わたしの家は祈りの家と呼ばれる

令和5年5月8日(月)より新型コロナウイルス感染症が5類感染症へ移行することに伴い、礼拝での規制を緩和します。具体的には、会衆讃美は全節歌唱する、省略していた聖書交読を復帰し、司会者朗読→会衆朗読を交互に行います。
なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。

メッセージ

<歴代誌Ⅰ 17章1~5節>
牧師:砂山 智

開会聖句

そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしている。」

<マタイの福音書 21章 13節>

メッセージ内容

Youtube動画

 

公開が遅れて申し訳ありません。 メッセージ動画公開:7/5 PM 6:44
 


 メッセージ原稿を公開しました。  

<序論>
・「Ⅰ歴代誌」からの三回目です。先週、お話ししましたように、本書の中心的な事柄の一つはエルサレム神殿の建設です。今朝のテキストにはそれが建てられるきっかけとなった出来事が描かれています。私はイスラエルに行ったことはありませんが、旅行会社などが撮影したと思われるエルサレムの写真には、金色をした大きなドーム(モスク)がよく写っています。「岩のドーム」と呼ぶそうですが、そこが、かつてエルサレム神殿があった場所です。その神殿が完成したのは、今朝の話の少し後のソロモン王の時代、紀元前10世紀中頃です。しかし、紀元前586年にバビロンによって破壊され、イスラエル(南ユダ)は捕囚の民とされます。けれども、その70年後、ペルシアのキュロス王によって解放され、祖国に帰還した民によって神殿は再建されます(第二神殿)。紀元前515年のことと言われています。そして、イエス様の時代には、その第二神殿をヘロデ大王が大規模に改修したものが建っていました。そのヘロデの神殿も紀元70年のユダヤ戦争で完全に破壊されてしまいます。そして、600年ほど後の紀元690年になって、今の「岩のドーム」が建てられました。現在、そこはイスラム教の第三の聖地とされているそうです。紀元690年と言えば、日本では天武・持統天皇の時代なんですが、なにか壮大な歴史の流れを思わされます。

<本論>
1.NOと言われた主

私は歴史が好きで、また聖書を読み始めてずいぶん経ちますが、正直、牧師になるまでは、そのようなエルサレム神殿の歴史について、あまりよく知りませんでした。メッセージでは何度か聞いたと思うのですが、関心が無かった、と言ったら怒られるかもしれませんが。先程、お話しした日本の古代史については、一時期、はまったと言うか、何冊も本(小説)を読んだことがありました。ただ、教団の神学校に入学してみて、特にある神学的な立場に立つ人たちにとっては、エルサレム神殿というのはとても関心のあるものなんだということを知りました。来月は「黙示録」からですので、もしかしたら、そんな話もさせてもらうかもしれません。
さて、今朝の話には預言者ナタンが登場しますが、彼は、当時の宮廷に仕える預言者で、ダビデ王に対しては宗教顧問のような立場にありました。後のバテ・シェバ事件でも重要な働きをするのですが、ダビデ王はそのナタンに次のように話しかけます。

『「見なさい。この私が杉材の家に住んでいるのに、主の契約の箱は天幕の下にある。」』(Ⅰ歴代17:1b)。

これは要するに、私は主のための家(神殿)を建てたいと考えている、ということですね。そのダビデ王のことばに対してナタンは次のように答えます。

『「あなたの心にあることをみな行いなさい。神があなたとともにおられるのですから。」』(同17:2b)。

ナタンはダビデの考えにYESと賛同したんです。しかし、その夜に、主からナタンに啓示がありました。その内容は4~14節にあった通りです。それは要するに、神はNOと言われたということです。ただ、ダビデにはNOでしたが、ソロモンにはYESだった。それがなぜかということについては少し後の28章3節で述べられていますが、今朝の場面では、根本的に、神は神殿というものをどのように考えておられるのかということが述べられます。それは大きく三つに要約できると思います。
まず一つは、5~6節にあった通り、神は民とともに住まわれる方であり、イスラエルとともに旅をする方だということです。つまり、そんな神にとって、私たち人間のような住まい、神殿など、そもそも必要ないということです。二つ目は、7~10節。神を礼拝する民の務めは、自ら神のために何かをすることではなく、神のみこころに従うことだということです。つまり、神は人間からお世話されないといけないような方ではなく、神の方が私たちのお世話をしてくださる。神が私たちを支え、導き、祝福してくださるのだから、その方のみこころを聞き、そのみこころに従ってゆくことこそが、神の民にとってのすべてだということです。そして三つ目は、10節後半~14節にあったように、神の関心は神殿という建物にあるのではなく、ただ、ご自分の王国を建て上げることにあるということです。11,12節で、神は、「わたしは~彼の王国を確立させる」「わたしは彼の王座をとこしえまでも堅く立てる」と言っておられますが、最後の14節では、「わたしは、わたしの家とわたしの王国の中に、彼をとこしえまでも立たせる」と言っておられます。つまり、神がお立てになると約束された王国というのは、ダビデの王国ではなく、ソロモンの王国でもなく、神ご自身の王国であり、その彼とは、もちろんイエス様のことですよね。キリスト者にとっては。

2. ダビデ王の祈り

そして、今朝の箇所の後にはダビデ王の応答の祈りが記されています。ダビデは、神からの祝福の約束を信仰と感謝をもって受け止め、次のように祈ります。

『ダビデ王は主の前に出て、座して言った。「神、主よ、私は何者でしょうか。私の家はいったい何なのでしょうか。あなたが私をここまで導いてくださったとは。神よ。このことがあなたの御目には小さなことでしたのに、あなたはこのしもべの家について、はるか先のことまで告げてくださいました。神、主よ、あなたは私をすぐれた者として見てくださいます』(Ⅰ歴代17:16~17)。

ダビデ王はへりくだり、まるで小さな子どものように神の恵み深さに感謝し、喜んでいます。そして、次のように主に願います。少し飛んで23節。

『今、主よ。あなたが、このしもべとその家についてお語りになったことばを、とこしえまでも真実なものとし。お語りになったとおりに行ってください』(同17:23)。

イエス様の母とされたマリアも

「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように」(ルカ1:38)

と祈りました。あの「主の祈り」の最初も同じです。

「天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。」(マタ6:9~10)。

イエス様はその後で、あなたがたの必要を祈りなさい、と教えてくださいました。その優先順位を逆転しがちな私たちですが、まず、「あなたのおことばどおりに行ってください」と祈りましょう。

<結論>

そして最後に、今朝の開会聖句ですが、これは、あのイエス様の「宮きよめ」と呼ばれる場面で語られたみことばです。このみことばを読んでいて、パウロの次のようなことばを思い出しました。

『あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか』(Ⅰコリ3:16)。

パウロがこの手紙が書いた頃はエルサレムの神殿もまだ破壊されてなかったみたいですが、パウロは、あの神殿よりも大いなるものがある。それは、神の御霊が住んでおられるあなたがたなんだよ、と言っているように思えます。なぜなら、「へブル」を読めばよく分かりますが、旧約の律法で定められた神殿やそれにまつわる祭儀は、全て実物の影のようなものだと聖書は言っているからです。神殿という建物も影であって、私たちこそが神の宮の実物だということです。そして、神殿に至聖所というものがあったように、私たちの内にも至聖所と呼べるようなところがあるんです。そのことを、北村透谷という、明治の初期に生きた評論家・詩人で、当時の自由民権運動の中でキリストと出会い、キリスト者となった人ですが、彼は次のように表現しています。

「人の心には、他人から分かる部分もあるが、その奥にある秘宮の扉はなかなか開くことができない。しかし、もしその心の奥の秘宮が開かれ、「火の洗礼」を受けるという事件が起これば、神様の御心に生きることができるようになる」(「各人心宮内の秘宮」より)。

この透谷のことばを紹介しておられた恵泉女学園大学教授の塩田明子先生は、その後で次のように書いておられました。

「私たちは、他人に自分のしたことを言いつくろうことができるし、時には自分に対してさえ、正当ないいわけをする事ができます。でも、ひとたび神様の前に出て、神様と向き合うとき、私たちの心の奥の扉は、思いもかけず開かれるのです。」

御霊が住まわれる神の宮とされた私たち。心の奥の扉を開いて、祈りを献げましょう。

メッセージ原稿のダウンロード(PDF96KB)

会衆讃美

開会祈祷後:新聖歌191番、メッセージ後:新聖歌442番

聖書交読

詩編127篇 1~5節

2025年教会行事


6月18日(水) オリーブ・いきいき百歳体操 (10時~11時)

#57-2977

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