強き者、汝の名は女なり

令和5年5月8日(月)より新型コロナウイルス感染症が5類感染症へ移行することに伴い、礼拝での規制を緩和します。具体的には、会衆讃美は全節歌唱する、省略していた聖書交読を復帰し、司会者朗読→会衆朗読を交互に行います。
なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。

メッセージ

<士師記 4章6~17節>
牧師:砂山 智

開会聖句

だが、へベルの妻ヤエルは天幕の杭を取ると、槌を手にしてそっと彼に近づき、そのこめかみに杭を打ち込んで地に突き刺した。彼は疲れて熟睡していたのである。こうして彼は死んだ。

<士師記 4章21節>

メッセージ内容

Youtube動画

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 メッセージ原稿を公開しました。  

<序論>  
・「士師記」は冒頭に記されているように、モーセの後継者ヨシュアが死んだところから始まります。そこから約200年間、最後の士師と呼ばれる預言者サムエルが現れるまで、イスラエルにはヨシュアのような全国民を統一する指導者は現れず、国を統治するシステムもありませんでした。また、都と呼ばれる中心地もなく、各部族は各々独立してバラバラな行動をとる傾向が強かったみたいです。そのような民に対して、神は「士師(さばきつかさ)」と呼ばれる人たちを遣わされました。その呼び名は、原典のヘブル語では、「ショーフェート・シャーフット」で、直訳すると「治める」「さばく」ですので、政治的・軍事的指導者ということなんですが、訳としては、新改訳の本文にもある「救助者」という訳がピッタリのように思います。本書には、まさに救助者として、外敵からイスラエルを救った合計12名の士師の物語が記録されています。ただ、そのうちの半分は、ほぼ名前だけしか記されておらず、残りの半分についてだけ、伝記風に様々なエピソードが記録されています。今朝の主人公デボラは、その中でも唯一の女性です。彼女はまた、女預言者とも呼ばれています。

<本論>
1.士師の時代
本書を読むとよくわかりますが、士師と呼ばれる人たちは、ずいぶん個性的と言うか、何か漫画に出て来るヒーローのような人物もいたりするのですが、共通していることは、先程も申し上げましたように、その与えられた力を発揮して、外敵からイスラエルを守ったということでしょう。しかし、逆に言えば、それぞれの個性が強ければ強いほど、それは一代限りのもので、やがてその強力なリーダーシップが失われると、同じようなことが繰り返される。「負のスパイラル」のようなことが起きてしまうことになります。2章18節をご覧ください。

『主が彼らのためにさばきつかさを起こしたとき、主はさばきつかさとともにおられ、そのさばきつかさが生きている間、彼らを敵の手から救われた。これは、圧迫し、虐げる者を前にして彼らがうめいたので、主があわれまれたからである。しかし、さばきつかさが死ぬと、彼らは元に戻って先祖たちよりもいっそう堕落し、ほかの神々に従い、それらに仕え、それらを拝んだ。彼らはその行いや、頑なな生き方から離れなかった。そのため、主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がった。主は言われた。「この民は、わたしが彼らの先祖たちに命じたわたしの契約を破り、わたしの声に聞き従わなかったから、わたしもまた、ヨシュアが死んだときに残しておいたいかなる異邦の民も、彼らの前から追い払わない。これは、先祖たちが守ったように、彼らも主の道を守って歩むかどうか、これらの国民によってイスラエルを試みるためである。」こうして、主はこれらの異邦の民をただちに追い払うことをせずに残しておき、ヨシュアの手に渡されなかったのである』(士2:18~23)。

2.もしあなたが私と一緒に行ってくださるなら

今朝の物語も、その内の一つということですが、主な登場人物は、異邦の民の側では、カナン人でハツォルの王ヤビンとその将軍シセラ。そして、イスラエル側では、士師であり女預言者でもあるデボラとナフタリ族の将軍バラクです。ちなみにデボラもナフタリ族出身だったみたいです。そして、もう一人、ケニ人へベルの妻ヤエルですね。彼女もデボラと同じく重要な働きをします。この物語を読んで面白いなと思ったことが二つありました。一つは、8~9節にあった、バラクとデボラのやり取りです。バラクはデボラから、神はあなたに、シセラと戦って勝利せよと。否、勝利すると告げておられると言われた時、次のように言うんですね。

「もしあなたが私と一緒に行ってくださるなら、行きましょう。しかし、もしあなたが私と一緒に行ってくださらないなら、行きません。」(士4:8b)。

そんなバラクに対してデボラは「私は必ずあなたと一緒に行きます」と答えるのですが、このやり取りを読むと、「おいおいバラク将軍。お前さん、怖気づいてるのか?」と思ってしまいます。百歩譲って、バラクに良いように解釈すれば、彼は慎重な性格だったのかもしれません。「あなたは、俺をたきつけるだけたきつけておいて、自分は安全な場所にいて眺めているつもりか。それは許さないぞ!」と。しかし、この時、彼の心にあったのは、やはり、目に見えない神よりも、目に見える人間に頼ろうとする思いだったのではないかと思うんですね。「日々のみことば」の今月号を執筆された武田師は、この箇所から、「一緒に」歩むことの大切さ、その積極的な意味について述べておられて、先生らしいなぁと思わされたのですが、それと同時に、私たちには、やはり主を信じる者として、成熟した者、大人として歩むことが求められていると思います。「イザヤ」に次のようなみことばがあります。

『人間に頼るな。鼻で息をする者に。そんな者に、何の値打ちがあるか』(イザ2:22)。

今朝の物語で、デボラが「私は必ずあなたと一緒に行きます」と言った後、「ただし、あなたが行こうとしている道では、あなたに誉れは与えられません。主は女の手にシセラを売り渡されるからです」とバラクに告げたのは、やはり、バラクの心にあった、神ではなく人間に頼りたい、頼ろうとする彼の思いへの答えだったのではなかったかと思わされました。

3.イスラエルを救ったもう一人の女性

そそして、もう一つ、今朝の物語で面白いなと思ったことは、まさに、今、お話ししたことなんですが、神は、ケニ人へベルの妻とだけしか紹介されていないような女性ヤエルを用いて、この戦いの最終的な決着をつけられたということです。それにしても、このヤエルという女性、すぐ後の18節のことばなんか読むと、なかなかの役者だったようです。どんな雰囲気の女性だったのかは分かりませんが、やることは大胆と言うか、えげつないですね。ただ、この時代の女性の立場がどれほど弱く、低いもので、数にも入らない者と見られていたかということを考えると、ある意味、この結末は実に痛快な結末だと思いました。それは言い換えれば、神のみことばや約束よりも、つい、この世の力や人の数に頼ろうとしてしまう、私たちの弱さをも木っ端みじんに打ち砕く痛快さと言えます。この時の戦いの舞台となったキション川は、後に、あの預言者エリヤがバアルの預言者と対決し、大勝利をした場面にも出てくる川ですが、夏は水が枯れて干上がってしまう「ワディ」として知られています。それは、アラビア半島や北アフリカなどの乾燥地帯によく見られる、雨季の一時的な豪雨の時だけ水が流れる季節河川(涸れ谷)のことです。バラクにとって幸いだったのは、この戦いが恐らく冬に行われたということにありました。どれほど強力な鉄の戦車九百台であっても、雨季のぬかるんだ川床では、それは何の役にも立たないただの鉄の塊、無用の長物でしかなかったのです。私たちは、そのことを、決して偶然に起こったことではなく、神がそのような自然をも用いられた結果だと読み取るわけですが、さらに神は、軍人でもない、何の力も持ち合わせていないような一人の女性を用いて、イスラエルの勝利を決定的なものとされたのです。

<結論>

今朝のタイトルは、あのシェークスピナの悲劇「ハムレット」に出て来る有名な台詞から思いつきました。もっとも、「ハムレット」では、「強き者」ではなく、「弱き者(脆き者)。汝の名は女なり」となっているのですが、今朝の物語は正反対ですよね。男性陣は脇役でなにか頼りなく、二人の女性が主役で。その働きによってイスラエルは救われたという。もちろん、それは、彼女たちが、ということではなくて、彼女たちを通して神が働いてくださったということなのですが。聖書には、男性・女性というジェンダーの違いについて様々な教えがあり、それがなにか固定観念みたいになっていますが、神の業は、時として、そのようなものを超えてと言うか、男・女の違いなど関係なく進んでゆくのでしょう。

メッセージ内容のダウンロード(PDF105KB)

新聖歌

開会祈祷後:新聖歌221番、メッセージ後:新聖歌404番

聖書交読

詩編33篇 1~11節

2026年教会行事

9月16日(水)オリーブ・いきいき百歳体操 10時~11時

#58-3042

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