なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。
メッセージ
<ゼカリヤ書 4章1~14節>
牧師:砂山 智
開会聖句
彼は私にこう答えた。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は言われる。
<ゼカリヤ書 4章6節>
メッセージ内容
Youtube動画
メッセージ動画公開:8/16 PM 9:24
メッセージ原稿を公開しました。
・本書は預言者ゼカリヤに啓示された預言が記されていることから、「ゼカリヤ」と呼ばれています。内容的には前半と後半の大きく二つに分けることができます。1~8章ではゼカリヤと同じ時代の人々に直接かかわるメッセージが幻を通して示され、9~14章では未来に関する預言、終末の出来事が示されます。また、使われている文体も、前半と後半ではっきりと違っています。前半は散文体で、後半は詩文体で書かれているそうです。散文体とは、小説や評論のように、5・7・5の韻律や句法にとらわれずに書かれた文章で、詩文体とは、言語の表面的な意味だけでなく美学的・喚起的な性質を用いて表現される文学の一形式です。その文体の違いは、恐らく、先程、述べた、前半と後半の内容の違いと関連しているのではないかと思われます。
ゼカリヤが初めて啓示を受けたのは、冒頭に記されている通り、
『ダレイオスの第二年、第八の月』(ゼカ1:1a)
で、その日付が記されている最後のものは、
『ダレイオスの第四年、第九の月』(同7:1a)
までです。このダレイオス(一世)とは、あのペルシアのキュロス王の三代後の王です。キョロス王が亡くなった後、後継を巡る争いがあり、政治的な混乱が続いていたペルシアでしたが、ダレイオスが王に即位して、その争いもようやく収まり、中断していたエルサレム神殿の再建工事も再開されることになります。先程の1章と7章にあった日付は、その工事再開の二か月後から、神殿完成の半ばまでということになります。ゼカリヤと同じ時代の預言者として、「ハガイ」のハガイをあげることができますが、ハガイは召しを受けた時点で既に高齢でしたので、その後を若いゼカリヤが引き継いだ形になったものと思われます。ですから、ハガイの活動期間が僅か半年ほどであるのに対して、ゼカリヤの活動期間は50年にも及んでいます。また、ゼカリヤは、少し前のエゼキエルやダニエルと同じように、多くの幻を通して神からの啓示を受けています。ですので、彼もまた「幻を見る預言者」と呼ばれています。
<本論>
1.八つの幻
今朝のテキストに入る前に、「エズラ」5章1~2節、そして6章14~15節を見ておきたいと思います。
『さて、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤという二人の預言者は、ユダとエルサレムにいるユダヤ人に対して、自分たちの上におられるイスラエルの神の御名によって預言した。そこでシェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアは立ち上がり、エルサレムにある神の宮を建て始めた。神の預言者たちが一緒にいて、彼らを助けた』(エズ5:1~2)。
今、読んだ中に出て来たゼルバベルとは、ダビデ王直系の子孫で、神殿再建の指揮を執るためにペルシアから遣わされた総督であり、ヨシュアは大祭司でした。
『ユダヤ人の長老たちは、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの預言を通し、建築を行って成功した。彼らはイスラエルの神の命令により、またキュロスとダレイオスと、ペルシアの王アルタクセルクセスの命令によって、建築を終えた。こうして、この宮はダレイオス王の治世の第六年、アダルの月の三日に完成した』(同6:14~15)。
少しご説明しますと、第二神殿の大部分はダレイオスの治世に出来上がったと思われますが、細部までの工事は次のアルタクセルクセスの時まで続いたと思われます。実は、ダレイオスの時代になって工事が再開されるまで、約18年もの間、工事は中断していたんです。その主な原因はサマリア人による妨害でした。彼らは、ユダヤ人と血縁関係にありましたので、バビロンから帰還したユダヤ人たちが神殿を再建しようとした時、協力を申し出ます。しかし、ゼルバベルとヨシュアはその申し出を断ったのです。それで彼らは腹を立て、ペルシア王にユダヤ人を誹謗中傷する告訴状を書き送って、工事を妨害します。けれども、神は、そのことによって意気消沈するユダヤ人たちを励まし、再び立ち上がらせるために、二人の預言者を遣わされます。それが、ハガイとゼカリヤだったというわけです。そして、ゼカリヤには八つの幻を通して民へのメッセージが示されます。1章7節から6章8節までですが、今朝、読んでいただいた4章は、その五番目の幻になります。
2. 金の燭台と二本のオリーブの木
この時、ゼカリヤは夢うつつの状態だったみたいですが、そんな彼を御使いが起こして一つの幻を見せます。それは金の燭台と二本のオリーブの木の幻でした。皆さんもユダヤの燭台(メノーラー)はご覧になったことがあると思います。教会でもクリスマスの時期に飾られたりしますが、この時、示された燭台は、それとは、ちょっと違っていたみたいです。2節後半には
『その鉢の上には七つのともしび皿があります。この上部にあるともしび皿には、それぞれ七本の管が付いています』
とありました。とても不思議な形状です。7×7で、全部で49の燈心があったということになりますが、それは、その燭台の非常な明るさを表したものと思われます。そして、そのそばに、右と左に二本のオリーブの木があった。これは燈心が燃え続けるのに必要な油を供給するためでしょう。ゼカリヤは、この不思議な幻の意味が分からず、御使いに尋ねます。「主よ、これらは何ですか。」その問いかけに対する答えが、6節以下、今朝の開会聖句です。その後の10節まで、もう一度お読みします。
『彼は私にこう答えた。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は言われる。大いなる山よ、おまえは何者か。おまえはゼルバベルの前で平らにされる。彼がかしら石を運び出せば、『恵みあれ。これに恵みあれ』と叫び声があがる。」また、私に次のような主のことばがあった。「『ゼルバベルの手がこの宮の礎を据えた。彼の手がそれを完成させる。』そのときあなたは、万軍の主が私をあなたがたに遣わされたことを知る。だれが、その日を小さなこととして蔑むのか。人々はゼルバベルの手にある重り縄を見て喜ぶ。これら七つは、全地を行き巡る主の目である。」』(ゼカリヤ4:6~10)。
この一つ前の3章では大祭司ヨシュアへの幻が示されていますが(神学生時代の思い出)、今朝の4章は、総督ゼルバベルへの幻です。ですから、そこで示された二本のオリーブの木とは、最後の御使いのことばの通り、二人の油注がれた者、つまり、ゼルバベルとヨシュアを指しているということになるでしょう。
<結論>
この油注がれた者とは、皆さんもよくご存じのように、後にイエス・キリストを指し示す呼び名となります。イエス・キリスト(ギイエスース・クリストー)のキリストは「救い主」という意味ですが、本来のことばはヘブル語の「メシア(油注がれた者)」で、そのギリシア語訳が「クリストー」です。今朝のゼルバベルとヨシュアは、もちろん救い主ではありませんが、神の働きのために特別に選ばれた器という意味で、油注がれた者と呼ばれたのですね。その油注がれた者が神の働きをする際の大原則が、今朝の開会聖句の『』の中のみことばによって示されています。「新共同訳」と「岩波訳」は、このみことばを、「武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって」と訳しています。原語のヘブル語の意味からすると、その方が直訳に近いそうです。武力や権力とは、人間が究極的に求める力を表しています。けれども、主は、わたしの働きは、ただわたしの霊によって成し遂げられるのだと言われたのです。私たちも、ただ主の霊によって、主の業に励んで行きたいですね。
会衆讃美
開会祈祷後:新聖歌399番、メッセージ後:新聖歌435番
聖書交読
詩編135篇 1~12節
2025年教会行事
今週の集会はお休みです。
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