恵みを千代にまで施す神 [家庭礼拝対応版]

「緊急事態宣言」が解除されたことから、5月31日(日)から、感染拡大予防に配慮したうえで礼拝を再開しています。
高齢の教会員、教会での礼拝に参加することが困難な教会員のために、Youtubeによる動画配信を行っています。
本ページ内容は家庭礼拝に対応しています。

メッセージ

<創世記 47章1~12節>
牧師:砂山 智

開会聖句

わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。

<出エジプト記 20章6節>

メッセージ内容

Youtube動画

諸般の事情により今回の動画はありません。ご了承ください。

メッセージ原稿は、礼拝前ですが、家庭礼拝用として事前公開します。

<序論>  

・「創世記」からの二回目です。前回は44章からでした。カナンやエジプト一帯を大飢饉が襲い、エジプトに食料があると聞いたヤコブの息子たちは、それを分けてもらうためにエジプトまでやって来きます。ヨセフはすぐに、それがかつて自分を奴隷として売り飛ばした兄弟たちだと気づきますが、兄弟たちはエジプトの宰相になったヨセフのことが分かりません。それでヨセフは彼らを試すんですね。ヨセフから、末の弟ベニヤミンだけを奴隷として残し、他の者は父のもとに帰れと言われた時、ユダが必死に嘆願します。どうか自分をベニヤミンの身代わりとし、あの子を兄弟たちと一緒に帰らせてください。そうでないと父ヤコブは悲しみのあまり死んでしまうでしょうと。そのことばに心を動かされたヨセフは、遂に自分の正体を明かします。

『ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」兄弟たちはヨセフを前にして、驚きのあまり、答えることができなかった』(創世45:3)。

ヨセフ物語のクライマックスと言ってもいいと思います。

<本論>
1、入エジプト

そしてヨセフは、兄たちがかつて自分にしたことを赦し、彼らにたくさんの食料と贈り物とを与え、父ヤコブのもとへと送り返すのです。

『彼らはエジプトから上って、カナンの地、彼らの父ヤコブのもとへ戻って来た。彼らは父に告げた。「ヨセフは生きています。しかも、エジプト全土を支配しているのは彼です。」父は茫然としていた。彼らのことばが信じられなかったからである。彼らは、ヨセフが話したことを残らず彼に話して聞かせた。ヨセフが自分を乗せるために送ってくれた車を見ると、父ヤコブは元気づいた。イスラエルは言った。「十分だ。息子のヨセフがまだ生きているとは。私は死ぬ前に彼に会いに行こう。」』(創世45:25~28)。

ここでイスラエルというのはヤコブのことですが、こうして彼の一族は、エジプトに寄留民(難民)としてやって来ます。その人数は、27節によると、全部で七十人でした。彼らはヨセフの計らいでファラオから許しを得てゴシェンの地に定住することになります。今日、読んでいただいた場面は、ヤコブとその一族がファラオに謁見する場面です。5節からのファラオのことばを読むと、ヨセフがどれほどファラオに愛され、信頼されていたかということが分かります。

2、ヤコブの祝福

『それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、ファラオの前に立たせた。ヤコブはファラオを祝福した』(創世47:7)

この最後の「祝福した」という所に※印があり、脚注に別訳として「にあいさつした」とあります。確かに前の訳ではそのように訳されていました。ヤコブはファラオに祝福のあいさつをしたということだと思いますが、考えてみれば、この時のヤコブとファラオは、まさに「月とすっぽん」。大飢饉で食い詰め、避難民としてやって来たヤコブと、当時の世界の頂点を極めたと言えるようなファラオ。二人の間には比べようもないほどの違い・格差があったと思います。にもかかわらず、ヤコブはこの時、ファラオを祝福したのです。
かつて神は、ヤコブの祖父アブラハムに、

「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。(中略)地のすべての部族は、あなたによって祝福される」(創世12:2,3b)

と約束されましたが、同じ神は、エジプトに下ろうとするヤコブにも約束されました。

『すると神は仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民とする』(創世46:3~4)。

ヤコブはこの約束を信じていたからこそ、ファラオの前に立った時、恐れることなく、へつらいのあいさつではなく、祝福のあいさつをすることができたのです。
使徒ペテロは、「ペテロの手紙第一」で次のように言っています。

『あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです』(Ⅰペテロ3:14b)。

また、異邦人の使徒と呼ばれたパウロも、「ガラテヤ人への手紙」の中で次のように言っています。

『それは、アブラハムへの祝福がキリスト・イエスによって異邦人に及び、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるようになるためでした』(ガラテヤ3:14)。

私たちも、否、私も時々、自分の事を「ごまめの歯ぎしり」のようだなぁ、と思わされる時があるのですが、どんなに「ごまめの歯ぎしり」のような者であったとしても、「ボロは着てても心の錦」という歌がありましたが、信仰者として、今日のヤコブのような気概を持ち続けたいですね。

3、ヤコブの告白

そして私は、今日の箇所の中で、特に9節のヤコブのことばが心に残りました。

『ヤコブはファラオに答えた。「私がたどってきた年月は百三十年です。私の生きてきた年月はわずかで、いろいろなわざわいがあり、私の先祖がたどった日々、生きた年月には及びません。」』(創世47:9)。

今、お読みした中の「いろいろなわざわいがあり」というところは、前の訳では、もっとストレートに「ふしあわせで」と訳されていました。さっき、「ボロは着てても心の錦」と言いましたが、この時のヤコブは、確かにそのような気概を持っていたと思いますが、大阪弁で言う「ええかっこしい」ではなかったんですね。自分がたどってきた百三十年の年月を振り返った時、いろいろなわざわい、苦難があり、決して感謝!感謝!感謝!だけの人生ではなかった、と正直に告白しているのです。祖父アブラハムや父イサクと比べても、確かに彼の人生は苦難の連続と言えました。そして、そのほとんどは、自業自得と言いますか、自ら招いたものでした。父イサクを騙し、兄エサウが受けるはずであった祝福(長子の権利)を横取りしたことに始まり、ある意味、人をいかに騙して自分だけ利益を得ようとする、そんな人生でした。彼はここで、正直にそのことを認めているんですね。しかし、何よりも大切なことは、神はそんなヤコブを選び、新しく生まれ変わらせ、何百年、何千年、そして永遠に至るまでの祝福の基としてくださったということです。

<結論>

今日の開会聖句は、あのモーセの十戒の中に出てくることばです。一つ前の5節後半からお読みします。

『あなたの神、主であるわたしは、ねたみの神。わたしを憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである』(出エ20:5b~6)。

少し前にいただいた夏休みの日曜日に、ある教会の礼拝のライブ映像を見たんですが、その説教の中でこのみことばについて面白いことを言っておられました。それは、三代、四代というのは、せいぜい私たち人間が認識できる範囲と言うか、歴史だけれども、千代というのは、とても私たちには認識できないような歴史であると。その話を聞いて、なるほどなぁ、と思わされたんですが、「いのちのことば」9月号に、【信じても苦しい人へ 神から始まる「新しい自分」】(中村穣師)という、大変示唆に富んだ一文がありましたので、最後にそれをご紹介して、今日の説教を閉じたいと思います。

「あれだけ祈ったのに、なぜ祈りがきかれないのか―このような葛藤を、信仰者なら誰しも持ったことがあるのではないでしょうか。現代、私たちは何事も論理的に説明すれば理解できる、と考えています。そして、自分に理解できる範囲で良いこと・悪いことの判断、つまり理性を保っています。この考え方は、歴史的にわりと新しい考え方です。そして、絶対的なものではありません。特に問題と感じているのは、「自分の理解できる範囲で」という部分です。私たちの葛藤は、ここから始まるのです。(中略)神様の見えない計画を理解するということを、私たちは祈りや願いがきかれるかどうかを通して見出します。願い通りの時はいいのですが、そうではない時のほうが多いものです。そうすると、「どうして私の願いをきいてくれないのか」と葛藤が始まるのです。それは、真理を自分の理解できる範囲の中に探していることになります。超越した神様ではなく、自分の理解できる範囲で神様を理解しようとしてしまうのです。結果的にそれは、神様ではなく、自分を見ていることになります。だから苦しいのです。私たちの葛藤を解決してくれる真理は、神様のうちにあります。私たちは、理解しようとする自分中心な思いから解き放たれることが大切です。そうすると、心に隙間ができて、神様が与えてくださっている恵みを受け取れるようになります。そこから、本当の意味で神様を知るとは、私が理解することではなく、“神様が私を知ってくださっているという関係”であることがわかります。真理は私たちの外側から来ることを教えてもらいたいと思います。葛藤を覚えるとき、自分自身のうちに解決を求めるのではなく、私たちが行くべきところはただ一つ、神様のもとなのです。」

メッセージ内容のダウンロード(PDF102KB)

新聖歌

開会祈祷後:220番、メッセージ後:309番

聖書交読

詩編 39篇1~13節

2020年教会行事


9月23日(水)オリーブ・いきいき百歳体操
7月1日(水)から感染予防対策を講じつつ、再開しました。

#52-2729

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