主の日は盗人のように

メッセージ

<テサロニケ人への手紙 第一 5章1~11節>
牧師:徳本 篤 師

開会聖句

だから、目をさましていなさい。 あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。

<マタイの福音書 24章42節>

メッセージ内容


序論)
「牧師によって教会は育てられ、牧師は教会によって育てられる。」という信仰の先輩たちの格言があります。本質的に牧師および教会の働きは決して単独では存在できません。聖徒の交わりの中での共同作業として捉えられるものです。それがキリストの身体としての教会の健全な姿です。それは、交わりだけでなく、礼拝、教育、伝道、奉仕の分野でも同じです。私たちがパウロのことばを聞く時に、それをパウロ個人の独特な思想・理解・信仰として捉えるなら、それはパウロの教えとはかけ離れていることです。俗にいうパウロ神学とか、パウロの信仰とか、パウロ個人を崇拝するような行為は彼自身が最も嫌っていたことです。

パウロが個人的にテサロニケ教会を深く愛していたことは別として、彼の教えは決して彼個人のものではありません。私たちはその証拠を、第一コリント15章にみることができます。 

「3 私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、4 また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、5 また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。」(Ⅰコリント15:3-5)

ですから、教会の中核をなしている復活と再臨の教えは、パウロ個人の考えではなく、その殆どがイエスのことばを基本にした、初代教会の信仰告白なのです。それをそのまま列挙されていると捉えるべきです。パウロが「私も受けたこと」だと語っているのはそのことです。

私たちも今日の聖書個所から、当時のキリスト教会が共有していた信仰告白の中身がどのようなものであったかを知ることができますし、そのように理解すべきです。パウロは初代教会の信仰告白に沿って忠実に復活と再臨について解き明かしているものと考えましょう。

本論)
それでは、今日の聖書個所で語られているパウロの教えに注目しましょう。

1節、イエスの再臨の時は父のみが決定される。参照:マタイ24:36、使徒1:7
2節、イエスの再臨の時は盗人のように来る。参照:マタイ24:43-50、ルカ12:3-40、Ⅱペテロ3:10
3節、人々の間に偽りの平和や安全信仰が流行する。参照:エレミヤ6:13-14
5節、キリスト者はすでに暗やみから光に移されている。参照:ヨハネ8:12、エペソ4:8-14

6節、「目を覚まして」:再臨をつねに意識し、神の裁きの時を覚え、慎みのある日常生活を送りなさい。
8節、キリスト者の特徴である信仰と希望と愛を武具として身に着けなさい。参照:Ⅰコリント13:13
10節は、「私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。」 と、復活の身体と永遠のいのちのが保証されていることを伝えます。
11節は、再臨に備えて私たちがなべき事を書いています。ルカ19章には、小さな事にも忠実だった人は神に喜ばれ、神の国で大きな報いを受けることが約束されています。私たちがともに集まり、ともに主を礼拝し、ともに祈り、ともに交わりを続けるのは、お互いが成長するためです。信仰面で、品性の面で、聖さの面で、ともにスキルアップされ、ブラッシアップされ続ける必要があります。キリストの身体である聖徒の交わりには、私たちをすべての面で日々新たにする力と回復する力をもっています。

4節で、再臨の日が盗人のようにやってくると語られているのは、私たちの側にその理由があります。
黙示録2章4節で語られているように。私たちは「初めの愛から離れ」易いものです。最初の出だしは良かったのに、それを維持し続けることはとても困難です。かつて忠実に教会生活を送り、信仰に燃えていた人が、いつしか信仰への関心も情熱も冷めてしまうことが誰にでも起こり得るのです。

「最後良ければすべて良し」と言われているように、自分の最後がどうなっているかは大事なことです。すべての競技は最後のゴールのところで判断されるからです。最後まで走り続けられるためにはゴールが明らかに見えていなければなりません。私たちのゴールはイエスが再臨される時です。初代教会の聖徒たちも、パウロたちもそのように信仰の生涯を駆け抜けていきました。いま私たちもその競技に参加しているのです。ゴールから目をそらさないようにしましょう。

結論と応答)
今日の聖書から、教会は本質的にイエス・キリストを中心とした共同体であり、同じ信仰、同じ目標、同じ希望をもって互いを尊敬し、互いに認め合い、互いに仕え合う群れであることを学びました。教会が存在する意味と目的の核心となっているのは、イエスの再臨と聖徒たちの復活が実現することです。

私たちにとって、再臨の日は驚きではなく、期待の日です。地上におけるあらゆる苦しみ、悲しみ、恐れによる束縛から解放されます。イエスが直接に慰めてくださり、あなたに会えたことを喜んでくださる日です。初代教会の聖徒たちを生かした信仰の炎が、今も聖霊によって私たちの心に燃えているのは、素晴らしい奇跡です。 今まで一緒に走ってきた仲間として、最後は一緒にゴールしましょう。

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新聖歌

開会祈祷後:20番、メッセージ前:148番、メッセージ後:467番

聖書交読

詩篇 110篇1~7節

お知らせ

★本日礼拝後に9月度の聖餐式を行います。
★毎月第2週、第4週礼拝後に全員で会堂の清掃を行います。
★次週17日の礼拝後に女性会の讃美練習を行います。
★10月8日「秋の特別讃美礼拝」のチラシを活用してください。
★療養中およびご高齢の方々の平安と励ましのために祈りましょう。

2017年度後半の主な教会行事
9月24日 9月讃美礼拝 女性会合唱
10月8日 秋の特別讃美礼拝 ゲスト:マキ&リリー(坂本真紀姉&喜多ゆり姉)
10月21日 オータムフェスタ:NBC
10月29日 MB教団講壇交換
11月26日 11月讃美礼拝 ムジカンパーニュ
12月24日 クリスマス礼拝 祝会

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