なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。
メッセージ
<マタイの福音書 6章25~34節>
MB寝屋川キリスト教会牧師:大山 明
開会聖句
まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。
<マタイの福音書 6章33~34節>
メッセージ内容
Youtube動画
メッセージ動画公開:6/27 PM 10:48
メッセージ原稿を公開しました。
1.神は養ってくださる(6:25-26)
イエスがこの箇所全体で言おうとしているのは、「心配するな」ということです。なぜ心配しなくてもよいのか。 1つめの理由は、いのちのことの方が、食べ物や衣服よりもずっと大切だからです。イエスは、「空の鳥を見なさい」と言われました。鳥は種まきもせず、刈り入れもせず、収穫したものをしまっておく倉も持っていません。それでも、天の父は養っていてくださいます。
そんな鳥でさえ神が養っておられるのだから、鳥よりもはるかに価値のあるあなたがたのことを、神が放っておくはずがない、というのです。これは、生活のために努力しなくてもよいということではありません。心配すること自体を責めているのでもありません。心配に心を支配されてしまい、神との健全な関係を見失わないようにと、イエスは注意しているのです。
2.神は装ってくださる(6:27-30)
2つめの理由は、心配したところで状況は変わらないということです。イエスは、「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか」と問いかけています。この言葉は「心配することで自分の身長を伸ばすことができますか」とも訳すことができます。健康のために努力することはできても、身長を思い通りに伸ばすことはできません。生活のことで心配し続けることも、それと同じようなことだというのです。
そしてイエスは、野の花のことを話されます。野の花は、自分で布を織ったり、服を縫ったりして着飾るわけではありません。それでも美しく咲いています。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装ってはいませんでした。今日あっても明日は炉に投げ込まれるような野の草さえ、神はこのように装ってくださるのです。そうであれば、神が私たちのことを放っておくはずがありません。
3.神は必要を満たしてくださる(6:31-34)
3つめの理由は、私たちに必要なものを、天の父が倥って知っておられるからです。イエスは、「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようか」と心配するのは、異邦人が切に求めているものだと言われました。当時のユダヤ人にとって、異邦人とはまことの神を知らない人々でした。彼らは神を父として信頼することを知らないので、食べ物や着る物、富や力に心を向けている。だから、神を知るあなたがたまで同じように不安に支配されてはいけない、とイエスは言われたのです。
それでイエスは、「まず神の国と神の義を求めなさい」と命じています。「神の国」は、私たちの MB信仰告白にも記されている大切なテーマです。神の国とは、神の支配や価値観がこの世に現されていくことです。神が大切にされることを、私たちも大切にして生きるということです。
イエスはそのために働きを続けていました。重い病気や障害のある人を癒やし、死人をよみがえらせ、悪霊にとらわれている人を解放してきました。それは、人々から白い目で見られ、ちゃんとした仕事にもつけず、貧しい状態にあった人たちの恥を取り除くことでもありました。癒やしは肉体的なことに留まらず、社会的な名誉を回復し、ふつうの生活が営めるように助けることでした。
天の父は、私たちに何が必要かを倥っておられます。だから私たちは、不安に追い立てられて生きるのではなく、神の国を求め、神のみこころがこの地に現されるように仕えていくことができるのです。何を食べるか、何を着ようかと心配することよりも、まずこの世において神のみこころを実現しようとすることこそが、私たちの果たすべき務めです。 だからこそ、自分のためだけに生きようとするのはやめて、イエスがされたように、困っている人を助け、福音を伝えていく時に、地上ではなく天に宝を積むことになります。困っている人のために全財産を使いなさいということではありません。優先順位の問題です。私たちが日常生活の中で与えられた役割を果たし、社会の役に立つことも必要なことです。仕事、家事、子育て、地域の町内会や PTAといった活動もそうです。
4.結び
そのような生き方を貫こうとするとき、毎日美味しいものを食べたい、きれいで質の良い服を着たい、といった物質的な欲望から解放されます。そしてお金持ちにはなれなくても、心に平安を与えられ、必要なものも備えられて生活し、それで満足できるようになります。それこそが天に宝を積む生き方です。
イエスは、「明日のことまで心配しなくてよい」と言われました。それは、明日何も起こらないという意味ではありません。「苦労はその日その日に十分あります」と言われているように、明日にも苦労はあります。けれども、その明日にも、天の父がおられます。今日、鳥を養い、野の花を装ってくださる神は、明日の私たちをも忘れてはおられません。だから私たちは、心配に支配されるのではなく、神を信頼して、今日与えられている務めを果たしていくのです。
会衆讃美
開会祈祷後:新聖歌324番、メッセージ後:新聖歌303番
聖書交読
詩編 20篇1~9節
2026年教会行事
6月24日(水) オリーブ・いきいき百歳体操 (10時~11時)
#58-3030