なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。
メッセージ
<創世記 5章1~32節>
信徒:K
開会聖句
イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」
<マタイの福音書 4章4節>
メッセージ内容
Youtube動画
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メッセージ原稿を公開しました。
<はじめに>
今日のタイトルは万博のマスコット「みゃくみゃく」にヒントを得ました。5章は系図という退屈な箇所なので、あえて面白いものにしてみました。もちろん、万博の話もしますが。系図と言えば、思い出されるのはマタイの1章でしょう。三浦綾子さんは「新約聖書入門」という本で、マタイ1章を読み始めたときのことをこう言っています。「なんと無愛想な書き出しだろう。この冒頭の書き出しを読んで、『面白そうだとか』『何とすばらしい書き出しだろう』と思われた方はお便りいただきたいものである」と。この5章は名前だけではないので、少しは面白いもしれませんが、同じようなことばが繰り返されているので、短くまとめてみました。これを参考に系図の特徴や役割を考え、そこから教えられることを、私たちの生き方につなげたいと思います。
I.系図の特徴

まず、系図の観察。アダムからノアまでの一生が、「系図の基本形」のパターンで書かれています。1.アダム、7.エノク、9.レメク、10.ノアについては、短いコメントがついてます。ノアに?がついているのは、ここでのノアはまだ人生半ばだからで、9:28,29で生涯を終えます。
さて、一番に目が行くのは何ですか。なんと言っても驚異的な寿命の長さでは?平均寿命858 歳。なぜこんなに寿命が長いのか、色々言われています。昔は肉体が頑健だった、汚染物質がなかった、一年の数え方が違うとか。しかし、この10人と、次の系図、セム~アブラハムの10人とは寿命がすごく違っています。実は次の 6章で神が世の乱れを嘆いて、人の寿命を120年と限定されました。ノアの息子セムは600歳、五代目ペレグは300歳、十代目アブラハムは175歳と、確実に寿命は短くなっています。もう一つ詩篇90篇では寿命は70から80歳。現代とあまり変わらないですね。やはり、ここの皆さんは数字が示すとおり超長生きです。
その長寿の先祖たちの中で、一人際だって寿命の短い人がいます。若くして死ぬことを早逝といいますが、まさにエノクです。彼についてのコメントは21~24節「エノクは 65年生きてメトシェラを生んだ。・・・神と共に歩み、・・・神と共に歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」彼だけが「神と共に歩み」「いなくなった」と書かれています。聖書で、死なないで天に召された人物はエリヤとエノクだけです。エノクはどんな人だったのか気になりますね。
次にアダム。1~2節「これはアダムの歴史である。…」では、最初の人アダムの創造が短くまとめられています。そして、3節でアダムはセツを「彼のかたち」に生みました。このことばは、セツ以降にはありません。アダムは「神のかたち」、セツは「彼のかたち」と表現が違うのですが、それはアダムは人間の親から生まれたのではない、神に造られた最初の人間であって、セツは人間の親から生まれたということだと思います。ですから、人間は全て神のかたちです。しかし、地上にいる私たちは不完全な神のかたちです。では、「神のかたち」である人間とはどんな存在なのでしょう。神のかたちってどんな意味でしょう。霊的存在(神と関係を持つ)、尊厳のある存在(人間の特別性)、神の代理人としての存在(支配、管理)であると考えられます。
最後は九代目レメク。これはカインの六代目と同じ名前ですが、二人は全く正反対の発言をしています。あのレメクは自分の手で自分の復讐を77倍返ししてやるといった自己中心の権力者ですが、こちらのレメクはノアの父で、そんな偉そうなことを言いません。彼は我が子をノアと名づけましたが、ノアとは「慰め」という意味です。彼は神に慰められることを心底必要とし、待ち望んでいました。29 節「この子は、主がのろわれたこの地での、私たちの働きと手の労苦から、私たちを慰めてくれるだろう。」すべてが備わっていたエデンの外、のろわれた地で自分の力で糧を得て生きていくことは、苦しみや不安が多かったのでしょう。だから、この家系は三代目のエノシュから「主の名を呼ぶ」ようになりました。これが 5 章に記されたアダムからノアまでの家系の特徴です。つまり、神を求める家系です。次にこの家系の役割をみていきます。
II.系図の役割
5章はアダムーセツの系図、4章のカインの子孫の短い系図はアダムーカインの系図と言います。これはレメクの子孫七代目までしか記されていませんが、彼の子孫は繁栄し、ノアの洪水の原因となる堕落した人間につながります。レメクの 3人の子以降の代々の名前が書かれてないのは、聖書の関心がその家系にはないからです。聖書の関心は主の名を呼ぶー神と関係(交わり)を持つアダムーセツの家系にあります。 この家系について 3つのことを考えました。
一つはエバはカインとアベルを失ったあと、セツを生むのですが、子が生まれたときの喜びの表現が違うのです。カインのとき 4:1「私は主によって一人の男子を得た。」セツのとき 4:25「神がアベルの代わりに別の子孫を私に授けてくださいました。」一どうでしょう。謙虚な言葉づかいは、人生の深い悲しみや苦しみを彼女が味わったからなのではないでしょうか。
二つめはエノシュという名前で、これは人間をあらわすことば「弱さ、はかなさ」という意味だそうです。彼らが主の名を呼び求めた頃、人間は弱くはかない存在だと実感していた、肌で感じていたのだと思います。神なしでは生きられないことを経験していたということですね。
それには、アダムの存在がとても大きい。アダムは何世代にもわたって、子孫たちと生きていたと思いますが、自分の体験(神との信頼関係より欲望を優先、自由意志の間違った選択、宣告された苦しみと死、家族の悲劇、遠い親戚)とそれを超える神の大きな恵みを、彼らに繰り返し語り継いだ。それが、エノシュという名前、主をよび求める習慣、慰めの子ノアという名前にあらわれていると思います。もちろん、そこには神の側の熱心な期待、人間が自主的に神との信頼関係を持ちたいと思うことをじっと待つ神の思いがあったはずです。放蕩息子の父のように。期待を裏切られても、なお戻ってくることを待つ神の存在があってこその話です。
そして最後の三つめですが、アダムーセツの系図を見てみると、この系図は 4章のカインの系図と対比してここに置かれているんですね。一方は人間の力を最大限に活用し、繁栄を築こうとする人たちにつながります。そこには文明の発展、都市の繁栄、富と権力があります。もう片方は「主の御名を呼ぶ」人たち。文明もたない、土地持たない、豊かでなく、弱小だけど、神に望みを置く人たち。そして、この系図は、次にノアの子孫セムからアブラハムにつながっていく。この系図の役割は、神と関わりをもつ人たちアダム、セツ、ノア、アブラハムをつなげることです。やがて、アブラハムはイスラエル民族の祖先となり、イエスにつながり、今は民族を越え、召された者の集まりである教会につながり、現代は私たちが主の名を呼ぶ者です。
今日のタイトルの「みゃくみゃくと」とは、何かが力強く持続しているさま、大きな規模ではないし、目立ってはいないが、確かに持続している様子です。これは、創世記に始まった神の秘められた計画、行動、主の名を呼び求める人たちを起こし、それをつなげていくことにも言えることではないでしょうか。万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」です。人間の英知と努力、エネルギーがそのいのちを守り、育み、紡ぐことを応援しています。マスコットのミャクミャクの赤は細胞、青は水を表しているので、このいのちは、見えるいのちのことでしょう。しかし、聖書は見えないいのちも、いや見えないいのちこそ大切だと考えます。今日の開会聖句はマタイ 4:4「・・・人はパンだけで生きるのではなく、神の一つ一つのことばで生きる・・・。」神のことばでしか養われないいのちが人間にはあるのです。神のかたちですから。
<おわりに>
千里教会の誕生は 70年の千里万博と関わっています。ニュータウンの開発にともない、すでに開拓宣教が始められていましたが、教会堂が与えられたのは、万博に来ていた北米MBの人たちの熱い思いが、きっかけです。彼らは能勢川のキャンプ場に宿泊し、ニュータウンでトラクトを配ってくれました。そして、日本は素晴らしく高度な経済成長を遂げたけれども、神のことばを必要としている人たちがこの地にも多くいるから、千里に教会堂が必要なんだという宣教師たちの思いを、主からのものと受け止め、一人千ドルを献金すると約束して帰国しました。その後、40人の青年たちは苦労してお金を貯め、本当に約束通りの献金を献げてくれたことで、この土地が購入され、会堂が建てられました。人間のいのちが本当の意味で輝くのは、みことばのパンを食べ、神が輝かせてくださるからです。私たちはそのことを知っています。今日は総持
寺教会では 60 周年記念礼拝がささげられていますが、千里教会も二度目の大阪万博のこの時期に、私たちの教会のはじめを思い出し、これからもみゃくみゃくと続く神のわざに加わっていきたいと思います。
新聖歌
開会祈祷後:新聖歌11番、メッセージ後:新聖歌176番
聖書交読
詩編124篇 1~8節
2025年教会行事
5月28日(水)オリーブ・いきいき百歳体操 10時~11時
#57-2974