励まし合い、高め合いなさい

メッセージ

<テサロニケ人への手紙第一 1章1~10節>
牧師:砂山 智(代読:信徒K)

開会聖句

ですからあなたがたは、現に行っているとおり、互いに励まし合い、互いを高め合いなさい。

<テサロニケ人への手紙第一 5章11節>

メッセージ内容

Youtube動画

今週は都合により礼拝メッセージ動画配信はありません。


 

 メッセージ原稿を公開しました。 
 

<序論>  
・今朝のテキストは「テサロニケ人への手紙第一」です。テサロニケ教会はパウロの伝道によって生まれました(第二回伝道旅行)。その経緯は「使徒の働き」17章に記されています。テサロニケという町は紀元前315年にマケドニア王カサンドロスが妻テサロニカ(アレクサンダー大王の妹)の名にちなんで名づけた町です。紀元前168年以降はローマ帝国の支配下に入り、同148年、属州マケドニアの州都とされました。それは、テサロニケはマケドニアの中で最も重要な港湾都市(現在でもアテネに次ぐ第二の都市)であり、陸路においてもローマ帝国の東西を結ぶ重要な軍事道路エグナティア街道に面していたからです。ですので、パウロたちの福音宣教にとっても、戦略上、大変重要な都市であったと言えるでしょう。

<本論>
1.テサロニケ、ベレヤでの宣教

パウロはこの手紙の最初を、いつものように挨拶をもって始めます。3節をもう一度、ご覧ください。

『私たちの父である神の御前に、あなたがたの信仰から出た働きと、愛から生まれた労苦、私たちの主イエス・キリストに対する望みに支えられた忍耐を、絶えず思い起こしているからです』(Ⅰテサ1:3)。

「信仰から出た働き」「愛から生まれた労苦」「主イエス・キリストに対する望みに支えられた忍耐」。この三つは、同じパウロが書いた「Ⅰコリント」13章の有名なみことばを思い起こさせます。13章13節。

『いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです』(Ⅰコリ13:13)。

パウロ一行はテサロニケで三週間に渡って伝道します。それでイエス・キリストを信じ受け入れる人たちも出てきたのですが、一方でねたみに駆られるユダヤ人もいて、彼らはならず者を動員し、パウロたちが人々をカエサルに背くように扇動していると濡れ衣を着せ、役人に突き出します。何とか釈放されましたが、パウロたちは、それ以上テサロニケにいられなくなり、ベレヤという町に移って伝道を続けます。しかし、テサロニケのユダヤ人たちは、そのベレヤにまでやって来て、また邪魔をしようとします。執念深い人たちです。それでパウロはさらにアテネまで逃げて行かざるを得なくなるのです。ですので、パウロにとっては、テサロニケという町にあまり良い印象は無かったのではないでしょうか。一方でベレヤではどうだったかというと、「使徒の働き」17章11節以降には次のように書かれています。

『この町(ベレヤ)のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で、非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた。それで彼らのうちの多くの人たちが信じた。また、ギリシアの貴婦人たち、そして男たちも少なからず信じた』(使徒17:11~12)。

しかし、しかしです。本当に不思議なことですが、そんなベレヤにではなく、テサロニケに教会が誕生するのです。もちろん、ベレヤにも教会は誕生したかもしれませんが、聖書には、この箇所以外、ベレヤという町の名前は全く出てきません。この一事を見ても、神のなさることは本当に私たちの思いを遥かに超えたものだと言えるでしょう。そして、パウロは、ベレヤからさらにアテネに移り、そこでシラスとテモテが再度、合流しますが、どうしてもテサロニケのことが気になったのか、テモテをテサロニケに遣わします。そして、その後、パウロはコリントに移り、そこでテサロニケから戻って来たテモテと再会し、彼の報告を聞いて喜び、テサロニケの兄弟たちに手紙を書き送るのです。それが、今朝の「テサロニケ人への手紙第一」です。

2.あらゆる苦悩と苦難のうちにありながら

3章6節から、パウロは次のように書きます。

『ところが今、テモテがあなたがたのところから私たちのもとに帰って来て、あなたがたの信仰と愛について良い知らせを伝えてくれました。また、あなたがたが私たちのことを、いつも好意をもって思い起こし、私たちがあなたがたに会いたいと思っているように、あなたがたも私たちに会いたがっていることを知らせてくれました。こういうわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦悩と苦難のうちにありながら、あなたがたのことでは慰めを受けました。あなたがたの信仰による慰めです。あなたがたが主にあって堅く立っているなら、今、私たちの心は生き返るからです。あなたがたのことで、どれほどの感謝を神におささげできるでしょうか。神の御前であなたがたのことを喜んでいる、そのすべての喜びのゆえに。私たちは、あなたがたの顔を見て、あなたがたの信仰で不足しているものを補うことができるようにと、夜昼、熱心に祈っています』(Ⅰテサ3:6~10)。

パウロは、「兄弟たち。私たちはあらゆる苦悩と苦難のうちにありながら、あなたがたのことで慰めを受けました」と言っていますが、あらゆる苦悩や苦難を乗り越えて行く原動力となるのは、愛する方々の間で確かに働いておられる神の御業を拝することなんです。

<結論>

最後に、4節。

『神に愛されている兄弟たち。私たちは、あなたがたが神に選ばれていることを知っています』(Ⅰテサ1:4)。

神に愛されている、神に選ばれているということは、私たち信仰者にとっての一丁目一番地。一番大切な原点と言えますが、しばしば、私たちはそのことに疑いを抱くというか、自信が持てなくなります。すべては神の主権においてなされることですので、私たち人間には分からないというのが正直なところではあるのですが、パウロはなぜ、ここまで確信をもって、テサロニケ教会の人々が神に選ばれている、と言うことができたのでしょうか。
それは、次の5節に書いてあるように、パウロたちが伝えた福音が、ことばだけでなく、力と聖霊と強い確信を伴って、テサロニケの人たちに届いたことが分かったからです。人間的には非常に困難を覚えるようなテサロニケの状況でしたが、そんな中にあって、確かに神のみことばが働いておられる、聖霊が力強く働いておられるということを感じたからではないでしょうか。宣教の業は人間の業ではありません。そこに聖霊の働きがなければ、神の素晴らしい御業を拝することはできないのです。ある方は、説教とは電線のようなものだと書いておられました。それは、人々を信仰に導いていくものは牧師の言葉ではない。牧師の言葉を通して流れていく聖霊であると。そして、そのためには、その電線の両端につながっているそれぞれの霊的な備えが必要であると。今朝の開会聖句もそのことを言っているように思えます。

『ですからあなたがたは、現に行っているとおり、互いに励まし合い、互いを高め合いなさい』(Ⅰテサ5:11)。

皆さんの祈りによってご奉仕できることを感謝しています。これからも、互いに励まし合い、互いを高め合っていきましょう。

メッセージ内容のダウンロード(PDF97KB)

新聖歌

開会祈祷後:172番、メッセージ後:423番

聖書交読

詩編112篇 1~12節

2022年教会行事

8月24日(水)オリーブいきいき百歳体操(10時~11時)

#54-2830

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