なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。
メッセージ
<士師記 14章12~20節>
牧師:砂山 智
開会聖句
サムソンは言った。「ろばのあご骨で、山と積み上げた。ろばのあご骨で、千人を打ち殺した。」
<士師記 15章16節>
メッセージ内容
Youtube動画
メッセージ動画公開:10/11 AM 9:54
メッセージ原稿を公開しました。
<序論>
1.ナジル人
「士師記」には、この時代にイスラエルと敵対していた多くの異民族が出てきます。それは、アラム、モアブ、ミディアン人、アモン人などで、彼らのルーツを辿れば、イスラエルと何らかのつながりのある人たちが殆どなんですが、イスラエルの民は約束の地カナンに入った後も、それで安泰ではなく、依然として多くの敵に取り囲まれ、不安定な生活を強いられていたのです。聖書は、その原因を、イスラエルの民の悪(不従順・偶像崇拝)にあったと記しています。
『イスラエルの子らは、主の目に悪であることを重ねて行った。そこで主は四十年間、彼らをペリシテ人の手に渡された』(士13:1)。
サムソンが戦った相手、異民族は、このペリシテ人でした。ペリシテ人と言えば、多くの方はダビデの話を思い出すのではないでしょうか。彼らのルーツはエーゲ海などのギリシアの沿岸地域にあったようですが、「パレスチナ(ペリシテ人の土地)」の由来となった人たちです。それは、今のイスラエル、ヨルダン西部の一部、西岸地区、ガザ地区を含んだ広い地域を指します。ただし、今の「パレスチナ人」と呼ばれる人たちはアラブ系ですので、聖書のペリシテ人とは全くつながりはないんですね。それなのに、今だにその地域の名称として残っているということは本当に不思議です。それは、聖書のペリシテ人がとても強力な民族だったから、ということなのかもしれません。神は、そのペリシテ人に、四十年間、イスラエルを支配することをお許しになりました。ただ、四十というのは、皆さんもご存じのように、聖書では繰り返し出てくる数字(年数)ですので、それが本当に四十年間であったのかどうかは分かりませんが、彼らはかなりの期間、イスラエルを支配し、イスラエルの民を苦しめたようです。そこで、神は、またもや、イスラエルを救うために一人の士師を起こされた。それがサムソンでした。サムソンは、十二部族の一つのダン族のマノアという人とその妻(名前は記されていません)の子どもで、生まれる前に主の使いが現れ次のように告げます。
『「見よ。あなたは不妊で、子を産んだことがない。しかし、あなたは身ごもって男の子を産む。今後あなたは気をつけよ。ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。汚れた物をいっさい食べてはならない。見よ。あなたは身ごもって男の子を産む。その子の頭にかみそりを当ててはならない。その子は胎内にいるときから、神に献げられたナジル人だから。彼はイスラエルをペリシテ人の手から救い始める』(同13:3b~5)。
「ナジル人」とは、「聖別された者」(民6章)という意味です。それには一時的なものと生涯に渡るものとがありました。今朝のサムソンや新約聖書の福音書に出てくるバプテスマのヨハネなどは生涯に渡るナジル人であったようです。誕生にまつわる話も似ていますが。このナジル人というのは、かなり風変りと言うか、ハッキリ言えば奇人・変人の類で、浮世離れした人が多かったようです。サムソンも、まさにその一人でした。
2.主によること
まず、彼は何よりも屈強な人でした。ただし、これもよくある話ですが、強さと脆さは背中合わせ、致命的な弱点もあったんです。その一つが女性です。「英雄色を好む」と言われますが、14章の初めを見ると、彼はペリシテ人の娘を一目見て、自分の妻にしてほしいと言い出します。しかし、当時の結婚は、本人同士ではなく、親同士で決めるというのが普通でした。また、イスラエル人は異邦人との結婚は禁じられていましたので、サムソンが言い出したことは全く常識外れで、何よりもイスラエルの律法に背くことでもありました。ただ、今朝の箇所の少し前、14章4節には興味深いことばが書かれています。
『彼の父と母は、それが主によることだとは知らなかった。主は、ペリシテ人と事を起こす機会を求めておられたのである。そのころ、ペリシテ人がイスラエルを支配していた』(士14:4)。
私たちには理不尽に見え、全く理解不能と思えるようなことであっても、神はそのことを通してご自身のみこころを行われる場合があるということですね。この時、サムソンの父と母が、それが主によることだとは知らなかったのと同じように、私たちも多くのことにおいて主のみこころを知ることはできません。けれども、そんな私たちでも知っていることがあります。それはイエス様によって証しされたことです。神は愛であり、すべてのことを働かせて最善をなしてくださる方であるということです。
その後のところを読むと、サムソンは、自分に向かって来た一頭の若い獅子を、まるで子やぎでも引き裂くように引き裂いたとあります。漫画みたいな話ですが、この時、サムソンが倒したライオンの死骸は、パレスチナの厳しい暑さと乾燥した気候のために、すぐにミイラのようになったのではないかと、ある本に書いてありました。まるでライオンの干物ですが、その干物のようになったライオンの死骸に蜜蜂が巣を作ったということですね。そして、サムソンは、ペリシテ人の娘との結婚の祝宴でペリシテ人たちにその謎をかけ、その後の話は、先程、読んでいただいた通りです。
<結論>
そして、今朝の物語には続きがありまして、次の15章で、サムソンは婚礼からしばらくしてペリシテ人のティムナの女のもとを訪ねます。しかし、彼女の父は、結婚は既に解消されたものと思い、サムソンの承諾を得ることなしに、娘を婚礼に来ていた客の一人に妻として与えていたのです。そのことを知ったサムソンは怒ります。そして、なんとジャッカル三百匹の尾にたいまつをつけて、その火でペリシテ人の麦畑を焼き払ってしまうという暴挙に出ます。それに対してペリシテ人たちも黙ってはいません。女とその父を焼き殺してしまうという、これまた恐ろしい仕返しをするのです。それを知ったサムソンはさらに怒り狂って彼らに報復するのですが、それが今朝の開会聖句です。この箇所の解釈と言うか、ここからどのような霊的教訓をくみ取るかということについては、実に様々なものがあるようです。もちろん、今の私たちは、やられたらやり返すという血生臭い報復合戦にはノーですが、私は、ろばのあご骨というのを見たことはありませんが、それはどう考えても、戦うための武器には適さないものでしょう。けれども、主の霊が下り、サムソンがそれを手にしたとき、驚くべき神の業がなされたのです。神が本当に用いられるのなら、サムソン自身もそうですが、どんなに欠けだらけで、とても役に立たないと思えるようなものであっても、それは用いられるのです。そして、この後、皆さんと一緒に賛美をお献げしますが、「ろばのあぎと骨 そはわがこと」。お互い忘れずにいたいですね。
新聖歌
開会祈祷後:新聖歌199番、メッセージ後:新聖歌380番
聖書交読
詩編36篇 1~11節
2026年教会行事
10月7日(水)オリーブ・いきいき百歳体操 10時~11時
#58-3045

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