なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。
メッセージ
<創世記 1章1~5節>
牧師:砂山 智
開会聖句
「闇の中から光が輝き出よ」と言われた神が、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせるために、私たちの心を照らしてくださったのです。
<コリント人への手紙第二 4章6節>
メッセージ内容
Youtube動画
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メッセージ原稿を公開しました。
<序論>
・明けましておめでとうございます。今年のお正月はいかがだったでしょうか?今朝は「創世記」からです。
1.みことばは人々を変革する
私の母校、同志社には「College Song」「同志社 大学歌」等々、何曲か歌があるんですが、その中の「同志社 校歌」の一番は次のような歌詞で始まります。
「天地は神の創作と 記せるみふみ(聖書)の第一句 読みて校祖は畏くも 天つ父を見出しぬ~」。
時は幕末。上州(今の群馬県)安中藩の武士であった新島襄は、初めて読んだ聖書(漢訳)の最初のことばに感銘を受け、その天地創造の神を知りたいという思いを抑えがたく、当時の幕府の鎖国政策、国禁を犯して、ひそかに外国船に乗り込みアメリカに渡ります。ものすごい情熱というか、行動力ですよね。私たちの教団の信仰告白の「日本MB教会は聖書の民である」というところには、
1,聖書の性格 旧新約聖書は権威ある神のことばであり、信仰と生活の誤りない指針である。聖書は解釈され、理解され、伝えられ、宣言され、人々を変革する
、と書かれています。新島先生も、まさに、みことばによって変革された人でした。それは一度限りのものではなく、生涯に渡って続く変革でした。そして、そのようにみことばによって変革された人は、そのことばだけではなくて、生き様そのものによって人々を変革します。私も、新島先生の不肖の弟子ではありますが、その影響を受けた一人です。人を変革するのは神のみことばであり、私たち人間の力ではないのですが、まず、自分が、日々、みことばによって変革されなければ、幾千、幾万のみことばを語ったとしても、なんの説得力もないでしょう。ですから、先程の「人々を変革する」ということばは、あの人をとか、この人をではなく、まず「自分を変革する」と読まなければならないと思うんです。そして、それには遅すぎるということはありません。もう手遅れだということもないでしょう。なぜなら、
『たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています』(Ⅱコリ4:16b)
とあるように、たとえいくつになったとしても、内なる人は日々新たにされる。みことばによって変革され得る、と聖書は言っているからです。この年の初めにあたり、何よりもまず、神がこの私に、そしてあなたに、期待しておられるということを覚えたいですね。
2.苦しまなかったら
そして、今朝の「創世記」が記している天地創造の業において、一番最初に造られたものは何だったかというと、それは3節に記されていました。
『神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった』(創1:3)。
皆さんは、光と聞いて、何を連想されるでしょうか?5節には昼と夜とありますので、やっぱり太陽でしょうか。今年の元旦も「初日の出(ご来光)」がテレビとかで映し出されていましたが、日本では太陽を拝む方が多いです。ただ、神が最初に創造された光は太陽ではなかったんです。太陽は14節以降の第四日目に造られています。それでは、この光の正体とは、一体何なのでしょうか?その答えが今朝の開会聖句のような気がします。神は、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせるために、私たちの心を照らしてくださった。太陽の光は夕方には沈んでしまいますが、この光は決して沈んでしまうことはありません。この光はイエス・キリストというお方を通して、いつも、どんな時にも、私たちの心を照らしてくれるのです。
「月刊 いのちのことば」の今月号の巻頭の特集に、「静まってみことばと向き合う 暗闇の中にある希望を伝えたい」と題して、福島第一聖書バプテスト教会の佐藤彰師が寄稿しておられ、その中で、少し前にご自身が書かれた「366日ディボーション苦しみの向こうに光あり」という本も紹介しておられました。佐藤師の教会やそのお働きは、以前からとても注目をされていましたが、あの東日本大震災の福島第一原発の事故によって大きな挫折を経験されました。ご自身も書いておられるように、教会をそのまま残して、本当に着の身着のまま、わけがわからないなか故郷を後にし、涙を流しながら怒涛のような日々を歩んでこられたそうです。佐藤師は、その本の紹介の最後に次のように書いておられました。
「苦しまなかったら知らない世界がありました。苦しみを通して出会った方々もいます。何より孤独だと感じるほどに迫ってこられたイエス様の温もりを、なんとか伝えたいと腐心し、苦闘して綴ったページもあります。」
<結論>
神はご自身が最初に造られた光を
『良しと見られた』(創1:4a)
とありました。同じ個所を「岩波訳」では、「神が見ると、それは実に美しかった」と訳されていました。なるほどと思いました。そして、5節の最後には、
『夕があり、朝があった。第一日』(同1:5b)
とありましたよね。ユダヤでは、一日の始まりは夕暮れからということで、私たちの感覚からすれば不思議に感じます。しかし、今回思ったことは、さっきの佐藤師のことばにあったように、私たちの人生には、苦しまなかったなら知ることのできない世界があり、苦しみを通してこそ出会うことができた方々もおられるということです。そして、「ゼカリヤ」に
『夕暮れ時に光がある』(ゼカ14:7b)
とあるように、そんな、私たちが夕暮れのような孤独を感じる時にも、私たちの側にいてくださる光がある。インマヌエルの主イエス様がおられるということです。
『イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません』(へブ13:8)。
今年も、そのとこしえに変わることのないイエス様から目を離さないで、「光、あれ」と仰せられた、美しい神のご栄光の輝きを仰ぎ見つつ、ともに歩んで行きましょう。
新聖歌
開会祈祷後:新聖歌521番、メッセージ後:新聖歌3番
聖書交読
箴言8章 1~11節
2025年教会行事
1月7日(水)オリーブ・いきいき百歳体操 10時~11時
#57-3006
One comment to this article
mb-senri_web
on 2026年1月3日 at 9:55 PM -
当教会の牧師、砂山先生の母校である同志社大学は、昨年の11月に創立150周年を迎えたそうです。
今週のメッセージに登場する、同志社の創立者、新島襄の生涯を描いたアニメーションを下記リンクから視聴することができます。
新島襄に関するアニメーション「二百年の夢を見た。」
https://150th.doshisha.ed.jp/150th-event/iwakura-campus-festa/animation-movie/