なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。
メッセージ
<歴代誌 第二 22章1~12節>
牧師:砂山 智
開会聖句
彼らは王の子を連れ出し、王冠をかぶらせ、さとしの書を渡して、彼を王と宣言した。そしてエホヤダとその子たちが彼に油を注いで、「王様万歳」と叫んだ。
<歴代誌 第二 23章11節>
メッセージ内容
Youtube動画
公開が遅れて申し訳ありません。 メッセージ動画公開:10/19 AM 1:37
メッセージ原稿を公開しました。
・「Ⅱ歴代」からの二回目です。先週の説教で、南ユダは北イスラエルとは違って、代々、ダビデ王朝が続いたとお話ししましたが、それが一度だけ途絶えたことがありました。今朝の話に出てきた女王アタルヤの時代です。アタルヤは、南ユダの歴史上というか、古代イスラエルの歴史上、唯一の女王でしたが、それよりも問題だったことは、彼女があの悪名高い北イスラエルの王アハブとその妻イゼベルの娘であったということです。アハブとイゼベルと言えば、「Ⅰ列王」に登場する預言者エリヤを思い出す方も多いでしょう。アタルヤは北イスラエルの王女でしたが、南ユダの王ヨラムと結婚します。ヨラムの父ヨシャファテは、先週、お話ししたアサの息子で、善い王様と言われているのですが、実は彼の頃から、南ユダは北イスラエル(オムリ王朝)に接近し、同盟を結んでいたのです。ですので、ヨラムとアタルヤの結婚は、所謂、政略結婚であったと思われます。ヨラムは、その妻の影響もあってか、主の目に悪であることを行い、8年間の治世の後、重い病気にかかり、亡くなってしまいます(Ⅱ歴代21:5,6、18~)。そして、既に年長の子らが、皆、殺されていたため、末っ子のアハズヤが王位を継ぐことになります。それが、今朝の冒頭の1節に書かれていたことです。
<本論>
1.毒親アタルヤ
『アハズヤは四十二歳で王となり、エルサレムで一年間、王であった。彼の母の名はアタルヤといい、オムリの孫娘であった』(Ⅱ歴代22:2)。
この2節に記されているアハズヤの年齢なんですが、新改訳聖書では、そこに※がつけられていて、下に「七十人訳のある写本、およびⅡ列8:26は「二十二歳」」と書かれています。実は、今朝の箇所のすぐ前には、
『彼(ヨラム)は三十二歳で王となり、エルサレムで八年間、王であった。彼は惜しまれることなく世を去った。人々は彼をダビデの町に葬ったが、王たちの墓には納めなかった』(同21:20)
とあって、アハズヤの父ヨラムは41歳で亡くなったことが分かります。そうすると、どう考えてみても、その息子のアハズヤが42歳で王となったというのはおかしいんですね。親子なのに、父ヨラムが亡くなった時の年齢より息子のアハズヤが王となった年齢の方が1歳上ということになりますので。ということで、アハズヤが王となったのは22歳というのが正しいことになるでしょう。そして、もしかしたら、この22歳という若さで王になったことが、アハズヤの生涯に大きな影を落としたのかもしれません。来年のNHK大河ドラマは「豊臣兄弟!」だそうですが、秀吉と淀君の息子であった秀頼も23歳で亡くなっています。大阪夏の陣ですね。秀吉が亡くなった後、淀君が実権を握って政に介入したことが豊臣の天下を終わらせた原因の一つとなったと言われていますが、今朝の3節にも、
『彼もまた、アハブの家の道に歩んだ。彼の母が助言者となり、悪を行わせたのである』(同22:3)
と書かれてあるように、アタルヤは、アハズヤにとっては、所謂「毒親」だったということでしょう。
2. ニムシの子エフー
そして、5節以降には、そのアハズヤの死と、それを知ったアタルヤが、ユダの王位を簒奪したことが描かれていました。先週もそうでしたが、どうもこの辺の時代は、同じ名前の人が多いのでまぎらわしいのですが、5節に出て来るヨラムは、アハズヤの父のヨラムではなく、北イスラエルのアハブの息子で次の王となったヨラムのことです。ですから、アタルヤの兄弟ということになります。先程も申し上げましたように、当時、ユダとイスラエルは同盟関係にありましたので、アハズヤはアラムとの戦いで負傷した、叔父のヨラムを見舞うため、彼の下を訪れていたのです。ところが、図らずも、そのタイミングでクーデターが起きます。その首謀者はイスラエルの将軍ニムシの子エフーでした。彼はオムリ王朝(アハブ王家)を滅ぼすために、あの預言者エリシャの命により王として油注がれた人物です。エフーは、その預言の通り、アハブの一族を根絶やしにして自分の王朝を打ち立てるのですが、そのへんの経緯は「Ⅱ列王」9章に詳しく記されています。そして、この時、タイミングの悪いことに、見舞いに訪れていたアハズヤも、彼はイスラエルの王でなくユダの王なんですが、アタルヤの息子でアハブ王家に連なる一族だということで殺されてしまうんですね。ただ、9節に書かれている通り、エフーは、彼が心を尽くして主を求めたユダの王ヨシャファテの子である(実際は孫ですが)と言って、彼を手厚く葬ったとありました。それは、エフーのクーデターが、決して彼の私利私欲から出たものではなく、あくまでも神様からの召しによるものだったということを示していると思います。ですので、エフーは、イスラエルの王の中で唯一の名君と呼ばれています。ただ、それはあくまでも、他のイスラエルの王たちと比べて、という意味ですが。
3. 異母姉妹エホシェバ
一方で、10節。
『アハズヤの母アタルヤは、自分の子が死んだと知ると、ただちにユダの家に属する王の一族全員を滅ぼした』(Ⅱ歴代22:10)。
これは完全にアタルヤの私利私欲によるものだったと言えるでしょう。さっき簒奪と言いましたが、それは正当な継承資格のない者が、力や策略によって君主の地位を奪い取ることを言います。この時、アタルヤは、まさにユダの王位を簒奪したのです。けれども、神様は思わぬ人物を用いてアタルヤの陰謀を打ち砕くための布石を打たれました。それが、今朝の最後の11、12節に書かれています。エホシェバは、ヨラム王の娘ですから、アハズヤから見ると姉妹にあたりますが、「日々のみことば」の執筆者は、彼女をアハズヤの異母姉妹と解説しておられました。ということは、彼女はアタルヤの娘ではなかったということですね。11節に、
『ヨラム王の娘エホシェバが』
とだけ紹介され、アタルヤの名前がないということは、そういうことなのでしょう。
<結論>
『ヨアシュはこの人々とともに、神の宮に六年間、身を隠していた。その間、アタルヤが国を治めていた』(Ⅱ歴代22:12)。
この時、ヨアシュが匿われていたところが、どこか人の知らないような隠れ家みたいなところではなくて、神の宮であったというのは、なにか象徴的な意味があるように思えます。それは、ヨアシュが、様々な人間の思惑を遥かに超えた神の御手の内に守られていたということを表しているのではないでしょうか。先週と今週は「Ⅱ歴代」からでしたが、この時代は本当に様々な人間の野望が渦巻き、取った取られたと、さながら戦国時代のようなんですが、そんな時代にも、確かな神のみこころ、ご計画があったということですね。今朝の開会聖句は、それから6年の後、エホシェバの夫で祭司であったエホヤダがヨアシュに油を注ぎ、王と宣言した場面です。その時、王冠とともにヨアシュに手渡されたのは「さとしの書」、つまりモーセの律法の写しでした。平行記事の「Ⅱ列王」11章12節にも同じことが書かれています。そして、周りにいた人たちは、口々に「王様万歳」と叫んだと。アタルヤはその声に気づき、「謀反だ、謀反だ」と叫びますが、その声も空しく、主の宮から引きずり出されて、王宮まで連れて行かれて殺されてしまいます。それは人間的に見れば、まさに権力闘争以外の何物でもない、本当に血なまぐさい事件なんですが、エホヤダを始めとする人たちは、そんな人間の生々しい営みの中にも働いておられる神の御手の確かさを仰ぎ見て、「王様万歳」と叫んだのです。彼らの神は、人間の頭の中だけの思念の神ではなく、まさに歴史の中に生き、私たち人間の世界に働き給う神だったと言えるでしょう。ちょうど今、日本の政治の世界でも、命のやり取りとまではいかなかったとしても、生々しい権力闘争の真っ最中です。否、それは日本だけではありません。私たちも、そんな中にも確かに働いておられる神を仰ぎ見つつ、歩んで行きたいと思います。
会衆讃美
開会祈祷後:新聖歌199番、メッセージ後:新聖歌316番
聖書交読
詩編143篇 1~12節
2025年教会行事
10月15日(水) オリーブ・いきいき百歳体操 (10時~11時)
#57-2994