まず主に尋ねて考えよ

メッセージ

<マルコの福音書 9章14~29節>
牧師:徳本 篤 師

開会聖句

また、主に従うことをやめ、主を尋ね求めず、主を求めない者どもを断ち滅ぼす。

<ゼパニア書 1章6節>

メッセージ内容

序文) 苦しむことはだれにでもある。それを誰に話せるかが大事

2017年4月17日月曜日のイギリスでのトップニュースは、ヘンリー王子の告白でした。ヘンリー王子が、兄のウィリアム王子と義姉のキャサリンと共に立ち上げたメンタルヘルス慈善団体「Heads Together」のイベントで、20年間封印してきた母の突然死で苦しんだ時の気持ちを告白したものでした。

母ダイアナ王妃を交通事故で突然失ったとき王子はまだ12歳でした。お母さん子だった王子は母の死を思い出すのが辛くて、それを封印して20年近く何事もなかったかのように生活をしてきました。20代頃から、いきなりその悲しみや辛さが怒涛のように襲ってくるようになりました。常に不安感に襲われ、精神崩壊の一歩手前の状態でした。自分には何らかの助けが必要だと気づくまでに20年かかりました。

王子がBBCのインタビューで伝えようとしたのは次のようなメッセージです。「周りに話すことで、心の苦しみや不安の問題を克服しよう」「苦しんだっていいんです。そのことを周りに話せる限り。それは弱さではありません」「弱さとは、問題を抱えながらそれに目を向けず、解決しようとしないことです」「苦しむことは、全くおかしいことではありません。どんな立場であるか、どんな仕事をしているかは関係ないのです」

本論)悪霊に力に対抗できず、自分の信仰に自信を失った弟子たち

今日の聖書において私たちの目に飛び込んでくる出来事は、弟子たちが悪霊の力と戦ってそれに対抗することができなかったこと。彼らが弟子としての面目を失ったばかりか、自分の信仰についても自信を無くしている姿です。信仰を告白するのに自信がなく、その一歩が踏み出さないでいる人。あるいは、長い間信仰者として歩んできたけれど現実の問題に立ち向かうときに、自分の信仰に自信が持てないで悩む人もあるでしょう。イエス様が弟子たちをどのように導いておられるかに注目してみましょう。

この男の子にとりついていた、悪霊はとても強力な力を持っていたことに注目してください。悪霊にも、色々に力や能力に違いがあることが分かります。弟子たちは悪霊をどのように追い出すか、その方法についてすでに知っていました。しかし、この場合はいくら追い出そうとしても、彼らに強い力で抵抗する悪霊だったようです。弟子たちは、イエスが男の子をこの悪霊から救い出されるのを見て、自分たちも同じ方法でやったのになぜできなかったのか疑問に思いました。

私たちは信仰の確信を自己過信と勘違いしてしまうことがあります。自分は神を信じているから巧くいくはずだ。とか、どんなときでも安心だ。と思い込んでいる場合があります。巧くいかないと、予想していなことがあると、まるで今まで信じていたことが失敗だったように落ち込んでしまうのです。それが自己過信です。

この子がイエスの所に連れてこられたとき、悪霊がその子に何をしたかを思い出してください。悪霊はその子を地面に押し倒しました。あわを吹きながら、ころげ回りました。イエスに対して自分の力を見せつけようとしたのです。おそらく、人々がこの子を弟子たちの所に連れてきたときも、同じようなことをしたのでしょう。悪霊は、相手に恐怖を与えて自分の存在感を強烈に示しました。弟子たちは、その子を支配する悪霊の恐ろしい力に圧倒されて怖くなったのかもしれません。その時、弟子たちは、動揺してしまって自分たちがどうすればよいのか分からなくなったようです。自分たちが神の御子キリストの弟子であるということ、その偉大なお方の存在を一瞬見失っていた可能性があります。

応答と決断)恐れないで祈り続けなさい。それが勝利の力となる

われわれにも予想もしなかった問題や状況に見舞われる時に、その問題や困難な状況に圧倒されて、自分の立つべきところを見失い、偉大な神の力を疑ったり見失ってしまうことがあります。イエスが弟子たちに語られた「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」ということばは、彼らが祈らずに悪霊と戦って失敗したことを責めておられるのではありません。むしろ彼らの苦労をねぎらい、彼らが自分の本来の姿、弟子のあり方を取り戻して立ち直るように励ましておられるのです。

われらは、暗闇の力に圧倒されてはなりません。驚いたり、怖がったりしてはいけません。弟子たちは、このような状態にあって、この場合にあって、無力でした。けれども、イエスは、どんな時にも、何事にも「祈りの力」を信じてあきらめないで戦い続けなさいと言っておられるのです。祈りとは神と連絡を取る電話線のようなものですから、祈りの力とは、神の力を信じること、キリストご自身の力を信じることと同じ意味です。祈ることから始めましょう。祈りの生活を復活させましょう。

弟子たちの目の前で悪霊につかれた子どもをいやされたイエスご自身も、実際にはこのいやしの場面において祈っておられる様子は見受けられません。しかし、すでに変貌の山において祈られていることが明らかです。そこにおけるイエスの祈りがイエスの力の源であったことを思い起こしましょう。イエスはわれらにも神を信じて勇敢に立ち向いなさい。あなたの信仰を明確にあらわしなさい。祈りの力を思い出しなさいと語っておられるのです。

メッセージ内容のダウンロード(PDF11KB)

新聖歌

開会祈祷後:263番、メッセージ前:041番、メッセージ後:200番

聖書交読

詩篇 22篇1~10節

お知らせ

★本日礼拝後、服部霊園に移動して合同記念会(12時30分開始)を行います。
★F.N姉は18日(火)に召天され、19日(水)に前夜式が、20日(木)に葬儀式が行われました。ご遺族の慰めのために祈りましょう。
★30日(日)はMB北部地区講壇交換のため、千里教会には藤野師が来られます。徳本師は総持寺教会に行かれます。(昼食が用意されます)

2017年度前半の主な教会行事
4月30日(日)  北部地区講壇交換(千里/藤野師、徳本師/総持寺)
6月04日(日)  ペンテコステ礼拝

#49-2551

Comments are closed