なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。
メッセージ
<ネヘミヤ書 13章1~14節>
牧師:砂山 智
開会聖句
主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
<詩編 23篇1節>
メッセージ内容
Youtube動画
動画公開をいましばらくお待ちください。
メッセージ原稿を公開しました。
<序論>
「ネヘミヤ」からの二回目です。
1.祈りこそが生命線
本書の主人公ネヘミヤはペルシアの王宮の献酌官でしたが、兄弟の一人であるハナニから祖国に残された同胞たちの窮状を聞き、今の自分の恵まれた環境を捨ててエルサレムへと向かいます。その目的は、崩され、無残な姿を晒している城壁を建て直し、困難と恥辱の中にある同胞たちを励ますためでした。その城壁再建工事が完成したのは、工事が始まって52日後のことでした。
『こうして、城壁は五十二日かかって、エルルの月の二十五日に完成した』(ネヘ6:15)。
年代で言うと紀元前445年のエルルの月、今の太陽暦の8~9月頃のことです。6章前半には、先週もお話しした、ホロン人サンバラテやアンモン人トビヤからの妨害、嫌がらせが、城壁完成直前まで続いたことが記されています。ネヘミヤを誘い出し、危害を加えようと企みますが、その誘いに乗らないと見るや、今度は、使いの若い者に一通の手紙を持たせ、
「諸国民の間で言いふらされ、また、ゲシェムも言っていることには、あなたとユダヤ人たちは反逆を企んでいて、そのために、あなたは城壁を築き直している。このうわさによれば、あなたは彼らの王になろうとしている」(同6:6b)
と脅して、工事を止めさせようとするのです。ネヘミヤは、何よりもペルシアの王から信任を得てこの工事に取り組んでいたわけで、そんなネヘミヤにとってこれ以上の脅しはなかったでしょう。諸国民の間で言いふらされとは、みんながそう言っているということですが、これは人を誹謗中傷し、自らを正当化しようとする際の決まり文句です。ずいぶん以前のことですが、私もそんなことがありました。ネヘミヤは、そんな脅しに対して、人を遣わし、
「あなたが言っているようなことは、なされていない。それはあなたが心の中で勝手に考え出したことだ」(同6:8b)
と反論します。サンバラテらの誹謗中傷は、何の根拠も証拠も示さないでなされたものでしたから、ネヘミヤにしてもそのように返すしかなかったのでしょう。そして、その後、ネヘミヤは
「ああ、今、どうか私を力づけてください」(同6:9b)
と神に向かって祈ります。この箇所は、彼が後になって、当時のことを回顧しながら書いているようですが、「ネヘミヤ」には、随所に、このようなネヘミヤ自身の祈りのことばが記されています。彼はことあるごとに神に祈り、自らの力では解決することのできない問題を神に委ね、助けを求めます。それは、祈りこそ、神からの解決をいただくための管のようなもの、生命線だということをよく分かっていたからでしょう。
2.主は私の羊飼い
そして、今朝の13章のすぐ前、12章後半の31節以降には、そんな苦労の末にようやく完成した城壁の奉献式の様子が描かれています。
『私はユダの長たちを城壁に上らせ、感謝の歌をささげる二つの大きな賛美隊として配置した。一組は城壁の上を右の方に、糞の門に向かって進んだ』(ネヘ12:31)。
少し飛んで43節。
『彼らはその日、数多くのいけにえを献げて喜んだ。神が彼らを大いに喜ばせてくださったからである。女も子どもも喜んだので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた』(同12:43)。
これはまさしく、先週、お話しした、聖書の中で最も輝いて見える記事。私たちの信仰の原点である、主にある喜びが、あふれ出た場面と言えるでしょう。神が彼らを大いに喜ばせてくださったのです。
そして、その時から数えて十数年の後、ペルシアに戻っていたネヘミヤは再びエルサレムを訪れます。その様子を描いたのが今朝の13章です。彼は12年ほどエルサレムを離れていたみたいですが、その12年間で同胞たちの信仰はまたダウンしていました。だからネヘミヤはまずモーセの書を朗読させたのです。みことばに聞くことこそ信仰復興の第一歩だからです。その一つは、3節にあるように、混血の者をみなイスラエルから切り離したこと。これは少し後の23節以降を読むと分かりますが、モーセの律法で禁じられていた異邦人を妻にしていた者がいたということです。二つ目は、レビ人がその受けるべき分を支給されていなかったので、それぞれ自分の農地に逃げ去っていたのを呼び戻し、元の職務に就かせたこと。そして三つ目は、今朝の箇所のすぐ後15節以降に記されていますが、安息日に行ってはならないとされていた労働や商売をしている者を戒めたことです。それらはすべてモーセの律法に背く行為だったからです。そしてさらに四つ目は、民の模範となるべき大祭司が、神殿の中の一つの大きな部屋を、あのトビヤにあてがっていた。つまり自由に使わせていたのを、きよめさせたことです。政治の世界で「利権」と呼ばれる、完全な公私混同ですが、モーセの律法に反するようなことを大祭司自らが堂々と行っていたわけで、本当に何をか言わんやですが、この世の権威や権力と腐敗は背中合わせだということを改めて思わされます。そして、何の権威も権力もない者ではありますが、自分も悪や不正からお守りください、と祈らなければと思わされました。
その「祈り」について、榎本先生の本に次のような話が載っていました。先生の親しい友人で、目の不自由なご夫婦がおられて、ある時、自分たちの仕事を、日曜日の礼拝を守るために休業にしようと思うのですが、と先生に意見を求めに訪ねて来られたそうです。それまで同業者の申し合わせで、ひと月三日間、五のつく日は休業することになっていたそうですが、これに加えて毎週日曜日を休業するとなると、七日ないしは八日が休業ということになり、お二人の生活のことを思うと、先生もすぐには賛成することができなかったそうです。ご夫婦はそんな先生の気持ちを察して「こんなことは先生に相談すべきことではありませんね。私たちは来週から実行します。先生どうぞ私たちが飢え死にしてもこの志を貫徹できるよう祈ってください」と言われたそうです。先生は次のように書いておられました。
「それは確かに「飢え死に」覚悟の決断であった。このことを知らされた私は、毎日「神よ、この事のために彼らを覚えてください」という祈りを忘れることができなかった。神は私たちの牧者であって、私たちには乏しいことはない。神は私たちをみどりの野に伏させ、いこいのみぎわにともないたもう、という詩人の詩はまことに美しい。しかし、この信仰の告白は、必死の祈りなしにできるものではない。神への絶対の信頼を抜きにして口にできるものではない。」
<結論>
今朝の開会聖句、「詩篇」23篇は私も大好きな詩篇で、朝、起きた時など、よく暗唱したり、ハガキなどにも書かせてもらうのですが、今の榎本先生の祈り、「神よ、この事のために彼らを覚えてください」という祈りが、ネヘミヤの祈りと重なりました。ネヘミヤはまことに祈りの人でした。本書の最後も、彼の祈りのことばで締めくくられています。
『私の神よ、どうか私を覚えて、いつくしんでください』(ネヘ13:31b)。
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