主は正しい [家庭礼拝対応版]

当教会では、木曜日から土曜日までの大阪府における新型コロナウイルス感染者数が200人を超えた場合、教会に集まっての礼拝を中止します。
それぞれのご家庭で礼拝を持つことができるように、Youtubeによる動画配信を行っています。礼拝のプログラムと共に、用いてください。

メッセージ

<歴代誌 第2 10章1~19節>
牧師:砂山 智

開会聖句

すると、イスラエルの首長たちと王はへりくだり、「主は正しい」と言った。

<歴代誌 第2 12章6節>

メッセージ内容

Youtube動画

11月15日(日)11:20分に動画を公開しました。


メッセージ原稿は、家庭礼拝用として事前公開します。

 <序論>  

・「Ⅱ歴代誌」からの三回目です。イスラエルは、ソロモン王の死後、北と南に分裂します。その経緯が書かれているのが今日の10章です。ソロモンの死後、王位を継いだ息子のレハブアムは、シェケムに向かいます。シェケムというのは、エルサレムの北方50kmほどのところにあった町で、北部部族の中心都市でした。この時まで、イスラエルは統一王国でしたが、その実態は12部族の連合体でした。そのシェケムでの会合に、ネバテの子ヤロブアムが現れます。彼は先代のソロモン王に謀反を疑われ、エジプトに亡命していたのですが、2節にあるように、ソロモンが死んでレハブアムに代替わりしたと聞き、エジプトから戻って来ていました。そのヤロブアムを人々が使者を遣わして呼び寄せた、と3節に書かれています。それだけで何か不穏な空気を感じさせますが、実は、その不穏な空気と言いますか、争いの火種は、既に随分と前から、北部の10部族の間でくすぶっていたようなんです。

<本論>
1、北部10部族の不満

その理由の一つが「Ⅰ列王記」4章に記されています。

『こうして、ソロモン王は全イスラエルの王となった。彼の高官たちは次の通り。~』(Ⅰ列王4:1~)。

この箇所には、先代のソロモン王がどのようにして全イスラエルを治めたかということが書かれています。言わば、イスラエルという国の統治システムですね。ここで注目したいのは、7節です。

『ソロモンは、イスラエル全土に十二人の守護を置いた。彼らは王とその一族に食糧を納めた。一年に一か月分の食糧を各自が納めることになっていたのである』(同4:7)。

そして、次の8節以降に、その十二人の守護たちの名前とその領地とが記されているのですが、問題は、それらの領地の全てが、後の北イスラエル王国の地域内にあったということなんです。19節までに書かれている領地に、後の南ユダ王国の地域は一つもありません。ということは、このような食糧、別の言い方をすれば年貢とか税と呼べるものは、北の部族だけが負担させられていたということになります。考えてみ
れば、ダビデ王もソロモン王も南のユダ部族の出身でした。ですから、南ユダは、王家直属の特別な領地ということで、年貢は免除されるというような特権が与えられていたのかもしれません。少し後の22,23節には、ソロモン王の豪華すぎる食事の内容が記されています。昔から「食い物の恨みは恐ろしい」と言いますが、北の10部族の間には、相当な不満と言うか、不公平感が鬱積していたのではないでしょうか。レハブアム王への要求の背後では、そのような不穏な空気が渦巻いていたのです。

2、むちに代えてサソリを

さて、ヤロブアムから「父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきを軽くしてください」という要求を突きつけられたレハブアムは、三日待つようにと返答します。そして、彼はまず、父ソロモンの時代から仕えていた長老たちに尋ねます。「この民にどう返答したらよいと思うか」。彼らは答えます。「もし、あなたがこの民に優しくし、彼らに好意を示し、彼らに親切なことばをかけてやるなら、彼らはいつまでもあなたのしもべとなるでしょう」。しかし、レハブアムは、この長老たちの助言は気に入らなかったようです。彼はその助言を退け、自分とともに育ち、自分に仕えている若者たちに相談します。すると彼らは次のように答えます。「こう答えたらよいでしょう。『私の小指は父の腰よりも太い。私の父がおまえたちに重いくびきを負わせたのであれば、私はおまえたちのくびきをもっと重くする。私の父がおまえたちをむちで懲らしめたのであれば、私はサソリを使う』と」。レハブアムは彼らの助言を気に入り、三日後、ヤロブアムたちにその通りに告げるのです。
「Ⅱ歴代誌」の著者は、15節で次のように書いています。

『王は民の願いを聞き入れなかった。神がそう仕向けられたからである。それは、かつてシロ人アヒヤを通してネバテの子ヤロブアムに告げられたことばが実現されるためであった』(同10:15)。

イソップ寓話に「北風と太陽」という話があります。北風と太陽が、どちらが旅人の上着を脱がせることができるかという勝負をして、北風が負け太陽が勝つという。どちらもその目指すところは同じでした。旅人の上着を脱がせるという。レハブアム王の目的も一つでした。父ソロモン王から引き継いだ全イスラエル、12部族を上手く治めるという、その一点でした。しかし、彼はそのやり方を間違えてしまったのです。私たちは、このことから何を示されるでしょうか。やっぱり「亀の甲より年の劫」。経験豊かで知恵のある年寄りの意見をないがしろにしてはいけない、ということでしょうか。或いは、自分の権力をかさに着て、物事を手っ取り早く乱暴に片づけてしまおうとしてはならない。冷たく厳しい態度は、時に相手の心を頑なにしてしまう。だから、相手の気持ちをよく聞いて、慎重に物事を進めることが肝要だ、ということでしょうか。私は昔、保険会社で働いていたんですが、「キホンのキ」としてよく言われたことがありました。それは「イエス・バット法」という話法なんです。まず、お客様からのお申し出、特に否定的な意見に対しては、いきなり反論しない。まずイエスと答える。相手の意見に同意することから始めるということです。それは、人間は理屈ではなくて感情に左右される場合が多いので、いきなり反論とか否定から始めてしまうと、いくらそれが正しくても受け入れてもらえないということなんですが、今日のレハブアム王の姿を見て、少しそんなことを思い出してしまったんですが、しかし、そのような、ある意味、駆け引きや教訓めいたことよりも、ここから私たちが示されるべきことは、やっぱり神様から離れてしまった歩みは、どのような人間的な知恵や方策をもってしても、最後は悲劇的な結末を迎えるということではないでしょうか。

<結論>

レハブアム王は、このようにして自分の国が分裂してしまったことに納得がいかず、北イスラエルを攻めようとしますが、11章にあるように、神の人(預言者)シェマヤから「彼らと戦ってはならない。神がこうなるように仕向けられたのだから」と忠告され、素直に聞き従います。一方、北イスラエルでも分裂に伴う騒動が起きていました。ヤロブアムの偶像崇拝に反対する祭司やレビ人たちが南ユダとエルサレムに逃れて来たのです。11章17節には、次のように書かれています。

『彼らは三年の間、ユダの王権を強固にし、ソロモンの子レハブアムに力添えをした。三年の間、彼らがダビデとソロモンの道に歩んだからである』(Ⅱ歴代11:17)。

しかし、人間って本当に懲りないんですね。またもや!!

『レハブアムの王位が確立し、彼が強くなると、彼は主の律法を捨て、彼とともにいた全イスラエルもそうした』(同12:1)。

それで神は、エジプト王シシャクを用いて、イスラエル(南ユダ)を裁こうとされるのですが、その時、レハブアムらはへりくだり、「主は正しい」と言った。それが今日の開会聖句です。ある方は、「主は正しい」とは「主のなさることは正しい」ということであり、自らの罪を認めることである、と書いておられました。ただ、逆に言えば、私たちの罪とは、レハブアムもそうであったように、どんな時にも「主のなさることは正しい」と言い切ることができない罪であると思わされます。しかし、私たちには希望があります。それは、主は正しいだけの方ではなく、愛なる方であり、その愛の証しとして、イエス様を送ってくださったからです。今週も、

『罪の増し加わるところに、恵みも満ちあふれました』(ローマ5:20)

というみことばの約束を信じて、歩み続けたいと思います。

メッセージ内容のダウンロード(PDF103KB)

新聖歌

開会祈祷後:143番、メッセージ後:340番

聖書交読

詩編 50篇1~15節

2020年教会行事

今週のオリーブ・いきいき百歳体操はお休みです。

#52-2737

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