人生は神からの賜物

メッセージ

<伝道者の書5章 18節~20節>
牧師:徳本 篤師

開会聖句

実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。

<伝道者の書5章 19節>

メッセージ内容

序文)

創世記のヨセフの物語にも登場するように紀元前3000年頃の古代エジプトにおいてすでに銀行業務が行われてい記録があります。当時は穀物がお金の機能を果たしていて、穀物倉庫が銀行のような役割をしていたと考えられます。地中海に開かれた大都市アレクサンドリアにある中央倉庫にはエジプト全土および地中海各地からの穀物が集約され管理されていました。その記録をもとに、当時の人々は穀物の取引をしていました。倉庫は単なる穀物の保管場所ではなく、現在でいう「「小切手」や「銀行振り込み」などの為替業務も担っていました。それは遠く離れた人に穀物の代金の支払いをする時に、お金や物を移動させることなく支払いを完了させることができました。
古代の銀行のもう一つの業務は「両替」でした。当時は地域ごとにさまざまな通貨が使われていたので、商業が発達するにつれて、地域間でのビジネスを円滑にするために両替が求められるようになったのです。銀行は異なる通貨を交換して手数料を得るというビジネスです。さらに両替だけでなく、集められた資金を貸し付けることも行われるようになっていきます。

本論) 賜物の意味の移り変わり
以上のような時代背景に立って今日の聖書のことばを理解できるようにしたいと思います。今日の個所に出てくる「賜物」(He)マッタスとは、「神から人への贈り物」をあらわしました。箴言では「人から人への贈り物」をあらわします。それから500年後のバビロン捕囚時代には「自分に与えられた仕事と責任」をあらわすように変わってきました。
さらに500年後のキリストの時代にはどのように変わったでしょうか。「タラントの譬え」の個所として有名なマタイ25章14節には「しもべに自分の財産を預けて旅に出ていく主人の物語として語られています。預ける(Gr)パラディドーミには管理責任を委託するという意味をあらわします。
そういう理由からマタイ25章21節でキリストは「あなたはわずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう」と語られたのです。任せる(G)カシステーミとは、ある仕事の責任者に任命する。とか、ある部署を設けて指定された担当を任せる。ことをあらわします。

適用)
1 私たちの生涯は自分だけのものではなく、神が私たちのために意図された贈り物なのです。

私たちの生涯は神に感謝して大事に守るべきものです。いつか元の所有者である神に返さねばならない時が来るのです。
例話)ある友人から練習のためにと頼まれてトランペット貸してあげたことがある。数年後ある事情があって突然それが返されましたが、ほとんど手入れがされていないのでピストンが錆付いて動かない状態でした。私は彼のような人には今後一切自分の大事な物を貸そうとは思いません。
この一年、神からの賜物としての自分を大事にしたいと思います。心と身体の手入れを怠らず、楽しむこと、きよめられることを追い求め、自分を傷つけるような悪しき行いから遠ざかるよう努力しましょう。それが神に喜ばれることです。

2 私たちの生涯はこの世の評価だけではない。神に対して負うべき責任があるということです。

神の基準はこの世の出来高をみる基準とはまるで違っています。
キリストは小さなことに対して忠実であることによって私たちの心の真価を問っておられるのです。
例話)私は字が下手なことが恥ずかしくて嫌だった。神学生の頃に桑田師と一緒に通信講座でペン習字を練習した。封筒の宛名、手紙を書くことが苦痛ではなくなりました。もう一つは、人前で話すのが苦手でした。緊張すると言葉がうわずってうまく喋れないのです。
ある本でアナウンサーが言葉を一言ずつ噛むように話す練習をしていることを知って、自分も練習しました。
人生が変わるのは、こうした小さなことの積み重ね、ヒントをつかむこと、人との出会いを活かすことだと思います。

3 私たちの生涯の楽しみはお金で買うのではなく、神の賜物である自分の手で造るものです。

昔ある時、宝くじを買ってみたいという誘惑に駆り立てられたことがありました。そのことを神が許されるのか祈りました。そのとき神が私の心に「お前の両手を上にかざしてみよ。その手は誰が与えたのか。お前のその手は一億以上の値打ちがあるではないか。」と諭された気がしました。
あるキャンプのスタッフが高校生に「1億円手にしたら何に使う」という質問を投げかけると、多くの生徒がまず半分は貯金して残りで海外旅行して、欲しいものを買いたい、と答えました。ほとんどの人が似たような返事ではないかと思います。私たちは1億円をうまく活用する知識や知恵が足りないのです。
私たちの両手は、実によく働きます。色んなものを作ったり、描いたり、料理を作ったり、楽器を奏でたり、手紙を書いたり、人を励ましたり、慰めたり、することができます。この手で自分も周りの人も幸せにすることができるのです。

今日の聖書にはこう書かれています。

「実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ」(伝道5章19節~20節)

応答)
この一年は神からあなたへの賜物です。あなたがそれを豊かに活用し、周囲の人々とともに幸せを積み重ねていくことを願い求めていきましょう。

メッセージ内容のダウンロード(PDF168KB)

新聖歌

開会祈祷後:4番、聖書朗読後:385番、メッセージ後:406番

聖書交読

エゼキエル書18:23節~32節

お知らせ

★本日の元旦礼拝は午前11時から開始します。礼拝後に出席者全員で記念撮影の時をもちます。
★本日の午後3時から堺中央キリスト教会においてMB新年聖会が行われます。講師は星田チャペル牧師、教団副議長の田中芳文師です。
★1月3日(日)礼拝後に本年最初の聖餐式を行います。
★6日(水)から水曜祈祷会および聖研祈祷会を再開します。

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