なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。
メッセージ
<マタイの福音書 9章9~13節>
MB寝屋川キリスト教会牧師:大山 明
開会聖句
イエスが家の中で食事の席に着いておられたとき、見よ、取税人たちや罪人たちが大勢来て、イエスや弟子たちとともに食卓に着いていた。
<マタイの福音書 9章10節>
メッセージ内容
Youtube動画
公開が遅れて申し訳ありません。 メッセージ動画公開:1/24 PM 10:39
今回はメッセージ動画が2本に分かれています。上の動画から順にご覧ください。
メッセージ要約の公開をいましばらくお待ちください。
1.取税人や遊女を招いたマタイ(9:9-10)
取税人のマタイがイエスの弟子となり、マタイはイエスを自分の家に招いて宴会を行いました。そこには取税人や罪人と呼ばれる遊女(売春婦)もいたのです。
当時の地中海世界はローマ帝国の支配下にありました。そして税の徴収は現地の取税人が行いました。取税人になるためにはローマ帝国が行う入札で落札して権利を得る必要がありました。取税人になるとローマ帝国に納める税金を人々から徴収し、定額を納めれば残金は自分のものにできたのです。取税人は裕福になれましたが同胞のユダヤ人からは裏切り者として嫌われました。ユダヤ人は神に選ばれた民という意識が強く、ユダヤ人以外の異邦人とは仕事以上の交流をできるだけ避けていたからです。
しかし同じ取税人とは友だちになれました。また取税人と同じように罪人として嫌われていた遊女とも交流がありました。彼らにはたくさんのお金があったかもしれませんが、寂しかったのでしょう。だからマタイはイエスの弟子になれたことが嬉しくて、家で宴会を行ってイエスと弟子たちを迎え入れ、さらに友人の取税人や売春婦をたくさん招いたのです。
2.取税人や遊女と食事をしたイエス(9:11)
ところがその様子を見たパリサイ人は不快に思い、「なぜあなたがたの先生は、取税人たちや罪人たちと一緒に食事をするのですか」と言いました(9:11)。パリサイ人とは当時のユダヤ教の宗派のひとつであるパリサイ派の信者です。パリサイ派は神が定めた戒めである律法を守ることを大切にしていました。ですから取税人や遊女と仲良くするなど考えられなかったのです。それで人々を教え導こうとしている者がそんなことをするのはおかしいとクレームを入れました。ところがそれを聞いたイエスはこう言ったのです。
イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」 マタイ 9:12-13
3.罪人を招くイエス(9:12-13)
「病人」や「罪人」とは人々から嫌われていた取税人や遊女、「丈夫な人」「正しい人」とはパリサイ人のことです。正確にはパリサイ人は「自分を丈夫で正しいと思っている人」です。彼らは律法を守ろうとしていましたが、その一方で取税人や遊女を見下し、自分は正しいと高慢になっていたからです。彼らも霊的には罪人でしたが、その自覚は全くありませんでした。
しかしイエスはパリサイ人のように正論を唱えるのではなく、「罪人」と呼ばれる人たちと食事をし、寂しさを感じている彼らの友人になろうとしました。私たちもイエスのように周りの人と一緒に時間を過ごして友だちとなり、相手が抱えている痛みや悩みを知り、その必要に応えようとすることが必要です。それこそが神の愛と平和を分かち合うための第一歩だからです。
イエスは9:13で旧約聖書(ホセア6:6)を引用して、ほんとうに大切なことを教えています。「いけにえ」とは神の前に動物を献げて礼拝することで、宗教的な行為を指しています。いけにえを否定しているわけではありませんが、それよりも真実な信仰、愛、誠実さを私たちに求めているのです。
パリサイ人にはその点が著しく欠けていました。取税人や遊女が悔い改めて神に従おうとする姿を見ても喜ぼうとせず、彼らと一緒に食事をしたイエスを責めることしか頭にありませんでした。パリサイ人は目に見える部分の正しさしか求めていなかったのです。
私たちはどうでしょうか。私たちも神に従って熱心に礼拝し、祈り、奉仕をし、ささげものをしているかもしれません。しかしそこに真実な愛がなければ何の意味もありません。ほんとうに神を愛し、神を信じているのであれば、宗教的行為だけでなく、他の人に対する愛や思いやり、優しさも生まれるはずです。
4.神の愛を友と分かち合う共同体
私たちは地域に開かれた教会でありたいと考えています。しかしそれは教会の中にいて誰かが来るのを待つということではありません。私たちが地域に出て行き、そこで出会った人と友人になり、一緒に時間を過ごして交流を深め、神の愛と平和を分かち合うことが求められているのです。
またクリスチャン同士でも時間を一緒に過ごして親しい関係を築き、痛みや悲しみを分かち合い、互いに支え合います。教会の中でも神の愛と平和を実現するのです。それが神の民である共同体の交わりです。
教会に初めて来る人の数よりも、教会に初めて来た人がどう感じるかを考えましょう。特別なことでなくても構いません。教会に足を踏み入れるだけでも勇気が必要です。だからその人の立場になって接してください。また教会の外で出会った人とも雑談から始めて友だちになってください。
私たちの信仰の原点はエルサレム郊外の十字架が立てられたカルバリの丘にあります。まさにイエスご自身が真実の愛を、命をもって私たちに示してくださいました。だからこそ、イエスが愛してくださったように私たちも互いに愛し合いましょう。イエスが与えてくださった神の平和(シャローム)を互いに分かち合いましょう。
会衆讃美
開会祈祷後:新聖歌216番、メッセージ後:新聖歌218番
聖書交読
箴言 23章1~8節
2025年教会行事
1月21日(水) オリーブ・いきいき百歳体操 (10時~11時)
#57-3008
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