パウロの望み喜び誇り

メッセージ

<テサロニケ人への手紙 第一 2章17~20節>
牧師:徳本 篤 師

開会聖句

あなたがたこそ私たちの誉れであり、また喜びなのです。

<テサロニケ人への手紙 第一 2章20節>

メッセージ内容


序文)
8月15日は終戦記念日ですが、戦後72年が経過したことになります。昭和23年に厚生省(現厚生労働省)が行った調査によると、その時点で戦災孤児となられた子どもが全国に123,511人いたそうです。そのうち107,108人は親族らに引き取られ、残った7,117人は身寄りがなく浮浪児扱いされたそうです。親族に引き取られた孤児たちも、国の方針で半ば強制的に親族に押し付けられたかたちでしたので、そこで大変辛い思いをされたようです。それでも孤児にとって一番辛かったのは家族を失った淋しさだそうです。戦災孤児となられたご本人にとって、そのときの気持ちは72年たった今でも変わることがなく、自分の心の中では戦争はまだ終わっていないと語られていました。

本論)
本日の聖書個所に注目すると、テサロニケの人々から無理やりに引き離されたパウロの切実な気持ちが綴られています。17節の「引き離された<オルファニゾー>」とは、「孤児にされた」という意味です。この言葉には、無理やりに引き離された親子が、もう一度会いたくて、ひと時さえも我慢できない淋しさをあらわしています。

18節において、パウロの会いたいという切なる願いを「サタンが妨げた。」と語っています。具体的にどのような妨げがあったのか、(1)パウロの健康事情によるものか、(2)またはこの手紙を書いているコリントの教会での事情によるものか、(3)それともユダヤ人の暴動によってテサロニケの治安当局者から双方の接触を厳重に禁止されていたのか、その内容について詳しく書かれていません。15-16節を読むと(3)が有力かと思われます。いずれであっても、パウロの計画を妨げる、どうにもならない事情があったようです。結果的に、パウロはその後テサロニケの人々とは二度と会うことはありませんでした。

では、パウロとテサロニケの人々が再会を実現しようと必死に努力をしたことは無駄だったのでしょうか。サタンが勝利したのでしょうか。神のみこころとは一体何なのでしょうか。ここで落ち着いて考えてみると、サタンが激しく妨害したことによって、パウロの会いたい気持ちとテサロニケの人々の真剣な思いが高められ、この素晴らしい手紙が書かれました。それが新約聖書の中で永遠に残ることになりました。これが神のご計画であったとすれば形勢は全く逆転します。パウロもテサロニケの人々も神に愛された人々です。神は彼らを見捨てることは決してなさいませんでした。むしろ彼らを用いて、ご自分の働きを着実に進め、世界の歴史を書き綴っておられるのです。このことを思うとき、目の前の試練や困難を避けようと悩んでいるこの私たちは一体何を騒いでいるのか、――、考えさせられます。

次に、19節からパウロの望み、喜び、誇りの冠についてをみてみましょう。
「主イエスが再び来られる<パルーシア>」とは、旧約聖書の預言や福音書の中で「主の日」としてあらわされているものと同じです。パルーシアこそパウロの宣教の中心であり、教会が目指すべき目標として捉えられていました。従ってパウロの望み、喜び、栄誉の冠とは、地上的、一時的なものではありません。
パウロが語るのは、パルーシアから離れた望みは真の望みではなく、パルーシアから離れた喜びは真の喜びではなく、パルーシアから離れた冠は真の冠ではないのです。なぜなら、主イエスが再び来られる<パルーシア>の時に、この世のものはすべて消え失せ、過ぎ去っていくからです。主イエスと再び会う時に、希望は確信となり、喜びは現実となり、冠は確実なものになるからです。

私たちがこの手紙を読む時にある誤解を抱かないように注意してなければなりません。パウロとテサロニケの人々とを強く結びつけていたのは、地上的、人間的、感情的なつながりではなく、キリストにあってともに生きているという信仰と希望によるつながりだったのです。私たちの教会の交わりが、どうあるべきかを考える時に常に意識し、互いに励まし合っていくべきものとして、このつながりを見本にしていきたいと思います。

適用)
キリストが弟子たちと約束されたのは、

「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。」(ヨハネ14:18)

ということばでした。キリストは弟子たちを信頼できる者も親しい者もなくてさ迷わせたり、淋しい思いをさせるようなことには決してしないと約束されたのです。この約束はキリストの再臨の時まで待っていなくてもよいのです。今すでに私たちはよみがえられたキリストとともに生きているのです。私たちは、キリストが十字架で死なれてのち三日目に死者の中からよみがえって生きておられることを信じており、聖霊を通していつも身近にいてくださるこの方を知っているからです。

応答)
パウロにとってテサロニケの人々がそうであったように、キリストにとってあなたが誉れであり、喜びなのです。いつでもそうです。これからもそうです。あなたは、キリストご自身が身代わりとなるに値する大事な人なのです。決して孤児にはなさいません。

メッセージ内容のダウンロード(PDF69KB)

新聖歌

開会祈祷後:163番、メッセージ前:379番、メッセージ後:357番

聖書交読

詩篇 84篇1~12節

お知らせ

★本日から毎週礼拝後に会堂の掃除を行います。
★本日午後1時から7月度の定例運営委員会を開催します。
★8月1日~3日徳本師ご夫妻は牧師家族退修会に参加されます。
★夏季キャンプのスタッフと生徒たちのために祈りましょう。
★療養中およびご高齢の方々の平安と励ましのために祈りましょう。

2017年度後半の主な教会行事
8月4日~31日 教会堂外壁改修工事期間
9月3日 改修工事完成記念感謝会
10月8日 特別讃美礼拝 ゲスト:マキ&リリー
10月21日 オータムフェスタ:NBC
12月24日 クリスマス礼拝 祝会

#49-2565

One comment to this article

  1. mb-senri_web

    on 2017年7月31日 at 11:18 AM -

    メッセージ冒頭に紹介された、「戦災孤児」の記事をいくつかリンクします。(by:管理者)
    戦争が残した爪痕のひとつを、忘れてしまうわけにはいかないと思います。

    戦争孤児12万人の戦後史に迫る(NHK ニュースウォッチ9)
    http://www9.nhk.or.jp/nw9/digest/2017/05/0505.html

    焦土に残された12万人超の戦災孤児 「みんな死んじゃった…」 疎開先の桜の下で教師と泣いたあの日(産経新聞 【戦後70年~大空襲】)
    http://www.sankei.com/life/news/150307/lif1503070010-n1.html

    「戦争孤児は国から捨てられた」「絶対こりごり」 3月23日
    http://urano.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-f0c7.html