主がともにおられるから

令和5年5月8日(月)より新型コロナウイルス感染症が5類感染症へ移行することに伴い、礼拝での規制を緩和します。具体的には、会衆讃美は全節歌唱する、省略していた聖書交読を復帰し、司会者朗読→会衆朗読を交互に行います。
なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。

メッセージ

<歴代誌 第二 15章1~9節>
牧師:砂山 智

開会聖句

私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対する秘訣を心得ています。

<ピリピ人への手紙 4章12節>

メッセージ内容

Youtube動画

 
 メッセージ動画公開:10/5 PM 6:55
 


 メッセージ原稿を公開しました。  

<序論>
・6月に「Ⅰ歴代」からお話ししましたが、「日々のみことば」は先月から「Ⅱ歴代」になっています。本書は前半の9章まではソロモン王による神殿建設の話ですが、10章以降は、ソロモンの死後、イスラエル王国が南北に分裂したこと。さらに南ユダの歴史に限定して記されており、北イスラエルについてはユダとかかわりのある場合にのみ言及されています。これは、本書とほぼ同時代を描いている「列王」が南と北の王国の歴史をほぼ同じように記録しているのとは対照的です。それは、本書が書かれた目的の一つが、バビロン捕囚から帰還した南ユダの民に対して、ダビデ王朝が続いた自分たちの国だけがダビデ契約の正統な継承者であり、神の契約の民であるということを示し、励ますことにあったからだと思われます。その南ユダにはレハブアムから数えて二十人の王が登場しますが、今朝の主人公のアサは、レハブアム、アビヤに次ぐ、三代目の王です。そして、なぜかは分かりませんが、アサについて、「Ⅰ列王」は、その15章で僅か16節しか言及していませんが、「Ⅱ歴代」では、14~16章の3章に渡って言及されています。

<本論>
1.アサは主の目にかなう良いことを行った

『アビヤは先祖とともに眠りにつき、人々は彼をダビデの町に葬った。彼の子アサが代わって王となった。彼の治世になって十年の間、国は平穏であった』(Ⅱ歴14:1)。

アサの父アビヤは僅か3年の治世でしたが、12人の息子と16人の娘(同13:21)、合計28人の子どもたちを残しました。その内の一人がアサで、彼は父アビヤとは違い、41年もの長きに渡ってユダの国を治めることになります。これは、ユダの歴代の王の中でも、マナセ、ウジヤに次ぐ、三番目の長さです。そして、先程、読んだように、その治世の最初の10年間、ユダの国は平穏でした。その理由の第一は2節にある通りです。

『アサは、自分の神、主の目にかなう良いことを行った』(同14:2)。

この良いこととは、その後に書かれているような信仰改革運動と言いますか、それまでの偶像を一掃したことです。3節の『高き所』とは、異教の神殿を指しており、『石の柱』とは、その祭壇の傍らに建てられた異教の神々を象徴しています。そして、『アシェラ像』とは、当時、幸福をもたらすと信じられていた偶像で、木の柱そのものに刻まれたり、祭壇の傍らに安置されていたのだそうです。アサはそれらのものをすべて取り除きました。そして、もう一つ。彼の治世の最初の10年間が平穏だった理由は6~8節に書かれています。国の守りを固めたのです。8節には、兵士の数が、ユダ族30万とベニヤミン族28万で、合計58万人の精鋭がいたと記されていますが、これは人数だけ見ても、父アビヤの時代から18万人も増えています(同13:3)。そして、そのようなユダに、クシュ人ゼラフが大軍を率いて攻め寄せて来たことが14章後半に記されています。アサはその大軍を見事に打ち破るのですが、11節にある彼の祈りを読むと、この時、彼が頼ったのは、自らが増強した軍事力ではなく、神お一人であったということがよく分かります。神はそのアサの祈りをお聞きになり、大勝利をもたらしてくださったのです。

2. アザルヤの預言

そして、その戦いに勝利したアサが、多くの戦利品を携え、意気揚々と凱旋してきた時、みことばが示されます。それが今朝の場面です。1節のオデデの子アザルヤについては聖書に同じ名前の人は出てきますが、このアザルヤについては他に言及がないので詳しいことは分かりません。しかし、そこで預言されたことは、誠に的を射たものでした。2~7節にかけて記されているアザルヤの預言を改めて読むと、そう思わされます。この時アザルヤは、「あなたがたは大勝利に喜んでいるかもしれないけれども、決して勘違いしてはならない。主があなたがたとともにおられたから、あなたがたは勝つことができたのだ」ということを述べた上で、過去を振り返り、イスラエルの苦難の歴史を思い起こすように促します。そして、最後に、7節。

『しかし、あなたがたは勇気を出しなさい。力を落としてはなりません。あなたがたの働きには報いがあるからです。」』(Ⅱ歴15:7)。

と言って、アサとユダの民を励ますのです。ただ、どうなんでしょうか?アサとその軍勢は大勝利を収めて意気揚々と引き上げて来たわけで、そんな彼らにかけることばとしては、少し相応しくないようにも思えます。しかし、あの軍事的な天才と言われたナポレオンは、「最も大きな危険は勝利の瞬間にある」と言ったそうです。人は誰しも自分が勝利した時、或いは成功した時、その勝利や成功が大きければ大きいほど、そのことに酔いしれ、油断してしまいやすいんですね。なかなか「勝って兜の緒を締めよ」とはならないんです。けれども、この時のアサ王は違いました。彼はアザルヤの預言を聞いて奮い立ち、自らが始めた信仰改革運動をさらに推し進め、徹底したのです。8節。

『アサは、これらのことばと預言者オデデの預言を聞いて奮い立ち、ユダとベニヤミンの全地、また彼がエフライムの山地で攻め取った町々から、忌むべき物を除いた。そして、主の宮の玄関の前にあった主の祭壇を新しくした』(同15:8)。

その結果は、9節。

『彼は、ユダとベニヤミンのすべての人々、およびエフライム、マナセ、シメオンから来て彼らのもとに寄留している人々を集めた。その神、主がアサとともにおられるのを見て、イスラエルから多くの人々が彼のもとに下って来ていたのである』(同15:9)。

驚くべきことに、自分の国ユダからだけでなく、北イスラエルからも多くの人々が彼のもとに集まって来たのです。それは彼らが、主がアサとともにおられるのを見たからです。
このことは私たちに大切な示唆を与えてくれます。先日のMB75周年記念礼拝での杉師の話にもありましたが、伝道とは、伝道会などの伝道プログラムを行うことではありません。人々が私たちを見て、「確かに主はあの人たちとともにおられる」と認めた時、人々は、私たちの家族、友人は、自ずと教会に集まって来るのではないでしょうか。私たちにとって本当に大事なことは、私たちが何をするか、何を教えるかということよりも、この私がどこに立つかということなのだと思わされます。

<結論>

ただ、残念ながら、というか、それが人間なんですが、今朝のアサ王も、生涯を通してそのように生きたかというと、決してそうではなかったんです。それは16章を読めば分かります。彼は、北イスラエルとの関係が悪化したとき、アラムの王と同盟を結び、主に拠り頼もうとはしませんでした。そして、その最晩年は、12節。

『アサはその治世の第三十九年に、両足とも病気になった。それは非常に重かったが、その病気の中でさえ、彼は主を求めず、医者を求めた』(Ⅱ歴16:12)。

本当に人間って不思議だなと。アサは物事が順調にいっている時には、それに奢ることなく主を求めたけれども、危機に陥った時には、なぜか主を求めなかったのです。なにか「普通、逆ちゃうんか!」と思うのですが、このことは、物事が順調にいっている時よりも、逆境の時にこそ信仰は試される、ということを示しているのかもしれません。
今朝の開会聖句はパウロのことばです。こんな風に生きれたら素晴らしいだろうな、といつも思わされます。パウロはなぜこのように言い得たのでしょうか。それは次の13節にあるように、

『私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです』(ピリ4:13)。

つまり、貧しくあるときも、富んでいるときも、勝利のときも、敗北のときも、成功したときも、失敗したときも、主がパウロとともにおられたからですね。否、主は、いつも、明日も明後日も変わらず、どんなときでもあなたとともにいると約束してくださいました。ですから私たちも、主がともにおられるから、そのことを何よりも大切にして、勇気を出して歩んで行きたいと思います。

メッセージ原稿のダウンロード(PDF105KB)

会衆讃美

開会祈祷後:新聖歌299番、メッセージ後:新聖歌355番

聖書交読

詩編142篇 1~7節

2025年教会行事


10月8日(水) オリーブ・いきいき百歳体操 (10時~11時)

#57-2993

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