なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。
メッセージ
<ヨハネの福音書 6章1~15節>
牧師:砂山 智
開会聖句
イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。
<ヨハネの福音書 6章35節>
メッセージ内容
Youtube動画
メッセージ動画公開:2/11 PM 5:30
メッセージ原稿を公開しました。
<序論>
・先週の説教で、「ヨハネ」には独自の記事が多いとお話ししましたが、今朝の物語は四つの福音書すべてが記録しています。それは、この奇跡が、福音書の時代に生きた人たちにとって非常に大きな慰めであり、彼らの信仰の原点と言えるものであったということを示していると思います。初代教会の人たちは、厳しい迫害に遭い、何度も「もう、だめだ。もう、これ以上、無理だ」と挫けそうになったことでしょう。しかし、そんな時、彼らを元気づけ、再び立ち上がらせてくれたのが、今朝の五つのパンと二匹の魚の物語だったのではないかと思うのです。
1.ガリラヤ湖の向こう岸に
一つ前の5章1節を見ると、イエス様は、ユダヤ人の祭りがあってエルサレムに上られたとあります。このユダヤ人の祭が「過越の祭」であったかどうかについては、はっきりしないのですが、今朝の6章の舞台はガリラヤですので、イエス様は、その祭りの後、エルサレムから戻り、ガリラヤ湖周辺を巡って宣教に専念されたようです。それは、イエス様の公生涯(宣教)の第二年、年代で言うと、紀元31年3月~32年4月迄のことであったと思われます。この年は、行く先々で、イエス様のもとに大勢の群衆が押し寄せて来るほどの人気絶頂の年であったと言えます。それはなぜかというと、今朝の2節で言われているように、行く先々で多くの奇跡を行われたからですね。四つの福音書からそれらの奇跡の正確な順番を特定することは困難ですが、このイエス様人気が絶頂に達したと言える年に、先週の説教でお話ししたバプテスマのヨハネは投獄されます。それは、「マタイ」や「マルコ」の記事によると、パレスチナの領主ヘロデ・アンティパスが兄弟ピリポから奥さんのヘロディアを奪って自分の妻としたことをヨハネが非難したためでした。後世になって、「サロメ」というタイトルで多くの絵画や戯曲のモチーフとされましたが、ヨハネは首をはねられ、殺されてしまいます。今朝の箇所の少し前の3章30節にある、「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません」というヨハネ自身のことばどおりに、彼は自らの役割を終えようとしていたのです。「ヨハネ」にははっきりと書かれてはいませんが、「マタイ」の平行箇所を読むと、イエス様はヨハネが殺されたことを知って、何か思うところがあったのでしょう。一人、静かに祈ろうとされたとあります。それでガリラヤ湖の向こう岸にまで行かれたのですが、この時も大勢の群衆はイエス様を一人にさせてはくれませんでした。それが今朝の場面までの話です。
2.五つのパンと二匹の魚
4節には、『ユダヤ人の祭りである過越が近づいていた』
という著者ヨハネの説明があります。他の三つの福音書にはそんな説明はありませんので、これは、この出来事がいつのことなのかを推測できる貴重な情報と言えます。それが紀元32年のことであるとすれば、その年の過越の祭は4月13日で、イエス様が十字架で殺されるちょうど一年前の出来事ということになります。先週、お話ししたように、この福音書の著者であるヨハネは、イエス様が旧約で預言されたメシアであるということを、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」というバプテスマのヨハネの証言によって紹介しました。ですからヨハネは、今朝の話でも、イエス様の十字架と過越との関係性について言及しておきたかったのではないでしょうか。今朝のタイトルは、「いのちのパン」です。イエス様は「わたしがいのちのパンです」とおっしゃったのですが、改めてそのことばから、私は、あの「アンパンマン」を思い出しました。作者のやなせさんは、「ほんとうに正義と言えるのは、お腹を空かせている人に、パンのひとつでも分けてやることなんです」と、著書の中で書いておられますが、アンパンマンは、自分の顔をちぎってお腹を空かせている人に分け与えます。敵であろうと味方であろうと関係なく、見返りも求めません。あんぱんを食べる人を見届け、ヨロヨロと空に飛び立っていく。やなせさんは、その姿こそが「ほんとうの正義」「逆転しない正義」だと考えたのです。もしかしたら、やなせさんは、「わたしがいのちのパンです」というイエス様のことばをご存じだったのかなぁと思いました。今日は投票日ですが、日本にもアンパンマンのような政治家がいて欲しいですね。諦めずに清き一票を入れに行きたいと思います。
さて、今朝のテキストに戻りましょう。5節から、先週の話に出て来たピリポが登場します。イエス様はピリポに、「どこからパンを買って来て、この人たちに食べさせようか」と、相談とも独り言ともつかないようなことを言われましたが、興味深いのは、その後の6節です。
『イエスがこう言われたのは、ピリポを試すためであり、ご自分が何をしようとしているのかを、知っておられた』(ヨハ6:6)。
これも著者ヨハネの説明ですが、ピリポは、先週の
1章44節によると『ベツサイダの人で、アンデレやペテロと同じ町の出身であった』。
「地図で学ぶ聖書の歴史」を見ればよく分かるんですが、ベツサイダという町は、この奇跡が行われたガリラヤ湖北岸にある町でした。つまり、この辺りはピリポにとって勝手知ったる自分の土地だったわけです。イエス様はそのこともよくご存じで、あえて彼を試されたのではないでしょうか。けれども、ピリポは全く動こうともしないで、イエス様のことばを即座に否定します。
「一人ひとりが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」(同6:7b)。
脚注にあるように当時の一デナリは一日分の賃金に相当する金額です。ですので、彼が言った二百デナリのパンというのはかなりの量のパンということになるのですが、実際にこの時、そんな大量のパンがあったわけではなく、彼は、頭の中の計算だけで、「これだけ大勢の人がいるのに、とても無理ですよ」と否定したのです。また、側で聞いていた同じ町出身のアンデレも次のように答えます。
『「ここに、大麦のパン五つと、魚二匹を持っている少年がいます。でも、こんなに大勢の人々では、それが何になるでしょう。」』(同6:9)
前の訳では、「小さい魚」となっていましたが、大麦のパンもその魚(干物)も、当時の貧しい人たちのための弁当のようなものでした。ですから、アンデレもまた、「こんな物では焼け石に水だ。話にもならない」と否定的だったんです。しかし、イエス様は、その少年が持っていた僅かなパンと魚に目を留められました。そして、天の父に感謝の祈りをささげてから、それを皆に分け与えられた。すると、それは五千人以上の人たちを十分に満足させ、あり余るほどのものとなったのです。
<結論>
『イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません』(ヨハ6:35)。
先日、教団の牧師会が行われ、その冒頭で石賀満師が奨励を担当されました。先生は病気のために、この3月末で牧師を辞める決断をされましたが、「Ⅰテサロニケ」5章の、
『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい』
というみことばから、「喜怒哀楽から喜努愛(会)楽へ」というタイトルで話をしてくださいました。その中で、一番心に残ったのは、「今の自分は、人間的に見れば、嘆き悲しむことしかできないような状態だけれども、もうここまでくれば、「笑うしかない」と言うか、喜ぶという一択しか残されていないようにも感じる。それが、家族や身近な人たち、そして、天の父、イエス様への、自分ができるせめてものこと、精一杯のことだから」という。
私たちは、イエス様といういのちのパンをいただき、新しいいのちに生きる者となりました。イエス様のいのちが私のいのちになったのです。まさに、アンパンマンが飢えた人に自分の顔をちぎって分け与えたのと同じです。その与えられたいのちにふさわしく自分は生きているだろうか?石賀師の話を聞きながら思わされました。
新聖歌
開会祈祷後:新聖歌286番、メッセージ後:新聖歌505番
聖書交読
伝道者の書 3章 1~11節
2025年教会行事
今週の集会は祝日のためお休みです。
#58-3011