五体不満足

令和5年5月8日(月)より新型コロナウイルス感染症が5類感染症へ移行することに伴い、礼拝での規制を緩和します。具体的には、会衆讃美は全節歌唱する、省略していた聖書交読を復帰し、司会者朗読→会衆朗読を交互に行います。
なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。

メッセージ

<マタイの福音書 18章1節~10節>
藤井 義生 師

開会聖句

イエスは一人の子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、

<マタイの福音書 18章2節>

メッセージ内容

Youtube動画

動画公開をいましばらくお待ちください。



 


 メッセージ要約を公開しました。 

1970年の大阪万博の年に誕生した私は、2回目のの万博を終た所です。 56年生きて来たのですが、つくづく思うのは「誰が一番偉いか」という価値観が如何に社会に深く根付いているか、同時に自分の心に巣食っているかいるかです。

聖書の中で、イエス・キリストは神の子としての特権を誇示せず、周囲を「つまずかせないため」に謙虚に納税の義務を果たされました。また、当時は価値の低い存在とされた幼子を中央に招き、端に追いやられた存在をこそ重んじられました。

さらに、イエス様は、私たちの盲点を突きます。それは「自分自身をつまずかせない」という教えです。若い頃のように体が動かない、教会の奉仕が十分にできない、記憶力が衰えて聖句も思い出せない ……。そんな自分に対して「私はダメな人間だ、役に立たない」としてないでしょうか。驚くべきことに、自分の手足や目が自分自身を裁き、つまずかせてしまうことがあるのです。

そんな私たちに、今日、イエス様はこう語りかけます。「あなたの奉仕の能力が片手片足分であっても、五体不満足なままで良いから、いのちに入りなさい。知性が衰え、片目の状態であっても、そのままで良いのだよ」。

私自身は、アトピーという身体的な苦しみ(五体不満足な面)があったからこそ、神を信じ、牧師になる道が開かれたのです。もし健康優良児で何でもできる「五体満足」な人間であったなら、きっと神を必要とせず、いのちの道に入らなかったこどでしょう。

56年前、私の母は私の母子手帳をしたためていました。そこには、私が痒がっていたこと、食事をあまりとらず、イチゴしか(当時の藤井家には高級な!!)食べなかったことが書かれてあります。 56年経ちました。そんな私が、吹田市民のあなたにお伝えします。「いのちに入ってね、五体不満足ままでいいから。」

メッセージ原稿のダウンロード(PDF50KB)

会衆讃美

開会祈祷後:新聖歌425番、メッセージ後:新聖歌376番

聖書交読

詩編 32篇1~11節

2026年教会行事

今週の集会はお休みです。

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