左の手に知られないように

令和5年5月8日(月)より新型コロナウイルス感染症が5類感染症へ移行することに伴い、礼拝での規制を緩和します。具体的には、会衆讃美は全節歌唱する、省略していた聖書交読を復帰し、司会者朗読→会衆朗読を交互に行います。
なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。

メッセージ

<マタイの福音書 6章1~4節>
宣教師:額賀 潤二

開会聖句

あなたが施しをするときは、右の手がしていることを左の手に知られないようにしなさい。あなたの施しが、隠れたところにあるようにするためです。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

<マタイの福音書 6章3~4節>

メッセージ内容

Youtube動画

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 メッセージ要約を公開しました。 

テーマ: 隠れた所におられる父なる神との関係と、キリスト者の誠実な歩み
聖書箇所: マタイの福音書 6章1節~4節

① タイの「タンブン」と善行の考え方

信仰とはどのようなものでしょうか?
2節「私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。」ここに信仰の要因が書かれています。
神は恵に富み、平安の方です。 タイの宗教観: 仏教国タイでは、善行(タンブン)によって徳を積み、現世の幸福や来世の良き転生を願う。
文化的特徴: 善行を周囲にアピールすることが一般的であり、助けられた側も「相手が徳を積めて良かった」「助けてもらって当然」と考える。

②善行の動機を問う(マタイ6:1-2)
人に見せるための善行の危うさ: 人前で善行を行う動機が「賞賛」にあるなら、それは神の栄光を自分のものにすることであり、天の父からの報いはない。
「ラッパを吹く」偽善者: 当時のユダヤ社会の比喩。自分の満足のために行う善行は一時的な満足や優越感をもたらすが、長くは続かず次の満足を欲しくなり空しい人生となる。

③「左の手に知られないように」の意味(マタイ6:3)
別人格としての両手: 「右の手」が行うことを「左の手」が知らない、という極めて困難な教え。
純粋な動機: 「ただあの人を助けたい」という単純な愛から出た行為は、それを「善行」とすら認識しないため、自慢や宣伝の対象にならない。

④ 隠れた所で見ておられる父(マタイ6:4)
「隠れた所」とは: 私たちの内面性、秘密の場所。
父なる神の報い: 人目につかない場所での真実な歩みを、神は見ておられ、報いてくださる。
偽善者(俳優)との対照: 宗教的な形式を「演じる」者ではなく、神に創造されたそのままの自分として神の前に立つことの重要性。

⑤結論:神に創造された自分自身を回復し神と人の前で誠実に歩む
背伸びをしない信仰: 評価社会の中で演じることをやめ、神の愛の中で「素の自分」で生きる。
罪びととしての絆: 弱さや罪を認め合い、仮面を脱いで互いに祈り合う、飾らない福音宣教への招き。

メッセージ原稿のダウンロード(PDF60KB)

会衆讃美

開会祈祷後:新聖歌176番、メッセージ後:新聖歌432番

聖書交読

詩編 4篇1~8節

2026年教会行事

今週の集会はお休みです。

#58-3015

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