人の業 神の業

メッセージ

<列王記第二 23章21~30節・ヨハネの黙示録22章13節>
牧師:砂山 智 師

開会聖句

わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。

<ヨハネの黙示録22章13節>

メッセージ内容

<序論>  
・前回のメッセージでは、ヒゼキヤ王について見ました。ヒゼキヤは「善王」として高く評価されていました。しかし、彼の後を継いだ息子マナセは、そうではありませんでした。

『ヒゼキヤは先祖とともに眠りにつき、その子マナセが代わって王となった。マナセは十二歳で王となり、エルサレムで五十五年間、王であった。彼の母の名はヘフツィ・バハといった。彼は、主がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の忌み嫌うべき慣わしをまねて、主の目に悪であることを行った』(Ⅱ列王20:21~21:2)。

マナセは、南ユダ史上「最悪」の王の一人でした。ヒゼキヤとマナセとは、親子で共同統治した期間もあったようです。なのに、マナセは、父ヒゼキヤが行ったことを悉く否定し、再び、南ユダに偶像崇拝の罪を犯させるのです。もしかすると、偉大な父への反発もあったかもしれません。また、信仰を継承することの難しさということも思わされます。ただ、もっと不思議なことがあります。それは、そんなマナセの在位期間が五十五年間にも及んだということです。これは、北イスラエルの王も含めて、最長の在位期間になるそうです。なぜ、神さまは、こんな「最悪」の王が、五十五年も支配することをお許しになったのでしょうか?私たちには分からないことですが、本当に不思議に思えます。そして、このマナセの次がアモン。その次が、今日の主人公であるヨシヤです。

<本論>
1、律法の書が見つかった

ですから、ヒゼキヤ王から見ると、ヨシヤは曾孫ということになります。

『ヨシヤは八歳で王となり、エルサレムで三十一年間、王であった。彼の母の名はエディダといい、ボツカテ出身のアダヤの娘であった。彼は主の目にかなうことを行い、父祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかった。ヨシヤ王の第十八年に、王は、メシュラムの子アツァルヤの子であるシャファンを主の宮に遣わして言った。「大祭司ヒルキヤのもとに上って行き、主の宮に納められていた金、すなわち、入り口を守る者たちが民から集めたものを彼に計算させよ。彼らが主の宮で工事をしている監督者たちにそれを手渡すようにせよ。そして、監督者たちは、神殿の破損の修理をするために、主の宮で工事をしている者たちにそれを渡すようにせよ。大工、建築する者、石工に渡し、神殿の修理のための木材や切り石を買わせよ。ただし、彼らの手に渡した金の精算がなされる必要はない。彼らは忠実に働いているからである』(Ⅱ列王22:1~7)。

曾祖父のヒゼキヤは二十五歳で王になったと記されていました。それに対して、ヨシヤは僅か八歳で王になったとあります。ですから、ヨシヤ王の改革は、『第十八年』まで待つ必要があったのでしょう。そして、このヨシヤ王の改革で注目すべきことは、ソロモンの神殿を修復したということだと思います。祖父のマナセ、父アモンの時代に、全く荒廃してしまった神殿を、かつての姿のように修復しようと考えたのです。ただ、その修復工事の際に、思いがけないことが起こります。

『そのとき、大祭司ヒルキヤは書記シャファンに、「主の宮で律法の書を見つけました」と言った。そして、ヒルキヤがその書物をシャファンに渡したので、彼はそれを読んだ』(同22:8)。

神殿で『律法の書』(23章21節では「契約の書」と訳されています)が発見された!「なるほど、そういうこともあるやろな」と思われるかもしれません。しかし、よく考えてみると、これはおかしな話なんです。神殿に律法の書があるというのは、当たり前の話で、それを見つけた!と喜んでたらあかんのです。それも、「見つけました」と報告してきたのは、大祭司ヒルキヤであった!?この一点をもってしても、当時の南ユダの信仰が、いかに堕落していたのかということが分かります。
ヨシヤ王は、書記シャファンがそれを読み上げた時、

『自分の衣を引き裂いた』(同22:11b)

と記されています。そして、家来たちに命じます。

『行って、この見つかった書物のことばについて、私のため、民のため、ユダ全体のために、主を求めよ。私たちの先祖たちがこの書物のことばに聞き従わず、すべて私たちについて記されているとおりに行わなかったために、私たちに向かって燃え上がった主の憤りが激しいからだ』(同22:13)。

この時から、南ユダの人々の信仰の覚醒と言いますか、ヨシヤ王の信仰復興運動が、本格的にスタートするのです。
この『律法の書』と呼ばれているものは、恐らく「申命記」であったのではないかと言われています。彼らは、この『律法の書』によって、出エジプトの出来事を思い起こし、神さまの限りない恩寵によって、今日の自分たちがあるのだということを再確認したのでしょう。そして、ヨシヤ王の改革は徹底的に進められます。その集大成とも言えるのが、今日の箇所に記されている、「過越の祭り」の復活です。「Ⅱ歴代誌」30章には、ヨシヤの曾祖父ヒゼキヤも「種なしパンの祭り(過越の祭り)」を行ったと記されていますが、ヨシヤ王の献げた過越のいけにえは、

『実に、さばきつかさたちがイスラエルをさばいた時代以来、イスラエルの王たちとユダの王たちのどの時代にも、このような過越のいけにえが献げられたことはなかった』(同23:22)

と言われるほどのものでした。ただ、そのことによって、南ユダの過去の罪が帳消しになったわけではありませんでした。

『それにもかかわらず、マナセが引き起こした主のすべての怒りのゆえに、主はユダに向けて燃やした激しい怒りを収めようとはされなかった。主は言われた。「わたしがイスラエルを除いたのと同じように、ユダもわたしの前から除く。わたしが選んだこの都エルサレムも、わたしの名を書くと言ったこの宮も、わたしは退ける。」』(同23:26,27)。

あのマナセ王が、五十五年間の統治で犯した数えきれないほどの罪は、このヨシヤ王の善政(良い行い)をもってしても、贖うことはできなかったのです。このことは、人間が犯した罪は、どんな人間の善行によっても贖うことはできないということを、私たちに示してくれているように思えます。

<結論>
そして、今日のテキストの最後に、ヨシヤ王の死が記されています。南ユダ史上最高の「善王」であったヨシヤ。ですが、その死は、実にあっけないものでした。並行箇所の「Ⅱ歴代誌」35章20~24節は、このヨシヤ王の死を、次のように伝えています。

『このようにヨシヤが宮を整えた後、エジプトの王ネコが、ユーフラテス河畔のカルケミシュで戦うために上って来た。そこで、ヨシヤは彼を迎え撃つために出陣した。ところが、ネコは彼に使者を遣わして言った。「ユダの王よ、私とあなたと何の関係があるのか。今日は、あなたを攻めに来たのではない。私が戦っている王家に向かって行くところなのだ。神は、早く行くように命じておられる。私とともにおられる神に逆らうことはやめよ。さもなければ、神があなたを滅ぼされる。」しかし、ヨシヤは身を引かず、かえって彼と戦おうとして変装し、神の御口から出たネコのことばを聞かなかった。そして、メギドの平地で戦うために出かけた。射手たちがヨシヤ王を射抜いたので、王は家来たちに言った。「私を運び出してくれ。ひどい傷を負ってしまった。」家来たちは王を戦車から降ろし、彼が持っていた第二の車に乗せてエルサレムに連れ帰った。彼は死に、その先祖たちの墓に葬られた。全ユダとエルサレムは、ヨシヤのために喪に服した』(Ⅱ歴代35:20~24)。

ある方は、このヨシヤ王の死の意味を、南ユダの滅亡(バビロン捕囚)を早めて、その後の解放と帰還、つまり、堕落したユダヤ人をリセットする(生まれ変わらせる)ためのきっかけとするために、神がそのようにされたのだ、と解釈しておられました。確かに、後から振り返ってみれば、そのようにも言えるのかもしれません。ただ、私は、そのような、私たち人間の解釈というものをはるかに超えた何かと言いますか、神さまのご摂理というものを、改めて思わされました。

【開会聖句】『わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである』(黙示22:13)。

先々週の伝道礼拝で、「オリーブ讃美チーム」の皆さんと「明日を守られるイエスさま」というワーシップソングを歌いました。

「明日は どんな日か 私は知らない 晴れか 嵐か 曇りになるか 私は 明日を 心配しない イエスが 私を 守られるから 明日は 私には 分からないけど 明日を守られる イエスが おられる」。

ある方は、「ノー天気な歌だな」と思われるかもしれません。ただ、私は、アルファであり、オメガであると言われる方、そして、明日を守られるイエスさまがおられるということを信じて、今週も歩んでゆきたいと、切に願います。

メッセージ内容のダウンロード(PDF108KB)

新聖歌

開会祈祷後:284番、メッセージ後:385番

聖書交読

詩編 47篇1~10節

2018年教会行事

8月22日(水)オリーブ・いきいき百歳体操

#50-2620

Comments are closed