福音を体現する教会(MB75周年 記念礼拝)

令和5年5月8日(月)より新型コロナウイルス感染症が5類感染症へ移行することに伴い、礼拝での規制を緩和します。具体的には、会衆讃美は全節歌唱する、省略していた聖書交読を復帰し、司会者朗読→会衆朗読を交互に行います。
なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。

メッセージ

<マタイの福音書 5章14~16節>
MB堺中央/泉北キリスト教会牧師・福音聖書神学校校長:杉 貴生

開会聖句

全地よ 主に向かって喜びの声をあげよ。―以下省略―

<詩編 100篇>

メッセージ内容

Youtube動画

動画公開をいましばらくお待ちください。
 メッセージ動画公開:9月14日 AM 9:00


 メッセージ原稿を公開しました。  

日本MBが誕生して75周年となりました。また今年は私たちの信仰のルーツであるアナバプティズム(再洗礼派)の教会が誕生して500年の記念の年でもあります。1525年1月21日にスイスのチューリッヒで最初の再洗礼が行われました。敵意と分断の時代に生きる私たちですが、平和の福音を携え、これからも主の愛をこの世界に宣べ伝えていきたいと思います。

なぜここに教会が建てられたのか:教会の存在意義
教会は神様が呼び出し、召され、集められた神の群れです。神様はご自身の宣教のために私たちを召されました(Ⅰペテロ2:9)。私たちは神様の同労者として、神様の手足となって神様のわざ(宣教)をなしていくために、特別にこの世から呼び出されたのです。

神の宣教
宣教は教会形成に関わる働きに限定して理解されてきました。現在では会の枠を超えた社会的な働き、この被造世界全体に対する責任といった幅広い意味で捉えられるようになりました。神の宣教において教会は主要な役割を担っています。宣教は教会の本質に関わるものであり、選択可能なオプションではありません。神様は宣教の神としてご自身をこの世界にあらわされるお方であり、その御名が崇められることを願っておられます。

宣教する教会
教会はその本質(性質)において宣教的です。宣教的教会とは伝道プログラムに熱心な教会を必ずしも意味せず、そのような教会が宣教的とも限りません。私たちには宣教の使命が与えられています。イエス様の証人として、家庭、学校、職場、地域等、あらゆる所に遣わされ、言葉と行いを通して、神様の素晴らしさ、神様が示される価値観を表します。宣教とは特定のプログラムではなく、クリスチャンの生き方そのものなのです。

真の教会のしるし:教会が真の意味で「教会」になる
教会の教勢が伸び悩み、多くの教会が存亡の危機にあります。しかし、教勢の安定が宣教的であるしるしとは言えません。私たちの本当の課題は教勢ではなく、「真の意味で教会になっているのか」にあります。今日、人々は本物を求めており、偽物やまがい物に敏感です。教会は果たして本物を証ししているでしょうか。教会に愛、赦し、善意、慰め、誠実さを見出すことができるでしょうか。教会は人々を天国にもたらすのではなく、天国を人々にもたらすことに、神の国のあり方をこの地上に広げていくことに、もっと心を砕く必要があるのではないでしょうか。そのためには私たちが変わる必要があります。神の民が変えられ、刷新されなければなりません。神のことばは神の民が新しくされ、聖霊によって変革されるようチャレンジを与えています。私たちはその神様の声にしっかりと耳を傾けなければなりません。

神の国のしるし・証人・前味
教会は愛と赦しの福音を語るだけではなく、そこに生きていなければなりません。福音とは単なる教えや理論ではなく、見て、触れて、味わうことができるものです。人々は教会の交わりの中でそれを発見し、経験します(Ⅰヨハネ4:12)。教会は神の国そのものではありませんが、神の国のしるし・証人・前味です。人々は教会を通して神の国を垣間見ます。教会は山の上にある町であり、世界の光です。見えない神様は、キリストのからだなる見える教会を通して証しされます。

聖なる民(共同体)
神様は偉大な個人や聖人ではなく、聖なる民を求めておられます。聖なる民(共同体)とは聖人たちの集まりではありません。弱く不完全な者たちが神様の愛と赦しを経験し、その結果、互いを慈しみ、尊び、赦し、支え、受け入れ、仕え合う、そのような民のことです。そこに福音の証し(実)があります。

神の夢
人の悩みはすべて人間関係にあると言われます。他者を愛し受け入れることは並大抵のことではありません。それは肉にはできないことで、聖霊の助けが不可欠です。私たちの心が根本から造り変えられ、イエス様が愛されたように愛することができるよう祈り求める必要があります。私たちの心が変えられるというのは一種の奇蹟で、夢物語のようですが、神様は私たちに対してそのような夢を抱いておられます。教会に対する神様の思いはとてつもなく大きいのです。変えられた教会の存在は、この希望のない世界に光を与えることができます。共に主の教会を建て上げていきましょう。

参照聖句

あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。

(マタイの福音書5章14~16節)

しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。

(ペテロの手紙第一2章9節)

いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。

(ヨハネの手紙第一4章12節)

ですから、もしあなたが私を親しい友と思うなら、私を迎えるように彼を迎えてやってください。

(ピレモンへの手紙17節、新改訳第三版)

メッセージ原稿のダウンロード(PDF87KB)

会衆讃美

開会祈祷後:新聖歌172番、感謝と喜びを、土の器
メッセージ後:新聖歌143番

2025年教会行事


9月17日(水) オリーブ・いきいき百歳体操 (10時~11時)

#57-2990

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