした。
II.人の悪に対して―救いと契約
しかし、いつもさばきのあるところに恵みがあります。今回はノアの選びが恵みです。箱船で生き残ったメンバーによって、もう一度地上世界を作り直します。リセット、再創造というわけです。しかし、これで人の悪の問題は解決するでしょうか。また繰り返す可能性は大です。現に、聖書はノアから増えた人間が、神をたたえるのではなく、自分たちのための名をあげるために、バベルの塔を建てようとしたことを記しています。洪水の恐ろしさを経験したノアたちは、しばらくは神さまとの関係を大事にするでしょう。でもそれは恐怖による支配であって、神の願っておられる関係ではありません。「悪いことしたら、神さまに洪水で滅ぼされる」みたいに。
こういう堂々巡りの人の悪の現実に対して、神は
8:21~22「わたしは、決して再び人のゆえに、大地にのろいをもたらしはしない。人の心が思い図る事は・・・。」
と決心され、9章でノアと契約を結ばれます。神さまは人間にこれからはもっとちゃんとやれとか、反省しろとか要求してない。ただ、神さまの方がもう人の悪のゆえに、あなたたち生きものを滅ぼすことはしないと約束されました。大きな神さまの譲歩だと思います。人の悪に対して、全部滅ぼすことは今回限り、これからは、契約によって、悪に苦しめられる人々を救出し、リセットするという方法に変えられます。そのことが、ノアの家系からセムが生まれ、セムの家系からアブラハムが生まれ、イエスキリストにつながっていくイスラエル民族の長い歴史において見られます。旧約にはいくつかの契約があり、神がそれらに忠実であることで、イスラエルは危機から救われました。今の私たちは、
コロサイ1:13「御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。」
イエスさまとの新しい契約によって、すべての悪から救い出されています。
ノア物語は、神がご自分を変えられた話です。しかし、聖書にはこうありますね。
「イエスキリストは昨日も今日もとこしえに変わることがありません」(ヘブル12:8)。
「しかし、主のことばは永遠に立つ(変わらない)」(Ⅰペテロ1:25)。
神は移り気な人間のように変わることがない、それが私たち人間の側が神さまを信頼する理由です。しかし、神は人間との間に信頼関係(契約)を結び、育てていきたいがゆえに、ご自身を変えられます。人を愛するという目的のためにご自身を変えられるのです。
<おわりに>
今日の開会聖句は
第1コリント13:3~6「愛は寛容であり、親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、不正を喜ばずに、真理を喜びます。」
神さまの愛として有名です。よく「愛」を「私」に読み替えて、と勧められたりします。恥ずかしくなって、自分がいかに愛に足りないものであることを自覚するのですが、じゃあ、あなたは駄目ね、失格ねと、そう教えるものではありません。
ここは愛の具体例。人を愛するって、こういうことですよと、教えてくれています。背景には、活発なコリント教会の姿があります。自分の賜物を自慢する人たちがいて、どの賜物が上かを競っていたようで、一方では、自分にはそんなものはないと卑下する人もいました。そんな状況の中で、パウロは賜物は聖霊がくださるもの、そこに優劣はないこと、全ての人に与えられていること、それは教会というキリストのからだのためにあることを説明します。私たちの想像以上にはっきりとした違い、様々な背景を持つ人がいたと思います。そんな人たちが一つのキリストのからだになるためには、こういう風に、自分を変えなさい、これが愛ですよと、パウロは説くのです。それは決してなくならなくて、最高の賜物だから、それを追い求めなさいとも。
人への愛のために、神はご自分を変えられました。私たちも、人への愛のために、人を変えるのでなく、自分が変わることが求められる場合が多くあるのではないでしょうか。
新聖歌
開会祈祷後:新聖歌20番、メッセージ後:新聖歌146番
聖書交読
詩編133篇 1~3節
2025年教会行事
7月30日(水)オリーブ・いきいき百歳体操 10時~11時
#57-2983
Comments are closed