なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。
メッセージ
<創世記 15章1~21節>
信徒:K
開会聖句
こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
<ローマ人への手紙 5章1節>
メッセージ内容
Youtube動画
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メッセージ原稿を公開しました。5/30
はじめに
最近使わないことばに、「風呂やの釜」というのがあります。最近はどちらも想像しにくいとことばですが…。風呂やの釜の中にはたっぷりのお湯があります。このお湯と口先だけの人、行動が伴わず「言うばかり」の人を引っかけたことばです。今日15章のアブラハムにとって、失礼ですが、神さまはそんな気がします。12章の召しの時、
「あなたを大いなる国民とし、祝福する」「あなたの子孫にその地を与える」
と約束をされました。その後も、
「わたしは、あなたが見渡しているこの地をすべて、あなたに、そしてあなたの子孫に永久に与えるからだ。」(13章)
と言われましたが、いまだそのきざしはない。アブラハムの苛立つ気持ちも、わからないではありません。今日の主題は「神と人との関係」です。苛立つアブラハムと神さまの対話から、神さまと私たちの正しい関係をみていこうと思います。
Ⅰ.神が私たちに望まれる関係は正直な関係
15章は2度目のアブラハム契約です。全体は大きく2つに分けられ、1~6節では子孫の約束に対して不信感を募らせるアブラハムに神さまは星空を見せられました。7節からは将来の土地の約束に対して、当時の儀式によって約束の確かさを保証されました。
1節「これらの出来事の後…」
アブラハムが神の召しに応えて歩みだしてからのこと。今までの全部かもしれないし、直近のロトを助けた戦いのことかもしれませんが、どの出来事でも、神さまが彼を守り祝福してくださってることがわかります。一目置かれるような人物にもなってます。しかし、彼の心には穏やかでないフツフツとした思いがありました。神さまはそれを察するかのように、幻の中に現われ、言われます。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたへの報いは非常に大きい。」盾であるとは、神さまが矢面に立ち、飛んでくる矢(困難、問題)から守って下さるということです。実際、今彼には大きなストレスがかかっていました。約束の子孫の問題は、夫婦間のことだけではなく、大所帯になった一族の存続、跡継ぎ問題になっていましたから。
2節「神、主よ、あなたは私に何をくださるのですか…。」
と、くってかかるように問いかけます。「恐れるな」と、言われても、素直に「はい」、とは言えません。夫婦ははじめから決して若くないし、妻は不妊です。
3節「あなたが子孫を…跡取りになるでしょう。」
彼はもしもの場合のことを、すでに想定し考えているのでしょう。当然かもしれません。3節は、神さまの約束不履行を責めた、嫌みたっぷりの文句のようにも聞こえます。
私はこの彼の態度にほっとします。信仰の父と言われる彼は、従順な人物というイメージが先行しますが、ここでの彼はまず正直です。ストレートに思いをぶつけます。神は答えられます。
4節「すると見よ。主のことばが彼に臨んだ。その者があなたの跡をついてはならない。…」
主人に子がいない場合、その家のしもべが跡を継ぐのは当時の風習だったようですが、神さまはその方法をきっぱり否定し、「あなた自身から生まれて出てくる者が…」と約束を繰り返されました。
5節「そして主は彼を外に連れ出して言われた。『さあ、天を見上げなさい。…。あなたの子孫はこのようになる。』」
天を見上げて読まれた詩篇は多くありますが、詩篇8:3はよく知られています。
「あなたの指のわざである、あなたの天 あなたが整えられた月や星を見るに人とは何ものなのでしょう。」
現代でも星に魅了される人は多いですが、古代では星は崇められる神でもありました。アブラハムの出身地では月崇拝も行われていましたが、彼は自分を召した方が「天と地を造られた方、主」であると14:22で告白しています。無数にちりばめられた、神の被造物である星を見せられて、彼は、今自分と話して下さってる方が、誰なのか、どんなに偉大な方かを再認識したと思います。そして、「あなたの子孫はこのようになる」ということばを信じました。6節には
「アブラムは主を信じた。それで、それが彼の義と認められた。」
と記されています。
これは、パウロが「信仰による義」を教えるために引用した有名なことばです。
ローマ4:3「聖書は何と言っていますか。アブラハムは…とあります。」
ローマ教会にいたユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンは救いの条件において一致できずにいました。パウロは、神さまの救いは律法を守ることではなく、行いによらず、イエスさまをメシアと信じる信仰によってで得られることを、この6節を引用して説明しました。
この6節は脚注があって、別の訳が紹介されてます。ここは他の違った訳の可能性が指摘されていますが、注目は「義」ということば。旧約にも、新約にも多くでてきますが、ここが初めてのようです。意味は「正しい」ですが、大変説明の難しいことばの一つです。例えば、「義理の娘」は法律上の正しさ。「義の定規」は品質の正しさ。聖書では「関係」の正しさの場合があります。つまり、神と人との正しい関係を言います。他にもあるでしょう。
アブラハムは神と話合いをし、満天の星を見せられ、納得して神を信じました。彼は心底、この方は信じることができる神であると認めたのです。現実は??なんだけど、でも自分は星を見せてくださった方を信じるんだ、約束を守られる方と信じるんだというスタンス。これはとても大切です。力、権威という圧によってではなく、あくまで自発的に判断し納得して信じることが、神が望んでおられる、神と人との正しい関係「義」だと思います。アブラハムは、神の約束を信じるという神との正しい関係を持ったので、「それが彼の義と認められた。」神と人が正直に互いを言い表せる関係が神が望まれる正しい関係です。「恐れるな…」の声は、ただ励ましのことばというより、彼の心に貯まっていた感情を吐き出させ、次に神さまが言われることを素直に受け取るステップであったかもしれませんね。
Ⅱ.神が私たちと結ばれる関係は一方的
7節からは、アブラハムのおびただしく増える子孫の住む土地の約束です。星を見せられた彼は、今度は、土地の約束が確かであることはどうしてわかるかと問います。神さまは、子孫がエジプトで400年寄留生活することと、一つの儀式を命じられました。この儀式は、契約を結ぶ際、当事者同士がそれを必ず守るという互いの決意を表わすためのものです。私たちが子どもの頃によくした指切りげんまんと似ています。動物の血が流されるので、と残酷に思える儀式です、針千本も、かなりのものだと思います。ここでは、牛、山羊、羊と(鳥)を真っ二つに切り裂き、その二つを人が通れるほど離したところに置き、約束した双方がその間の道を通ります。これが意味することは、もし、どちらかが約束を守らなければ、その人はこのように裂かれるということだそうです。
17節「日が沈んで暗くなったとき、・・・燃えているたいまつが…通りすぎた。」
神さまが通られました。そして、18節で神さまが土地の契約が結ばれました。一般に契約というのは、双方が条件を守ることで、はじめて成立します。片方が条件を守らなければ、破棄になります。しかし、神さまと人との契約は違いました。人側に神に従うという条件を守ることは求められてはいますが、守ることはできなくて破棄になることはありませんでした。人間をよく知っておられる神は、人が何度反逆しようと、一方的に契約を守られ続けました。
今日の開会聖句は、ローマ人への手紙5:1
「こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」
神さまが人と結ばれる契約は時代とともに、形が変わり、今の私たちは新しい契約に生きています。どの時代の人間も、神さまに完全に従うことができませんでした。ユダヤ人の歴史である旧約聖書はそれを証言しています。しかし、イエスさまは果たすべき契約の条件を遂行してくださったので、私たちはイエス・キリストによって、神との平和を持っているのです。アブラハムのように、星を見せられてはいませんが、神に従うと言う従順なご生涯の結果である十字架と復活を知らされています。私たちは神との正しい関係を持っているのです。
終わりに
今日のテーマは神と人との正しい関係でした。何事もそうなのですが、正しい関係、あり方があって、はじめて物事はうまく進む、修正されていくと思います。うわべではない、深いところでの神さまとの正直な関係が、正しい関係を生み、そんな中での交わりによって、人は神によって少しずつ造り変えられていくと思います。外なる人は衰えてもです。神との正しい関係をイエスによって持っている、その恵みに今一度感謝し、主と共に歩みましょう。
新聖歌
開会祈祷後:新聖歌154番、メッセージ後:新聖歌355番
聖書交読
詩編 21篇 1~13節
2026年教会行事
7月1日(水)オリーブ・いきいき百歳体操 10時~11時
#58-3031