一つの問いかけ

    令和5年5月8日(月)より新型コロナウイルス感染症が5類感染症へ移行することに伴い、礼拝での規制を緩和します。具体的には、会衆讃美は全節歌唱する、省略していた聖書交読を復帰し、司会者朗読→会衆朗読を交互に行います。
    なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。

    メッセージ

    <ヨブ記 9章1~20節>
    牧師:砂山 智

    開会聖句

    御使いは、自分の前に立っている者たちにこう答えた。「彼の汚れた服を脱がせよ。」そしてヨシュアに言った。「見よ、わたしはあなたの咎を除いた。あなたに礼服を着せよう。」

    <ゼカリア書 3章4節>

    メッセージ内容

    Youtube動画

     公開が大変遅れて申し訳ありません。
    メッセージ動画公開:12/2 PM 11:04


    メッセージ原稿を公開しました。  

    <序論>  
    ・「ヨブ」からの二回目です。前回のメッセージでは、ヨブが激しい苦難の中にありながらも、主への揺るぎない信仰を表明したところからお話ししました。そんなヨブに三人の友人が見舞いにやって来ます。

    『さて、ヨブの三人の友が、ヨブに降りかかったこれらすべてのわざわいのことを聞き、それぞれ自分のところから訪ねて来た。すなわち、テマン人エリファズ、シュアハ人ビルダデ、ナアマ人ツァフォルである。彼らはヨブに同情し、慰めようと、互いに打ち合わせて来た。彼らは遠くから目を上げて彼を見たが、それがヨブであることが見分けられなかった。彼らは声をあげて泣き、それぞれ自分の上着を引き裂き、ちりを天に向かって投げ、自分の頭の上にまき散らした。彼らは彼とともに七日七夜、地に座っていたが、だれも一言も彼に話しかけなかった。彼の痛みが非常に大きいのを見たからである』(ヨブ2:11~13)。

    テマン人とはヤコブの兄エサウの子孫エドム人と同じ系列に属する人たちです。また、シュアハ人はアブラハムの後妻ケトラの子シュアハの子孫ではないかと推測され、ナアマ人のナアマはアラムやパレスチナでは一般的に見られる名前だそうですが、それ以上のことは何も分かりません。彼らは最初、ヨブの苦難の大きさに驚き、声をかけることすらできず、七日七夜、ヨブとともに、ただ座っていました。ですが、それは、

    『泣いている者たちとともに泣きなさい』(ローマ12:15b)

    とあるように、ヨブにとって大きな慰めとなったのかもしれません。また、そのことが、苦難の中で固く閉ざされていたヨブの心を徐々に開いていったようにも思えます。ヨブは遂に口を開き、自分の心の奥底にある本音を語り始めます。ここから、後に加わる4人目のエリフという人物との論争や神との対話まで含めると、なんと42章6節まで!「ヨブ」の長い長い本論が詩文形式で展開されます。

    <本論>
    1.建前主義者ビルダデの正論

    ある本が、この三人の友人たちの人物像を簡潔に記していました。エリファズは教条主義者、ビルダデは建前主義者、ツァフォルは感情露出型。「なるほど」と思わされましたが、ヨブの悲痛な嘆きに対して、まずエリファズが口を開きます。4~5章ですが、彼は、ヨブの遭った苦難は、ヨブが神の御前で犯した罪に対するさばきであると語ります。そして、ヨブに悔い改めを迫り、神に尋ね、訴えるようにと勧めます。しかし、ヨブにとって、エリファズのこのような忠告は何の役にも立たないものでした。ヨブは再び、自分の苦悩の深さがどれほどのものであるかということを訴え、反論を始めます。それが6~7章です。そんなヨブに、今度はビルダデが語り掛けます。彼は、神は義なる方、正しい方であると述べ、ヨブを責め立てます。その最後の8章20~23節で、ビルダデの次のように言います。

    『見よ。神は誠実な人を退けることはなく、悪を行う者の手を取ることはない。神は、ついには笑いをあなたの口に、喜びの叫びをあなたの唇に満たされる。あなたを憎む者は恥を身にまとい、悪しき者の天幕はなくなる』(ヨブ8:20~23)。

    このことばの根底にあるのは、まさしく、先週、お話しした「因果応報」的な考え方です。神は、正しい者を栄えさせ、悪しき者を滅ぼされるという。しかし、それは言わば「正論」であり、この時のヨブにとっては、ただ煩わしいだけの建前のような慰めにしか過ぎなかったのです。

    2.ヨブの一つの問いかけ

    ヨブは再び反論します。それは一つの問いかけから始まります。

    『そのとおりであることを、私は確かに知っている。しかし、人はどのようにして、神の前に正しくあり得るのか』(ヨブ9:2)。

    セールスの世界に「イエス・バット法」という基本的な話法があるのですが、このヨブのことばは、まさしく「イエス・バット法」です。ビルダデの正論に同意した上で、「しかし」と逆に問いかけるのです。「人はどのようにして、神の前に正しくあり得るのか」と。この問いは、ある意味、「ヨブ」の主題と言ってもよいのではないかと思います。私などから見れば、ヨブは十分に正しい、正しすぎるぐらい正しい人でした。しかし、問題は「神の前に」なんですね。だから、ヨブは、今朝のこの問いかけの後で、神と人間との間にある大きな隔絶というか、天地万有を創造された神の絶対性、超越性について延々と語るのです。

    『たとえ、神と言い争いたいと思っても、千に一つも答えられないだろう。~』(同9:3~)。そして、最後の20節。
    『たとえ私が正しくても、私自身の口が私を不義に定める。たとえ私が誠実でも、神は私を曲った者とされる』(同9:20)。

    三浦綾子さんの生誕100周年記念ベストエッセイ集として出版された「平凡な日常を切り捨てずに深く大切に生きること」という本に、K先生という方のことが紹介されていました。その方はクリスチャンで、29歳で事業を起こされ、実業家としても大成された方で、6人の息子さんは先生の信仰と仕事を受け継ぎ、実に立派な方ばかり。奥様も素晴らしい信仰の方で、先生と同じく素晴らしいエピソードの多い方だそうです。そんなK先生に、三浦さんはある時、ぜひ先生の伝記を書かせてください、とお願いしたそうです。しかし、先生は「おやめなさい。私は悪い者です。書かれるようなことは一つもありません」と即座に断られたそうです。また折に触れて、「綾子さん、私は、人間は年をとると、円熟するものと思っていましたが、そんなものではありませんね」とか、「人は年をとると。次第に欲が少なくなると思っていましたが、間違いでした。色々な欲望はいっこうに衰えません。人間、なかなか、無欲にはなれないものですね。人間は底知れなく、悪いものですよ。底知れなく」などと言っておられたと。私はもちろん、その方がどのような人生を送られたのかは存じ上げませんけれども、本当に謙遜で、自分のことを厳しく見つめる方だったんだろうなぁ、と思わされました。今朝のヨブのことばを読んでその話を思い出したのですが、ヨブは神に「彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない」とまで言われた人でした。ただ、その上で、もう一度だけ、あえて皆さんに問いかけたいのです。人はどのようにして、神の前に正しくあり得るのでしょうか、と。

    <結論>
    今年のMB講壇交換は、いずみホープチャペルの田畑先生が、「マタイ」22章から「『婚宴への招待』のたとえ」と題して話をしてくださいました。その中で、婚礼に招かれるためには王が準備した特別な礼服を着る必要があり、その礼服はキリストの「義の衣」のことだとありました。私は、そのメッセージから、自分の神学生時代にエルマ・マーティンズという先生が来られて演じさせられたスキット(寸劇)のことを思い出しました。先週も、初めて参加した高校生キャンプで「ヨブ」のスキットを演じさせられたという話をしましたが、その時から約30年後に演じさせられたのは、今朝の開会聖句の「ゼカリヤ」3章の場面でした。ゼカリヤはバビロン捕囚から帰還した民が神殿を再建する際に活躍した預言者ですが、「ゼカリヤ」にはゼカリヤが見た多くの幻が出てきます。今朝の3章冒頭の場面もそうですが、やはり神とサタンが登場し、サタンが神に大祭司ヨシュアの罪を訴えようとするのです。その罪を象徴するものがヨシュアの着ていた汚れた服でした。しかし、御使いは「彼の汚れた服を脱がせよ」と言い、ヨシュアに「見よ、わたしはあなたの咎を除いた。あなたに礼服を着せよう」と言います。この礼服こそ、あの「マタイ」22章の『婚宴への招待』のたとえに出て来た礼服ではないでしょうか。イエス様が来てくださる何百年も前の旧約の時代に、イエス様の「義の衣」は啓示されていたのです!
    人はどのようにして、神の前に正しくあり得るのでしょうか?私たちは、否、私はとてもヨブやK先生の様に生きることはできませんが、神の前に正しくあり得るために必要なことは、私たちが何を行ったかではなく、ただイエス様の礼服を着ることなのです。
    最後に、K先生は、最晩年、記憶力も衰え、三浦さんのこともはっきりとは分からなくなられたそうですが、いつも次のように言っておられたそうです。
    「私、年をとりまして何も彼も忘れました。でも主様(キリスト様)だけは忘れません。」
    自分もそのように年をとることができれば、と思わされました。

    メッセージ内容のダウンロード(PDF111KB)

    新聖歌

    開会祈祷後:217番、メッセージ後:376番

    聖書交読

    詩編28篇 1~9節

    2023年教会行事

    11月15日(水)  オリーブいきいき百歳体操 10~11時

    #55-2894

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