なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。
メッセージ
<歴代誌Ⅰ 10章1~14節>
牧師:砂山 智
開会聖句
もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。
<ヨハネの手紙第一 1章9節>
メッセージ内容
Youtube動画
公開が遅れて申し訳ありません。 メッセージ動画公開:6/14 PM 10:57
メッセージ原稿を公開しました。
・「Ⅰ歴代誌」からの二回目です。本書のヘブル語名は「日々の出来事」と言います。なにか、味もそっけもない名前ですが、だいたい旧約の書簡のヘブル語名は一番最初のことばからつけられることが多いのですが(「創世記」は「ベレシート(はじめに)」)、本書の最初のことばは「アダム」ですので、ちょっと違うみたいですね。そして、紀元前3~1世紀に「ギリシア語訳旧約聖書(七十人訳聖書)」ができた時には、その名前が「残された事柄」という名前に変わり、「列王記」の次に置かれるようになります。それは、本書が「サムエル」や「列王記」と同時代の歴史を扱っていながら、それらには含まれていない多くの事柄を記述しているからです。例えば、今朝の箇所にもその名前が出てくるダビデ王や息子ソロモン王の即位継承前後の暗い部分にはあまり触れないで、むしろ、二人がいかに熱心に神殿建設に努力したかが詳細に語られます。また、神殿における祭儀と、その執行者としての祭司が強調されています。こうしたところに本書の方向性を窺うことができるでしょう。ただし、それは本書がそういう人間的な意図によって書かれたということではなくて、あくまでも、そういう場にあって、神からそのような霊感を受けた筆者によって書かれた、ということだと思います。
<本論>
1.残念な王サウル
それにしても、今朝の箇所をずっと読んでいると、なんだか眠くなってくるような…というのは私だけでしょうか?そのほとんどが聞いたこともないような名前の羅列が延々と続きます。ユダヤ人というのは本当に系図が好きなんだなぁ、と改めて思わされるのですが、私も、そして皆さんもそうかもしれませんが、やっぱり自分のルーツには興味というか、関心がありますよね。自分のご先祖様というのはどんな人で、どんな人生を送ったのか?実は、これは今まであまりお話ししたことはないのですが、私のルーツは四分の一が分からないんです。父方の祖父が、どこのどんな人だったかということが、まるっきり分からないんですね。私は、そのことを、40歳を過ぎてから、母から初めて聞かされて知りました。父は最後までそのことについては一言も話しませんでしたし、私も聞けなかったです。もう知ることはないでしょうが、やっぱり知りたいなぁという思いはありますね。自分の本当のじいさんが、どこのどんな人で、どんな人生を送ったのかということを。以前にテレビで、熊本の慈恵病院にある「赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)」に預けられた、ある青年のことが紹介されていました。その方は愛情深い養父母にもらわれて、とても大切に育てられたのですが、やっぱり実の親のことを知りたいと思って自分なりに色々と調べてみた。そんな話を聞くと、本当に何とも言えない気持になりますが、そういう人間的な思いは別としても、ユダヤ人にとって、系図というのは、最初に申し上げましたように、何よりも大切なものだったんです。それは、自分が神に選ばれた民の末裔であるということを証しする、自らのアイデンティティ(存在証明)そのものであったということだと思います。
2. 素晴らしい王ダビデ
それでは、ダビデ王の生涯はどうだったかというと、彼は確かに、この後の聖書を読んでいくと、善王の基準とされるような素晴らしい王でした。また、それ以上に、後にはイエス様の祖先ともされた偉大な王でした。ただ、それでは、ダビデ王は、サウルのような失敗はしなかったか、罪は犯さなかったかというと、決してそんなことはないんですね。ダビデも数々の恐ろしい罪を犯しています。ダビデというと、どうしても少年の頃のエピソードを思い浮かべる方も多いと思いますが、あのペリシテ人の大男ゴリヤテを石投げと石一つで打ち倒したという。「Ⅰサムエル」の17章に記されています。確かに、彼は偉大な王でしたが、それと同時に、私の印象は、「光あるところに影がある」というか、とても光と影のコントラストがはっきりした人物だったように思うんです。まぁ、だから、あのような素晴らしい詩篇の数々を残せたのかもしれません。ダビデの詩篇を読んでいると、時々、ドキッとするような、「よく、こんなことまで言うよね?」と驚くようなえげつないことばが書き連ねられていますが、それらのことばも含めて、彼の人生というか、ダビデなんだなぁと思うんです。なぜなら、特に彼の後半生は目を覆いたくなるようなことの連続でしたから。自分に忠誠を尽くす家来であったウリヤを騙し、卑怯な方法で抹殺して、その妻バテ・シェバを奪い取ったり、息子アブサロムの反乱に遭い、頭を覆い、泣きながら、本当に惨めな姿で都落ちしたとか。私は、ひねくれているのか、いつもダビデというと、その最晩年の姿が頭に浮かんでくるんです。「Ⅰ列王記」1章1節。
『ダビデ王は年を重ねて老人になっていた。そのため衣をいくら着せても温まらなかった』(Ⅰ列王1:1)。
この年老いたダビデの姿こそ、彼の晩年の苦悩というものを何よりも物語っているのではないでしょうか。サウル王は、確かに、今朝の箇所にあったような悲劇的な死に方をしましたが、見方によっては、彼は、ダビデのように息子たちの裏切りに遭うこともなく、戦場で、文字通り、刀折れ、矢尽き、「もはや、これまで!」と全力を出し切って死んでいった、とも言えると思うんですね。聖書は、今朝の後半、10~12節で、サウル王の死にまつわる短いエピソードを残してくれています。それは「Ⅰサムエル」11章にある、かつてヤベシュ・ギルアデがアンモン人に攻められ、窮地に陥った時、サウル王によって救われたことにヤベシュの人たちが大きな恩義を感じていて、その恩返しをしたという話です。ですから、サウルの生涯もまた、ダビデの生涯と同じように、光もあれば影もあったのです。
<結論>
ただ、最後に一つだけ言えるとすれば、今朝の開会聖句。
『もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます』(Ⅰヨハ1:9)。
今朝のテキストの最後の13~14節にも次のように書かれていました。
『このように、サウルは主の信頼を裏切った不信の罪のゆえに死んだ。彼は主のことばを守らず、霊媒に伺いを立てることまでして、主に尋ねることをしなかった。そのため、主は彼を殺し、王位をエッサイの子ダビデに回された』(Ⅰ歴代10:13~14)。
問題は、サウルが、主に尋ねることをしなかったということです。これは、「聖書のなかの残念な人たち」の代表とも言える、あのイスカリオテのユダも同じです。ユダとペテロや他の弟子たちとの違いも、今朝のサウル王とダビデ王の違いと似ているように思えます。それは、罪を犯すことが問題なのではなく、主に尋ねることをしなかったことが問題だということです。最後に、「ヨハネ」3章16、17節をお読みして、今朝のメッセージを閉じたいと思います。
『神は、実の、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである』(ヨハ3:16~17)。
会衆讃美
開会祈祷後:新聖歌22番、メッセージ後:新聖歌35番
聖書交読
詩編126篇 1~8節
2025年教会行事
6月11日(水) オリーブ・いきいき百歳体操 (10時~11時)
#57-2976