ペレツの系図

メッセージ

<ルツ記 4章13~22節>
牧師:砂山 智 師

開会聖句

神の約束はことごとく、この方において「はい」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。

<コリント人への手紙第二 1章20節>

メッセージ内容

<序論>  
・今日の説教題にあるペレツというのは、創世記38章の、ヤコブの息子ユダとその息子の嫁タマルとの間にできた子どもです。系図に記されているのはただの名前にすぎませんが、その一人一人に、それぞれの、訳ありの人生(ドラマ)があったのです。

<本論>
1、ボアズとの出会い

前回のメッセージでは、未亡人となったモアブの女ルツが、姑のナオミと一緒に、ナオミの故郷ベツレヘムまで帰って来たところまでお話ししました。このような女性たち、つまり、夫と死別し、子どももいない女性というのは、今でもそうかもしれませんが、当時の社会では、非常に厳しい立場にあったと思われます。

『さて、ナオミには、夫エリメレクの一族に属する一人の有力な親戚がいた。その人の名はボアズであった。モアブの女ルツはナオミに言った。「畑に行かせてください。そして、親切にしてくれる人のうしろで落ち穂を拾い集めさせてください。」ナオミは「娘よ、行っておいで」と言った。ルツは出かけて行って、刈り入れをする人たちの後について落ち穂を拾い集めた。それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑であった』(ルツ2:1~3)。

フランス、パリのオルセー美術館には、ミレーが描いた「落穂拾い」という有名な絵があります。その絵は、この「ルツ記」の情景を描いた作品だそうです。旧約聖書の「レビ記」19章9,10節には、貧しい人と寄留者(在留異国人)には、落ち穂を拾う権利が与えられると定められています。これは、当時、社会的に弱い立場にあった人たちが、生きていくための権利として認められた慣習で、畑の持ち主が落ち穂まで残さず収穫することは禁じられていました。今日で言うところの社会福祉ですね。ルツは、この落ち穂拾いを通して、ボアズという男性と運命的な出会いをすることになります。今、運命的と言いましたが、それは、神さまのご摂理であったと思います。ボアズは、モアブの女で未亡人のルツに対して、とても親切に接してくれるのです。

『ボアズはルツに言った。「娘さん、よく聞きなさい。ほかの畑に落ち穂を拾いに行ってはいけません。ここから移ってもいけません。私のところの若い女たちのそばを離れず、ここにいなさい。刈り取っている畑を見つけたら、彼女たちの後について行きなさい。私は若い者たちに、あなたの邪魔をしてはならない、と命じておきました。喉が渇いたら、水がめのところに行って、若い者たちが汲んだ水を飲みなさい。」彼女は顔を伏せ、地面にひれ伏して彼に言った。「どうして私に親切にし、気遣ってくださるのですか。私はよそ者ですのに。」ボアズは答えた。「あなたの夫がなくなってから、あなたが姑にしたこと、それに自分の父母や生まれ故郷を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私は詳しく話を聞いています。主があなたのしたことに報いてくださるように。あなたがその翼の下に身を避けようとして来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」彼女は言った。「ご主人様。私はあなたのご好意を得たいと存じます。あなたは私を慰め、このはしための心に語りかけてくださいました。私はあなたのはしための一人にも及びませんのに。」』(同2:8~13)。

2、ナオミの提案

ルツは、ボアズのお蔭で、たくさんの大麦を収穫し、ナオミの下へと帰って来ます。それを見て驚いたナオミは、事の一部始終を聞いて、喜びます。

『ナオミは嫁に言った。「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまない主が、その方を祝福されますように。」ナオミは、また言った。「その方は私たちの近親者で、しかも、買い戻しの権利のある親類の一人です。」』(同2:20)。

『買戻しの権利』というのは、この「ルツ記」で、重要な意味を持つことばです。これは、何らかの事情で、奴隷の状態(経済的困窮)に陥った場合に、その家族や親類の誰かが、失った土地を買い戻す(贖う)ことができるという権利のことですが、ちょうど、ボアズが、そのような親類の一人であったわけです。
そして、ナオミは、ルツに対して、一つの提案をします。

『姑のナオミは彼女に言った。「娘よ。あなたが幸せになるために、身の落ち着き所を私が探してあげなければなりません。あなたが一緒にいた若い女たちの主人ボアズは、私たちの親戚ではありませんか。ちょうど今夜、あの方は打ち場で大麦をふるい分けようとしています。あなたはからだを洗って油を塗り、晴れ着をまとって打ち場に下って行きなさい。けれども、あの方が食べたり飲んだりし終わるまでは、気づかれないようにしなさい。あの方が寝るとき、その場所を見届け、後で入って行ってその足もとをまくり、そこに寝なさい。あの方はあなたがすべきことを教えてくれるでしょう。」』(同3:1~4)。

ある方は、何とふしだらな、と驚かれるかもしれませんが、当時の習慣では、こうした行為は、弱い立場の人が相手に対して保護を求める際の意思表示のようなものであったそうです。つまり、言葉ではなく、行動で示すということですが、姑のナオミは、ルツに対して、ボアズからの保護を求めて彼の足もとにひれ伏しなさいと提案したわけです。ルツは

『おっしゃることは、みないたします』(同3:5)

と言って、言われた通りに行います。そして、ボアズは、そんなルツに対して、非常に理性的で、思いやりと配慮とに富んだ、紳士的な対応をします。

<結論>

最終的に、ボアズは、自分よりも近い買い戻しの権利のある親類が辞退したことを受けて、自分がナオミの夫であったエリメレクの畑を買い戻し、ルツを妻として迎えることを決断します。しかし、それは、ボアズにとって、決して容易い決断ではありませんでした。何故なら、イスラエル人のボアズにとって、モアブの女、つまり異邦人であるルツを妻として迎えるということは、大きなリスクを伴うものであったからです。辞退した親類の言葉を読めば、そのことがよく分かります。

『するとその買い戻しの権利のある親類は言った。「私には、その土地を自分のために買い戻すことはできません。自分自身の相続地を損なうことになるといけませんから。私に代わって、あなたが買い戻してください。私は買い戻すことができません。』(同4:6)。

最初、その親類は、土地の買い戻しのことだけを考えて、この話に乗り気だったんです。しかし、そのためには、異邦人であるルツを妻に迎え、子孫を残す義務があると知ったとたん、尻込みしてしまうんですね。つまり、そんなことをすれば、自分は社会的な信用を失ってしまうかもしれない。自分自身の立場が不利になると恐れたわけです。
それは、ボアズについても言えることでした。しかし、ボアズは、ナオミとルツを助けるために、買い戻しの権利を行使しました。大きなリスクを伴うことであり、犠牲を払うことになるかもしれない、ということを覚悟のうえで。
愛という言葉は確かに美しい言葉です。しかし、その愛が真実であればあるほど、そこには厳しさが伴います。なぜなら、真実の愛には、自己犠牲が伴うからです。
「ルツ記」の最後は、今日のテキストにありましたように、ハッピーエンドです。ルツはボアズという素晴らしい男性と巡り合い、再婚し、子どもにまで恵まれます。ルツとナオミは、この世的にも大きな恵みをいただき、きっと幸せな人生を送ることができたでしょう。しかし、この「ルツ記」で、もっと大切なこと、本当に大切なことは、この物語がハッピーエンドであったということではなくて、ダビデに至る系図で終わっている、ということではないかと思います。それは、もちろん、私たちキリスト者にとっては、イエス・キリストに至る系図ということです。18節には次のような説明があります。

『これはペレツの系図である』(同4:18a)。

「ルツ記」の記者が、なぜそのように書いたのかは分かりませんが、このペレツという人も、冒頭でお話ししましたように、ユダとその息子の嫁タマルとの間にできた、言わば、いわくつきの人でした。ただ、考えてみれば、私たち一人一人の人生も、他人様から見れば平凡で、何の心配事も無いかのように見えたとしても、実際には、本当に山あり谷ありと言いますか、様々な訳ありの出来事の積み重ねであり、それは本人と神様だけにしかわからないのかもしれません。キリスト教に「経綸」という言葉があります。その意味は、神が世界と歴史を支配し導いておられるということで、「摂理」とも言いますが、私たち一人一人も、それぞれが訳ありの人生を歩む者たちです。しかし、イエス様が来てくださったことによって、神のご経綸の中に入れられた。神の民の一人とされたんですね。心から神様の聖名を崇めたいと思います。

『神の約束はことごとく、この方において「はい」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。』(Ⅱコリント1:20)。

最後に、「旧約聖書一日一章」にあった、榎本保朗先生の一文をお読みして、今日の私のメッセージを閉じたいと思います。

「神が愛であるということは、私にとって諸事好都合に行っているから言われるのではない。イエス・キリストのゆえに言われる言葉なのである。私の人生も、あなたの人生も、あるいは、今、マラの様相を呈しているかもしれない。しかし、神は愛なのである。そして、そのゆえにあなたの人生もナオミの人生なのである。そのことに気づくにまさる恵みはない」。

メッセージ内容のダウンロード(PDF108KB)

新聖歌

開会祈祷後:87番、メッセージ後:96番

聖書交読

詩編 98篇1~9節

2018年教会行事

12月19日(水)オリーブ・いきいき百歳体操

#50-2637

One comment to this article