ヨシヤ王の死[家庭礼拝対応版]

コロナの感染拡大が続いていますが、千里教会では 3 密を避けるため、当面の間 2 階の礼拝堂で短時間の礼拝を行うこととします。
高齢の方、体調のすぐれない方、ご不安な方は、当ホームページに掲載のメッセージ原稿やYoutube動画を活用いただき、それぞれのご自宅で礼拝をお捧げください。

メッセージ

<歴代誌 第2 35章20~27節>
牧師:砂山 智

開会聖句

「見よ、その時代が来る-主のことば-。そのとき、わたしはイスラエルの家とユダの家に語ったいつくしみの約束を果たす。

<エレミヤ書 33章14節>

メッセージ内容

Youtube動画


動画公開が遅れて申し訳ありません。 メッセージ動画公開:12/14 PM 10:00

メッセージ原稿は、家庭礼拝用として事前公開します。

 
<序論>  

・11月から「Ⅱ歴代誌」をテキストにお話ししてきましたが、今日が最終回となります。最終回の主人公はヨシヤ王です。「中興の祖」という言葉があります。日本の徳川幕府で言えば8代将軍徳川吉宗(暴れん坊将軍)などが当てはまると思いますが、長く続いた王朝や会社もそうですが、傾きかけた組織を立て直し、危機を脱するのに多大な功績のあった人物のことです。今日のヨシヤ王はまさしく、そのような「中興の祖」であり、そして、イスラエル(南ユダ王国)の歴史上、最後の名君でした。

<本論>
1、ヨシヤ王の改革の意義

『ヨシヤは八歳で王となり、エルサレムで三十一年間、王であった』(Ⅱ歴代34:1)。

ヨシヤ王が即位したのは紀元前640年と伝わっていますが、その時、彼は、僅か8歳の少年でした。次の2節には、その生涯を総括したことばが書かれています。
『彼は主の目にかなうことを行い、父祖ダビデの道に歩み、右にも左にもそれなかった』(同34:2)。
そして、ヨシヤ王の具体的な業績は3節以降です。その治世の第八年、16歳になったヨシヤは、父祖ダビデの神を求めることから始め、第十二年、ちょうど20歳になった年に大胆な改革に乗り出します。それは7節までに書かれているように、当時、国中に満ち溢れていた異教の神々、偶像を打ち壊すという改革でした。そして8節。その治世の第十八年、つまり26歳の時に、ヨシヤは、荒れ果てた主の宮(エルサレム神殿)の修理を始めるのです。その様子が13節まで描かれています。
ここまでは先週お話ししたヒゼキヤ王(ヨシヤ王の曾祖父)とよく似ています。ただ、ヨシヤ王の生涯において忘れてはならないことがあります。それは、この神殿の修理の際に「律法の書」(申命記)が見つかったということです。そのことは34章14節以降にありますが、ヨシヤ王が行った改革(信仰復興運動)の大きな原動力となりました。しかし、それで終わりではなかったんです。この発見は、この後のイスラエルの歴史においても極めて重要な意味を持つことになるのです。ヨシヤ王の死後、イスラエル(南ユダ)は急速に衰退してゆきます。そして、紀元前586年、あのバビロン捕囚によって完全に亡ぼされてしまうわけですが、それに伴い、エルサレム神殿も失われてしまいます。つまり、ユダヤ人は、国だけではなく、自分たちの信仰の拠り所も失くしてしまったわけです。彼らは遠く離れたバビロンの地で屈辱的な生活を強いられることになるのですが、そんな彼らの心の支えになったのが、この時、発見された「律法の書」だったのです。そして、そのことによって、彼らの間に、神殿中心の信仰ではなく、律法中心の信仰が確立されたのだろう、と言われています。現在の旧約聖書にある多くの書簡もこの時期に編纂が進められ、それが後のローマ帝国以降のディアスポラ(離散)の時代においても、国や神殿を持たないイスラエル民族のアイデンティティを守ることにつながったんですね。

2、不可解な死

ただ、そんな素晴らしい業績を残したヨシヤ王でしたが、その死は実にあっけないと言うか、不可解とも言えるものでした。私たちは彼の死をどのように受け止めればよいのでしょうか?彼は高慢になり、思い上がっていた。或いは、一旦、振り上げた拳を下すことができなかった、冷静になることができなかった。確かにそうかもしれません。しかし、よーく考えてみると、この時、エジプトの王ネコが語ったことばを神からのものとして聞くということは、本当に難しいことだったと思うんです。というのは、ネコは確かに「神」ということばを使ってはいますが、この「神」は、恐らく「聖書の神(主)」のことではなく、エジプトの神々のことだったと思うからなんです(違う解釈もあります)。しかし、神(主)は、そんなネコのことばさえも用いて、ご自身のみこころを示そうとされたのです。既にお話ししましたように、ヨシヤ王は、自分の国にあった異教の神々、偶像を徹底的に破壊したほど、主への信仰心に篤い王でした。そんなヨシヤが、エジプトの王の語ることばを主のことばとして聞くということは、あり得ない話だったのではないでしょうか。ただ一つ、このことから言えることがあるとすれば、私たちは、聖書の神は一点の曇りもなく正しい方であると信じていますが、そのように信じている私たちも同じように正しいというわけではない。それは、どんな時にも忘れてはならないと思わされます。

<結論>
さて、ずっと「歴代誌」から見てきましたが、今日のヨシヤ王の死は、大きな歴史の流れから見ても一つの転換点であったと思います。この戦い(メギドの戦い)があったのは紀元前609年なんですが、この時、ネコが本当に戦おうとした相手はユダではなくバビロンでした。彼は滅亡寸前だったアッシリアを助けるために出て来たんです。この3年前、アッシリアの首都ニネベはバビロンなどによって破壊され、言わば古代オリエントにおける覇権がアッシリアからバビロンに取って代わられようとしていたんですね。ヨシヤ王の死は、結果として、その後のバビロン捕囚への引き金となり、先程、お話ししたような経緯を経て、やがて時代はメシア待望の時代へと突き進んでゆくのです。

25節に『エレミヤはヨシヤのために哀歌を作った』

と記されています。これは現在の旧約聖書にある「哀歌」とは別のもので、失われてしまったそうです。エレミヤはヨシヤ王の治世の第十三年に預言者として召しを受け、ヨシヤが死んだ後、祖国ユダが亡びてゆく時代と共に歩んだ預言者ですから、ことのほかヨシヤには強い思い入れがあったのでしょう。エレミヤの後半生は、まさに亡国の時代、暗黒の時代と言えました。しかし、そんな真っ暗闇の中で、彼は一筋の光明を見出します。それが、今日の開会聖句であるメシア預言なんです。続く15,16節のみことばで、今日の説教を閉じたいと思います。

『その日、その時、わたしはダビデのために義の若枝を芽生えさせる。彼はこの地に公正と義を行う。その日、ユダは救われ、エルサレムは安らかに住み、こうしてこの都は『主は私たちの義』と名づけられる』(エレミヤ33:15.16)。

メッセージ内容のダウンロード(PDF96KB)

新聖歌

開会祈祷後:68番、メッセージ後:82番

聖書交読

イザヤ書 9章1~7節

2020年教会行事

12月16日(水)オリーブ・いきいき百歳体操

#52-2741

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