勝利を我らに

令和5年5月8日(月)より新型コロナウイルス感染症が5類感染症へ移行することに伴い、礼拝での規制を緩和します。具体的には、会衆讃美は全節歌唱する、省略していた聖書交読を復帰し、司会者朗読→会衆朗読を交互に行います。
なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。

メッセージ

<エステル記 6章1~13節>
牧師:砂山 智

開会聖句

こうしてハマンは、モルデカイのために準備しておいた柱にかけられた。それで王の憤りは収まった。

<エステル記 7章10節>

メッセージ内容

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 メッセージ原稿を公開しました。  

<序論>
・「エステル」は「雅歌」「ルツ」「哀歌」「伝道者」とともに五巻に数えられ、それぞれがユダヤの祭日で読まれたものです。特に、「エステル」は「プリムの祭り」の際に読まれる書簡で、その祭りの起源を説明した物語と言われています。
【「プリム(プル=くじの複数形)の祭り」は、ユダヤ暦でアダルの月(西暦の2~3月)の14,15日に行われます。13日は断食をし、14日の始まる夕方に会堂に集まり「エステル」が朗読され、ハマンの名が読まれるたびに会衆は非難の声(ブーイング)をあげ、ハマンの息子たちが同時に絞首刑にあったことを示すために彼らの名は一息に読まなければならないということです(ユダヤ人にとって、ハマンという人物は、ヒトラーにも匹敵するほどの極悪人)。また、「ハマンタッシェン(ハマンの帽子・耳)というお菓子を食べ、仮装大会なども行われます。】
エステルという名前はペルシア語で「星」という意味です。その物語の内容は映画になるほど面白くドラマティックです。ただ、一方で、本書には、「神(エル)」「主(ヤハウェ)」ということばは一言も出てきません。ですので、旧約の正典を決めるにあたって、長い間、議論となった書簡でもあります。

<本論>
1.王妃エステルの誕生

本書の主な舞台はイスラエルではなく、アケメネス朝ペルシアの都スサにあった宮殿です。紀元前586年、南ユダは新バビロニア帝国によって滅ぼされ、ユダヤ人の多くは捕囚となり、バビロンに強制移住させられます。その捕囚から解放してくれたのがアケメネス朝ペルシアの王キュロスでした。ペルシアとは今のイランのことですが、キュロスはバビロニアを滅ぼし、紀元前539年に勅令を出し、ユダヤ人たちに祖国への帰還を許します。ただ、実際に祖国に帰ったのはわずかで、大部分はペルシアにそのまま残留するのです。「エステル」はそのキュロス王の時代から約半世紀ほど後の時代の話ですので、1節の王はキュロスではなくクセルクセスという王です。彼は紀元前486~465年までペルシアを統治した王で、前の訳ではアハシュエロスという名前になっていました。アハシュエロスというのはへブル語の名前で、クセルクセスというのはギリシア語の名前なんです。

1章1節には、『クセルクセスの時代、クセルクセスが、インドからクシュまで(インドの西の端からアフリカのエチオピアの北部まで)百二十七州を治めていた時のことである』

とありますので、当時のペルシアはものすごい大帝国だったんですね。そして、ある時、クセルクセスは大宴会を催します。それは、なんと百八十日と七日間も続いたんです!そして、王はその大宴会の最後に、王妃ワシュティを連れて来るように命じます。それは、皆に彼女の美しさを自慢するためでしたが、あろうことか王妃はその命令を拒みます。そのことに激怒した王は、彼女を王妃の位から退けてしまうんです。それで新たな王妃を選ぶことになるのですが、その時に選ばれたのがユダヤ人の娘エステルでした。エステルはモルデカイの叔父の娘で、養女として育てられていました。その美しさに魅了された王は、彼女を新しい王妃に指名します。モルデカイはもちろんですが、同胞であるユダヤ人も大いに喜んだでしょう。しかし、その後、事態は一変するのです。

2. ハマンの悪だくみ

『これらの出来事の後、クセルクセス王はアガグ人ハメダタの子ハマンを重んじ、彼を昇進させて、その席を彼とともにいる首長たちのだれよりも上に置いた。それで、王の門のところにいる王の家来たちはみな、ハマンに対して膝をかがめてひれ伏した。王が彼についてこのように命じたからである。しかし、モルデカイは膝もかがめず、ひれ伏そうともしなかった』(エス3:1~2)。

「虎の威を借る狐」ということばがありますが、このハマンはまさにそのような人物であったと思われます。絶対的権力者の周りに、そのような人物が多くなるのは、昔も今も同じです。そして、ハマンは憎っくきモルデカイだけでなく、彼の同胞たち、王国中のすべてのユダヤ人までも根絶やしにしようと企み、王に入れ知恵をし、王の名前でユダヤ人殲滅の法令を発布します。さらに、妻ゼレシュと友人たちからの助言によって、王に上奏することなくモルデカイをかけるための柱を立てさせるのです。

3. その夜、王は眠れなかったので

実は、この時点までは、王妃となったエステルは、自分がユダヤ人であることを王に話してはいませんでした。しかし、そんなエステルに、モルデカイは、こうなった以上、あなたは自分だけは助かるだろうなどと考えてはならない。あなたは同胞たちを助けるために立ち上がらなければならない、と迫ります。エステルはそのモルデカイからの忠告に対して、

「私は、死ななければならないのでしたら死にます」(エス4:16)

と自らの覚悟を示した上で、行動を起こします。彼女は、5章に記されている通り、自分が準備した宴会に王とハマンを二日連続で招くのです。その一日目の宴会の後の夜に起こったことが、今日の6章の出来事です。

1節に、『その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持って来るように命じた。そしてそれは王の前で読まれた』

とありましたが、それは決して偶然ではなく、神がそのようにされたのでしょう。王は年代記の朗読を聞いているうちに、かつてモルデカイが自分を暗殺の危機から救ってくれたことを思い出します(同2:21~23)。そして、そのことに対して何も報いていなかったことに気づくのです。ちょうど、その時、あのハマンが王宮の庭にやって来ます。その後の展開は、先程、読んでいただいた通りですが、「箴言」に

『人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する』(箴19:21)

とあります。これら一連の出来事は、私たち人間の思いを遥かに超えた神のご摂理と言う以外にないでしょう。ハマンは、最後の13節の妻ゼレシュのことばを、どんな気持ちで聞いたでしょうか。ある方は、この個所について次のように書いておられました。

「もし彼がユダヤ人の子孫であるならば、あなたは彼に勝つことはできないと敵をして言わしめたユダヤ人の強さの秘密はどこにあったのか。それはただ一つ、神が彼らと共に戦いたもうたからである。そして、この真理は今日も変わらない。『私たちは、真理に逆らっては何もすることができませんが、真理のためならできます(真理に従えば力がある)』(Ⅱコリ13:8)。」

新約の時代に生きる私たちには、イエス様こそが真理です。

<結論>

最後になりますが、「詩篇」第37篇には次のように歌われています。

『悪を行う者に腹を立てるな。不正を行う者にねたみを起こすな。彼らは草のようにたちまちしおれ 青草のように枯れるのだから。主に信頼し 善を行え。地に住み 誠実を養え。主を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる』(詩37:1~4)。

私たちは、不正を許してはならないし、悪を見て見ぬふりをしてはならないと思います。しかし、もし悪に対する最終的な神の裁きを信じないなら、それは単に人間的な怒りや憤りで終わってしまうことになるでしょう。ハマンはモルデカイのために準備しておいた柱に自分がかけられました。この神の裁きを信じることこそ、最後の勝利を信じて戦うことではないでしょうか。

「勝利を我らに(We Shall Overcome)」
1, 我らは勝つ 我らは勝つ 我らは勝つ いつの日か
(くりかえし)心の奥で 私は信じる 我らは勝つ いつの日か
2, 手に手を取って歩こう 手に手を取って歩こう 手に手を取って歩こう いつの日か
(くりかえし)
3, 我らは平和に生きる 我らは平和に生きる 我らは平和に生きる いつの日か
(くりかえし)
4, 我らは怖れない 我らは怖れない 我らは怖れない 今日
(くりかえし)

メッセージ原稿のダウンロード(PDF106KB)

会衆讃美

開会祈祷後:新聖歌454番、メッセージ後:新聖歌458番

聖書交読

詩編122篇 1~9節

2025年教会行事


5月14日(水) オリーブ・いきいき百歳体操 (10時~11時)

#57-2972

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