故郷への帰路

メッセージ

<創世記 31章1~24節>
牧師:徳本 篤 師

開会聖句

信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。

<ペテロの手紙 第一 1章7節>

メッセージ内容


序論)

今日の創世記31章の物語の背景として、ヤコブとラバン(ラバンの息子たち)との反目という人間的次元の事柄が、ハランの地からカナンの地へ帰郷を決意する信仰的次元に導かれることが並行して深く関わり合っていることに注目しましょう。これは、私たちの人生の節目において何かを決断するときの参考にすべき見本であることに気づかされます。

本論)
ところで、創世記31章の中心となる視点は、7節の「しかし神は」という個所です。人間的な次元でラバンがヤコブを欺いて幾度も報酬を変えたことが書かれています。それを神の視点である信仰的な次元では、神がラバンの企てをお許しにならなかったので実現できませんでした。
ヤコブが20年間にラバンと争うことなく、黙々と努力し、自分の家族を養い、家畜を殖やすことに専念してきました。神はそのことを見ておられました。その結果どうなるかもすべて見ておられました。
神は、ただ眺めておられただけではありません。ヤコブのことを真剣に心配し、具体的に目に見えるかたちで支援の手を差し伸べてくださいました。ヤコブはそのことを「しかし神は」とあかししているのです。
行動すべき時が来たことを確信したヤコブは、神に見守られて、故郷に帰る決意をしました。その先に何が待っているかも一切を神の御手にゆだねて出て行ったのです。

7節の「しかし神は」の原文では強い否定文になっています。
But not God permitted(ne-ta-now)
Permitte 認める、同意する
Allow 許可する、任せる
suffer 我慢する、黙認する
let やらせる、させる
deliver 実現させる

パウロも私たちが神に召されたことについて神の視点から次のように語っています。

Ⅰコリント1:26-31
「26兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。 27しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。 28また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。 29これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。 30しかし神によって、あなたがたはキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。 31まさしく、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。」

パウロは、キリスト者に対する、人間的な次元での評価と信仰的な次元での評価が違うことを、神の視点に立ち、そこでも、「しかし神は」ということばであかししています。

適用)
今日の創世記31章から学ぶことは、私たちがある重要な選択を決断する場合に、神のみこころの時を判断する方法として、人間的な次元での状況と、信仰的な次元での状況を重ね合わせて確認することです。その一方だけの場合はまだその時が来ていないと判断すべきでしょう。そして、どちらも揃ったと思うときでも、さらに慎重に祈り深く、信仰の友と一緒に確認する時を持つべきです。自分の独断だけで早まった結論を出してしまうのは十分ではありません。ヤコブも自分が確信したことをレアとラケルに打ち明けて確認しています。二人または三人で神の時と導きを確認する慎重さに、神の見守りを確信する信仰を重ね携えて、神が成し遂げてくださることを祈りつつ、その一歩を踏み出して行くことではないでしょうか。

例話)
森永製菓の創設者の森永太一郎氏は私と同じ佐賀県伊万里市の出身で、現在マスコミで話題の人になっている安倍総理の妻の昭恵さんはその曾孫娘にあたる方です。太一郎氏は明治21年(24歳の時)に西洋菓子製造技術を学ぶために渡米しますが、当時の厳しい人種差別の中で苦労します。しかし、住んでいた家のオーナーの老夫婦の愛に触れて、熱心なキリスト教徒になります。そこでのさらなる苦労を重ねて明治32年(35歳の時)に帰国し、その後東京赤坂に森永製菓の前身となる森永西洋菓子製造所を設立しました。最初はアメリカで「天使の食べ物」と言われていマシュマロを製造しましたが、その後アメリカで技術を磨いてきたキャラメルを主力製品としてから、成功の道を進むことになります。太一郎氏は晩年キリストの証人として全国をめぐる日々を過ごしたと言われます。

人間的な次元では太一郎氏は実家が商売で失敗、そのうえ6歳の時に父の病死、母とも離別するという苦労の多い少年時代を過ごしました。しかし、それによって洋菓子職人への夢を掻き立てられ渡米する決心をさせました。しかし神は、そこで熱心なクリスチャン夫妻との出会いによって信仰に導かれ、さらに知人の紹介でアメリカの菓子製造技術を習得する道を開かれました。その後太一郎氏は、菓子作りを通じてキリストをあかしするという新たな目的を持って故郷に帰って来ます。ヤコブが「しかし神は」とあかしするように、神は孤独で苦労の多かった太一郎氏の人生を暖かく見守り、導かれました。太一郎氏だけではありません。神はご自分とともに歩む者たちの人生を見守っておられます。

明日が見えない不安な時、落ち込んで挫折してしまいそうな時は、「しかし神は」というみことばを口ずさんで、たましいを奮い立たせてください。苦難から逃げないで、あと一歩前に踏み出す勇気をもってください。

メッセージ内容のダウンロード(PDF84KB)

新聖歌

開会祈祷後:145番、メッセージ前:355番、メッセージ後:468番

聖書交読

詩篇 40篇1~6節

お知らせ

★本日午後から6月度の定例運営委員会がもたれます。
★徳本師は13日~14日に能勢川キャンプ場で行われる牧師研修会に出席されます。
★今週14日(水)の祈祷会を休みにします。
★療養中およびご高齢の方々の平安と励ましのために祈りましょう。

2017年度前半の主な教会行事
6月24日 役員リーダー研修会
6月25日 讃美礼拝 Y兄姉による特別讃美

#49-2558

One comment to this article

  1. mb-senri_web

    on 2017年6月11日 at 5:18 PM -

    Web管理人です。
    今日のメッセージに登場しました森永製菓の創業者、森永太一郎氏について、
    以下のホームページも大変参考になりますので、ぜひご覧になってみてください。

    東洋の製菓王森永太一郎(偉人のエピソード逸話集)
    http://tamiyataku2.blog.fc2.com/blog-entry-2.html