神との対話

令和5年5月8日(月)より新型コロナウイルス感染症が5類感染症へ移行することに伴い、礼拝での規制を緩和します。具体的には、会衆讃美は全節歌唱する、省略していた聖書交読を復帰し、司会者朗読→会衆朗読を交互に行います。
なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。

メッセージ

<ガラテア人への手紙 4章6節>
MB寝屋川キリスト教会牧師:大山 明

開会聖句

またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは、何でもそれをしてあげます。父が子によって栄光を受けるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるのなら、わたしがそれをしてあげます。

<ヨハネの福音書 14篇13~14節>

メッセージ内容

Youtube動画


公開が遅れて申し訳ありません。 メッセージ動画公開:9/13 AM 9:05

なお、今回はメッセージ内容に応答する讃美・新聖歌481番までを収録しています。


 


 メッセージ要約を公開しました。  

1.父なる神への祈り(ガラテヤ 4:6)

ガラテヤ 4:6にある「アバ」とは、幼い子どもが父親を呼ぶ時に使うことばで、「パパ」「おとうちゃん」といった感じの呼びかけです。わたしたちの祈りの対象は遠い存在の神ではありません。親しみを込めて「パパ!」と呼びかけられる、近くにいる神に向かって祈るのです。神は世界のすべてを創造し、支配している偉大なお方です。その神が、宇宙のちりのようなちっぽけな私たちの祈りを聞いてくださいます。小さな私たち一人ひとりのことを神は気にかけてくださっているのです。

2.イエスの名によって祈る(ヨハネ 14:13-14)
ヨハネの福音書 14-16章で、イエスは「わたしの名によって求めなさい」とくり返し語っています。イエスの名によって祈るようにと命じているのです(ヨハネ 14:13-14)。私たちは祈りの最後に「イエスさまの御名によってお祈りします」とよく言いますが、そういうことではありません。新約聖書の半分を占めるパウロが書いた手紙には祈りがたくさん出てきますが、「イエスの名によって祈ります。アーメン」という箇所はありません。
「イエスの名によって祈る」とは、神の御子イエスの権威によって祈るということです。私たち自身には聖なる神の前に出る力も権威もありません。罪を持つ私たちは、本来なら神に近づくことができません。その私たちが神に近づき祈ることができるのは、イエスの十字架の死と復活を通して罪が赦されたからです。イエスを通して、私たちは神の御前に出ることができ、神に受け入れられる者となったのです。
そして御子イエスの権威を持つということは、時代劇『水戸黄門』で徳川家の水戸光圀の側近が持っていた印籠のようなものです。印籠にある徳川家の家紋を見た時、人々は恐れひれ伏しました。印籠に徳川家の権威が示されているのです。
私たち自身には力も権威もありませんが、私たちはキリストの印籠を持っています。キリストの権威がわたしたちに与えられているのです。だからこそ神に近づき、神に祈ることができるのです。それがイエスの名によって祈るということです。
ですから祈る時には最後ではなく、最初に「御子イエスの名前によって祈ります」と言って始めてもよいでしょう。また「イエスの名によって」と言わないで祈る時もあるでしょう。私たちは御子イエスを通して罪を赦され、神に受け入れられている。イエスの権威が与えられている。だから神に祈れるのだということを忘れないようにしましょう。これは私たちクリスチャンに与えられている素晴らしい特権です。

3.祈りとは?
神は、私たちの必要をすべて知っておられます(マタイ 6:8)。だから祈らなくてもいいということではありません。なぜなら私たちが祈るのは自分の必要を神に知らせるためではないからです。祈りとは私たちが神を信頼していることを表すものです。神を頼っていることを、はっきり示すために祈るのです。
神と私たちとの関係は親子の関係に似ています。神は私たちが祈る前から私たちの必要を誰よりもご存知です。それでも祈ることが大切なのは、祈りは神との対話(コミュニケーション)だからです。祈りを通して神を信じ、神を頼っていることを表すのです。言い換えれば、神を信じていなければ祈ることはできません。自分の力でできると思っている時は、祈ろうとしないでしょう。「自分の力はたかが知れている。神の助けがどうしても必要だ」という真剣な思いが祈りにつながります。神を信じ頼っているからこそ、助けを求め、必要を満たしてくださいと願って祈るのです。その祈りに応えて神は必要な助けを与えてくださいます。そして何よりも神がそのようなコミュニケーションをわたしたちに求めておられるのです。

4.なぜ祈るべきか?(ヨハネ 14:13)
ヨハネ 14:13で、イエスはなぜ祈るべきかを教えています。私たちの祈りに神が応えてくださるとき、父なる神が栄光をお受けになるのです。教会では「神の栄光が表されるように」とよく言いますが、これは「父なる神の素晴らしさがはっきり示されるように」ということです。神が私たちの祈りに答えることによって、神はご自分がどのようなお方であるかを示されます。神がどんなに力強く、また愛に満ちたお方であるか。神がどんなに素晴らしいお方であるかを、祈りを通して私たちは知ることができるのです。なぜなら私たちが祈っている神は、生きて働かれ、この世のすべてを支配している偉大なお方だからです。そして、私たち一人ひとりのことを誰よりも気遣ってくださっているからです。私たちはこの神に、イエスの権威によって「パパ」と親しく呼びかけ、祈ることができるのです。神に祈れることはとても素晴らしいことです。そのように祈れるのは、.子イエス十字架で私たちのために死なれ、よみがえられたからだということを心に留めましょう。そして幼い子どもの気持ちになって、「パパ」と神に向かってぜひ呼びかけてください。

メッセージ原稿のダウンロード(PDF83KB)

会衆讃美

開会祈祷後:新聖歌421番、メッセージ後:新聖歌481番

聖書交読

詩編138篇 1~8節

2025年教会行事


9月3日(水) オリーブ・いきいき百歳体操 (10時~11時)

#57-2988

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