なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。
メッセージ
<ローマ人への手紙 5章8節、ピリピ人への手紙 2章13節、ヨハネの福音書 15章16節>
MB平野キリスト教会牧師:笹田 文章
開会聖句
しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。
<ローマ人への手紙 5章8節>
メッセージ内容
Youtube動画
公開が遅れて申し訳ありません。 メッセージ動画公開:9/27 PM 9:10
今回はメッセージ動画が2本に分かれています。上の動画から順にご覧ください。
メッセージ要約を公開しました。 2025/11/1
ハレルヤ!主の御名を讃美いたします。
私は、日本メノナイトブレザレン教団平野キリスト教会の笹田文章です。
今日は、「人生を変えるイエス・キリストとの出会い」というタイトルでメッセージさせていただきます。
私は、39年前の1986年3月に、北海道のメノナイト帯広キリスト教会で洗礼を受けて公にクリスチャンとなりました。
でも、生まれは、北海道ではなく、大阪市西成区で、阿倍野区に引越しし、高校まで阿倍野区にいました。
今思えば、キリストを信じる前は、自分だけが良ければいいという罪深い生き方をしてきました。
というのは、高校時代に自分勝手に考えていたことですが、人が多くてトップに立つ確率が低い大阪、そして狭苦しい大阪で、そこそこの結果を残す人生より、広くて人の少ない所に行って大きな結果を残してビッグになりたいという野心が大きくなりました。
それがだんだん北海道で牧場を経営する夢となって、帯広の畜産大学で酪農経営を学び、一年間アメリカの農場で実習もしました。
しかし、現実は甘くなく、資金面の問題や能力的にも上には上がいるということを思い知らされました。結局、ここでもそこそこの結果しか残せないのかという思いに悩み苦しんでいる時、サークルの友人が明るく幸せそうにしているので、その理由を聞いてみると、もうすぐ洗礼を受けてクリスチャンになるということを聞き、「おれも教会に行く」と声にしてしまったことが教会に行くきっかけとなりました。
小学生の時、何回か教会学校に行っていたこともあり、教会に行く敷居が低かったことも幸いしました。
卒業までの1年半ほど教会に行って聖書も知識として学んで、生きる目的を見つけて就職できたら教会も卒業しよう、但し絶対、洗礼だけは受けないようにしよう、と自分勝手に決めていました。
そんな感じで、1年ほど教会に通っていた頃、自分にとってショッキングな出来事を経験しました。
大学では学科を主席で卒業することは大変名誉なことであり、私も目標にしていましたが、その夢を無残に打ち壊すほど優秀なクラスメートの存在によって、自分はここでも、そこそこの人間なのかと悩んで教会に行ったわけですが、その主席間違いなしと言われていたクラスメートの彼が卒業を目前に自死してしまいました。
私にとってうらやましいを思わせるほどの存在だったのに、両親にごめんなさいという遺書だけを残し自ら命を絶ってしまったのです。自分達には何かが原因なのかさっぱり分かりません。葬儀の間中、どうしてなんだとそればかり考え、生きる目的について、さらに分からなくなっていました。
そして次の日曜、教会に来ている人たちに思い切って、この苦しい胸のうちを告白しました。
教会の人たちは、こんな私を慰め、励まし、何名の方からは手紙までいただきました。彼らの励ましの内容で、共通していたのは、「人の悩みを一番分かっているのは、イエス様だよ」ということでした。
そして、今まで以上に聖書を読み、自分なりに少し祈るようになりました。
すると、就職の話が来たのです。それも決断しなければならないことなので、聖書を読んでから祈ろうと、マタイの福音書から読み進めていた新約聖書の箇所がローマ人への手紙5章8節
「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」
という箇所で、その時はっと気づいたのです。自分が罪人であるということを。そして、イエス・キリストに愛されていたことを。
この時、私はイエス・キリストと出会ったのです。そして、信じました。
それまで、信じるのは自分自身であったということ、自分の力で大きな結果を残そうともがいてきたこと、そのような生き方そのものが自分を神とし神のようになろうとすることであり、自分が神になるということは、この自分という存在を造りいのちを与えてくださった神様に対する大きな罪だったんだと分かってきました。
そのことを教会で告白し、卒業前に帯広教会で洗礼を受けるように導かれました。
そして、北海道の中標津町で農協連職員として就職し、クリスチャンの女性と結婚し、二人の子どもも与えられ、暖かいマイホームも与えられ、ちょうどそのころ人気のあったテレビドラマ「北の国から」に出てくるような人々が仕事でもプライベートでも回りにいるところで暮らしていました。
ところが、今から26年前、本来なら長男の私が継ぐこともできた実家の家業を継いでいたのが妹で、その妹が脳腫瘍で手術し、後遺症のため長期のリハビリが必要なことが分かり、主に祈る中、ピリピ人への手紙2章13節
「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。」
という御言葉が与えられ、北海道の生活に区切りをつけて大阪に帰るよう導かれました。
帰ったから分かったことが実家の事業は妹が病気にならなくても、バブル後の不況で危機的な状態だったということです。それでも、自転車操業ながらも何と危機を乗り越えることができました。それもつかの間、大きな得意先が事業縮小となり、そのあおりを受けるともはやそれを乗り越える力はありませんでした。主に祈りながら、残りの事業を同業者に譲り、店をたたむ決断を父に勧めました。
それは辛いことでしたが自分の役割であると神様の導きがあったのでできました。
そして、自分自身も再出発のため祈りました。
すると、当時の平野キリスト教会黒川牧師の勧めと祈りもあり、私も祈る中で、ヨハネ の福音書15章16節
「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。」
という御言葉があたえられ、神学校で学び牧師になる思いが与えられました。
でも、素直に従えませんでした。負債の返済に必要な土地建物の売却が思うように進んでいなかったからです。親戚も保証人になっていたので、それだけは何とかしたいと思っていたのですが、買い手が何ヶ月も全然つかなかったです。このままで、牧師になる神学校に行くことは周りから責任逃れと思われるから無理だと自分自身そう思いました。
でも、神様は尊敬する黒川先生の口を通して、牧師になることが神様のみこころであると感じたのなら、無理のように思えても、神様のお考えに従いなさいと励まされ、神学校へ行く決心をしました。
すると、その数日後、問題の土地建物の買い手が現れたではありませんか、私はそのとき「これは神様が働かれている」そう確信して神学校に入りました。
ようやく実家の財産を処分し、私の北海道の家も処分し、負債を整理した結果、ほとんどすべてを失いましたが、破産しないで済んだのは神様のあわれみ以外の何物でもありません。こうして何の未練もなく、すべてを神様のためにささげる牧師の働きへと導かれたわけです。
そして、約20年間この働きをさせていただいております。
最後に、もう一度、ローマ人への手紙5章8節を拝読いたします。
「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」
人生を生きていると、順調な時もあれば、試練の時もあります。そして、試練になると私たちは「本当に主は私を愛してくださっているのか?そもそも神様は自分に関心がないか、存在自体がないのでは?」と疑う気持ちが起こります。
そのような時、今日の御言葉を告白して、イエス・キリストの愛に立ち返ってください。
なぜなら、私が、あなたがまだ主に関心がなく、背を向けていた罪人であったときに、イエス様が、そんなあなたの罪のために死んでくださったことにより、神はあなたに対するご自身の愛を明らかにしてくださったからです。
『罪人のままのあなたのために死んでくださった』という無条件の愛です。
それは、まさに愛される資格がないにも関わらずという無条件の愛です。
愛される資格のない者にとっては、罪人のままの自分を愛さないか、それとも愛するかは、すべて相手側の判断によるもので、自分ではどうすることもできないのです。
イエス様は、自分のために死んでくださることで、御自身の愛を明らかにしてくださいました。
それは、あなたがイエス・キリストと出会ったから、明らかにされた愛ではありませんか!
人はまことの神様に出会い、従うとき、生まれ変わり、新しい生き方をするようになります。
私もその体験をしたわけです。あなたも体験しましたか!
主に栄光をお返しいたします。
会衆讃美
開会祈祷後:新聖歌346番、メッセージ後:新聖歌429番
聖書交読
詩編146篇 1~10節
2025年教会行事
10月29日(水) オリーブ・いきいき百歳体操 (10時~11時)
#57-2996
Comments are closed