召しと志(こころざし)

メッセージ

<ネヘミヤ記 1章1~11節>
牧師:砂山 智 師

開会聖句

神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、
事を行わせてくださる方です。

<ピリピ人への手紙 2章13節>

メッセージ内容

<序論>  
・「ネヘミヤ記」は、元々、一つ前にある「エズラ記」と合わせて一つの書簡であったという説があります(違うという説もあります)。ただ、どちらの書簡も、書かれている内容は、「バビロン捕囚」から解放後のエルサレムにおける出来事です。「エズラ記」については、昨年4月の礼拝で取り上げました。エズラという人は、バビロン生まれの律法学者であり、祭司でした。「エズラ記」を読むと、エズラが登場するのは、7章以降であるということに気づきます。彼は、紀元前538年、ペルシア王キュロスによって解放された第一次帰還民(総督ゼルバベル)の中にはいませんでした。(第二)神殿は、多くの困難を乗り越え、第一次の帰還から21年後の紀元前517年頃、ようやく完成するのですが(エズラ6:15)、その後、再びイスラエルの民の信仰はダウンしてしまいます。そして、神殿再建から60年程経った頃(紀元前458年)、アルタクセルクセス(アルタシャスタ)王の治世に、エズラは第二次帰還民のリーダーとしてエルサレムに戻り、宗教改革を断行するのです。今日の「ネヘミヤ記」2章には、ネヘミヤが総督としてエルサレムに派遣されたことが記されていますが、それは、エズラたちが帰還した年から数えて、更に12年後の、紀元前446年のことになります。

<本論>
1、王の献酌官

ネヘミヤは、今日のテキストの最後に書かれているように、ペルシア王の宮廷の献酌官でした。献酌官というのは、王様の給仕役のことで、仕事の性質上、王様の信任が厚く、宮廷内に強い影響力を有していたそうです。そして、ネヘミヤがいたのは、1節によると、スサの城でした。スサ(第三版ではシュシャン)とは、ペルシアのエラム州の首都で、バビロンの東方約350キロにあり、そこには王様が冬を過ごすための宮殿があったそうです。「ネヘミヤ記」の次は「エステル記」ですが、「エステル記」の主な舞台となったのも、スサの城ですよね。「エステル記」というのは、ユダヤ人の娘エステルが、不思議な導きによって、当時のペルシア王クセルクセスの王妃に選ばれ、そして、従妹であったモルデカイと協力して、王の側近ハマンの悪巧み(ホロコースト)を暴き出し、見事に阻止するというサクセスストーリです。
今日の主人公であるネヘミヤの時代は、そのエステルの時代よりも少し後になります。アルタクセルクセスというのはクセルクセスの子どもであり後継者なんです。ですから、ネヘミヤが献酌官という高い地位に就けたのも、もしかすると、王妃エステルの何らかの尽力があったから、ということかもしれません。
そんなネヘミヤでしたが、ある日、兄弟のハナニを通して、悲しい知らせを聞かされます。

『彼らは私に答えた。「あの州で捕囚を生き残った者たちは、大きな困難と恥辱の中にあります。そのうえ、エルサレムの城壁は崩され、その門は火で焼き払われたままです。」』(ネヘミヤ1:3)。

2、ネヘミヤの召し

このことばを聞いたネヘミヤは、

『座り込んで泣き、数日の間嘆き悲しみ、断食して天の神に祈った。』(同1:4)。

そして、その長い祈りのことばが、5節以降に記されています。それは、エルサレムの同胞たちのためのとりなしの祈りでした。否、それは、単なるとりなしの祈りというよりも、エルサレムの人々の苦しみを我が苦しみとする祈りでした。ネヘミヤは、

『まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。』(同1:6)

と祈っています。実際には、彼自身はスサの城にいたわけですから、エルサレムが荒廃したことについての直接的な責任はありませんでした。しかし、彼にとっては、同胞の罪は自分の罪。今、自分がどんなに恵まれた環境に置かれていたとしても、それで自分は関係ない、とすることはできなかったんです。
ハナニも必死でエルサレムの窮状を訴えたと思います。その切実さが、ネヘミヤの心を動かしたと思いますが、ハナニが伝えたことは、あくまでもエルサレムの悲惨な状況であって、決してネヘミヤに、現在の恵まれた地位を捨てて帰国してほしい、ということではありませんでした。もし、自分がネヘミヤだったら、せいぜい「それはホンマにたいへんやね。同胞のために祈ってます。」と答えるか、いくらかの支援を約束して、それで「これにて一件落着!」としていたように思います。しかし、ネヘミヤは違いました。座り込んで泣き、数日の間嘆き悲しんだだけでなく、断食までして天の神に祈ったのです。そして、自分への召しは、故国に帰って復興の指揮を執ることなんだと受け止めたのです。
このネヘミヤの姿を読んでいて、イエス様のことが頭に浮かびました。「福音書」を読んでいますと、イエス様が『深くあわれみ(まれた)』という場面が出てきます。

『イエスは舟から上がって、大勢の群衆をご覧になった。彼らが羊飼いのいない羊の群れのようであったので、イエスは彼らを深くあわれみ、多くのことを教え始められた。』(マルコ6:34)。

このギリシア語「スプランクニゾマイ」ということばは、同情を表す最も強いことばで、共観福音書以外には出てきません。また、たとえ話の三例を除いて、すべてイエス様に用いられています。「腸(はらわた)がちぎれる想いに駆られ」(岩波訳)。
もちろん、私たちは、イエス様のようにはいかないのですが、お見舞いに行った時、何か悩み事を相談された時、つい「祈っています」と言ってしまう時があります。それは、悪いことではないかもしれませんが、何か、それが終わりのサインのような、或いは、「自分は祈ったから」というような、相手のためというよりも、自分のため、自己満足のためのことばになってはいないか?私たちも、少し振り返ってみる必要があるのかもしれません。

<結論>
今日の開会聖句は、「ピリピ人への手紙」2章のみことばです。13節だけですが、文脈は大切ですので、少し、その前後も見てみましょう。

『こういうわけですから、愛する者たち、あなたがたがいつも従順であったように、私がともにいるときだけでなく、私がいない今はなおさら従順になり、恐れおののいて自分の救いを達成するように努めなさい。神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は自分の努力したことが無駄ではなく、労苦したことも無駄でなかったことを、キリストの日に誇ることができます。たとえ私が、あなたがたの信仰の礼拝といういけにえに添えられる、注ぎのささげ物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。同じように、あなたがたも喜んでください。私とともに喜んでください。』(ピリピ2:12~18)。

この時、パウロはローマの獄中にあり、死も覚悟していたようです。しかし、なぜか、変に肩に力が入った様子もなく、無理に喜ぼうと演じているのでもなく、自然な喜びに溢れているように感じます。私は、このパウロのことばを読んで、以前、NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」で取り上げられた、奥田知志師(日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会・NPO法人「抱撲」理事長)の座右の銘「無理しない、楽しない」ということばを思い出しました。たとえ獄中にあったとしても、死が目前に迫っていたとしても、人には、この地上で生かされている限り、神様の召しが残されている。ただ、残念ながら、私たちには、その召しを、パウロやネヘミヤのようには、さやに、はっきりと知ることは難しいかもしれません。しかし、神様は、みこころのままに働いて私たちのうちに志を立てさせ、事を行わせてくださる方なのです。その神様に従順になり、強いられてではなく、喜んで、自分の救いの達成に努めていきたいと、切に願います。無理せず、楽せずに。

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新聖歌

開会祈祷後:259番、
メッセージ後:323番

聖書交読

詩篇 120篇 1~7節

2019年教会行事

3月6日(水)オリーブ・いきいき百歳体操

#51-2649

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