主の教えに堅く立て

メッセージ

<テサロニケ人への手紙 第二 2章13~17節>
牧師:徳本 篤 師

開会聖句

ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。

<コリント人への手紙 第一 15章58節>

メッセージ内容


序文)
「よきおとずれ誌」11月号第一面の記事に石橋教会の南野師が終末は「すでに」ペンテコステの時から始まっており、再臨の時まで「いまだ」到達していない。教会はこの「すでに」と「いまだ」との狭間において主から託された使命をもって生きているということを書かれていました。
私は先週の聖書個所から、終わりの日のしるしとして必ず現れる「不法の人」を聖霊が引き止めておられるが、主イエスが再び来られる時に教会は終わりの日を迎えることを語りました。聖霊が引き止めておられる間は終わりの日は来ません。今日の聖書箇所では、聖霊の働きはただ「不法の人」を引き止めておられるだけでなく、「すでに」と「いまだ」の狭間において、聖徒たちを神の民にふさわしく整え、終わりの日に備えるために働いておられるということを取り上げています。

本論) 
パウロは終わりの日に向かって進んでいる教会において、現在も聖霊がなし続けておられる3つの働きについて語っています。
第一に、聖霊は聖徒たちをきよめて選ばれた神の民にふさわしく整えておられるださっている
13節においてパウロは人の努力や訓練によるきよめではなく、なぜ聖霊によるきよめのことを語るのでしょうか。それは聖霊の人との関わり、聖霊のご性質に関わっています。聖霊(ルアハー)とは、本来「息」や「風」をあらわします。創世記では神が人をご自分のかたちに似せて造られたと書かれています。
「神のかたち」とは、創造者なる神が人のうちにご自分とコミュニケーションできる能力を備え、それが人としてごく自然なことであることをあらわしています。目の見みえない霊の力が人の内なる力として内在し、それは人生を生きる力として働くものです。創造者である神がその力の源であられます。聖書は、人のうちに霊の力が備えられている一方で肉の弱さをも併せ持つ存在であることを説明しています。従って、聖霊の働きによらなければ、人は自分自身だけで神の民としてふさわしく整えられることは不可能です。

(以下の聖句参照してください)
イザヤ59:21では、

「『これは、彼らと結ぶわたしの契約である』と主は仰せられる。『あなたの上にあるわたしの霊、わたしがあなたの口に置いたわたしのことばは、あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、すえのすえの口からも、今よりとこしえに離れない」と主は仰せられる。』」

と語られています。
エゼキエル37:14では

「わたしがまた、わたしの霊をあなたがたのうちに入れると、あなたがたは生き返る。わたしは、あなたがたをあなたがたの地に住みつかせる。このとき、あなたがたは、主であるわたしがこれを語り、これを成し遂げたことを知ろう。」

と語られています。
ヨエル2:28-29では、

「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。」

と語られています。その約束はペンテコステの日に「すでに」実現しましたが、それは主イエスが再び来られる日まで「いまだ」に完成されることなく継続されているものです。

第2に、聖霊は聖徒のうちにキリストの福音を真理と信じる信仰を確立される
13節において、聖霊と私たちとの関わりにおいて、聖霊の働きによる真理を信じる信仰を確立されることを語っています。真理(アレセイヤー)とは、今まで見えていなかったものが明らかにされることをあらわします。イエスが人の子として来て下さったことによって神はご自分の民の救いの計画とその目的を明らかに示されました。さらに聖霊を与えることによってそれを完全に成し遂げようとされる神の意志と事実を明らかにされました。聖霊は信じる人々にとって助け主であると同時に、この世の考えの過ちと人が犯す悪と不正について明らかにされます。さらにその悪と罪に対して、その責任とさばきを明らかに示されます。
13節において、聖霊が私たちの決断を促され、持って立ち上がるときに背中を押してくださることが書かれています。信仰(ピスティス)とは、イエスのことばの真実に対する全き信頼をあらわします。信頼はそれを実行する決意によって実証されます。聖霊は、人の心にイエスが本当の神の御子キリストであるという確信を与えます。イエスを信頼する事によって心から尊敬してみことばを聞くようになります。聖霊は人の心に自分が理解したことをその通りに実行しようとする信念を生じさせます。このように、聖霊は私たちのうちに働かれ、神の民にふさわしく備えておられるのです。

第3に、聖霊は主イエスによる永遠の慰めとすばらしい望みを与えてくださる
17節において、聖霊は人に本当の慰めと希望を与えられることが書かれています。慰め(パラクレーシス)とは傍に立つという意味をあらわします。傍に立つことから、弁護人とか、助け手としてこの言葉が用いられています。聖霊は聖徒たちの弁護人として、彼等の傍らに復活された主イエスが居てくださることを知らせられます。第2コリント12章9節において、パウロ自身が聖霊によるこの慰めがどれほど大きなものであったかをあかししています。 次の、望み(エルピス)は単なる希望ではなく、確かな基盤に立った望みのことです。罪のさばきと死の恐れはキリストの救いが完了されたことによって完全に消え去りました。イエスご自身が死に打ち勝ってよみがえられたことにより、悪魔の支配に対する完全な勝利が事実となったとき、私たちの希望は確信に変わりました。私たちのうちに宿られた聖霊は私たちが終わりの日に受ける永遠のいのちの確かな保証となられました。この希望は永遠に消えることがありません。

結論と応答)
今日は私たちのうちに働いておられる聖霊の3つの働きについて語りました。
第1に、神とのコミュニケーション能力を引き出される。第2に、みことばの真理を信じる信仰を確信させる。第3に、弁護人のように傍に居られる復活のキリストを思い起こさせる。ことでした。
しかし、実際に私たちは聖霊が働いておられることを身近に感じて暮らしているでしょうか。私たちは聖霊に満たされるために何か特別なことをするように求められているでしょうか。ある条件を満たさなければ認めてもらえない事があるのでしょうか。不完全な自分には与えられないと諦めるべきものでしょうか。そのように考えたり案じることは全く不要です。聖霊に対する誤解です。あなたはその能力をすでに与えられていることを思い出してください。教会は「すでに」聖霊とともに、聖霊によって、聖霊のうちに生きているのです。
梅田でお昼の食事をした時、そこの店員さんが、お客からの注文を受けると大きい声で「ハイ喜んで」と返事されたことに驚きました。最初はやり過ぎだと思いました。しかし、幾度か聞いているうちに店員さんのやる気と明るい返事が店の雰囲気となって客席にも伝わり、それが気持ちよいと感じるようになりました。
「喜んで」応答することは神とのコミュニケーションにおいても大原則です。今日あなたが聞いて理解したことについて「喜んで」応答してください。神が親しく応えてくださいます。

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新聖歌

開会祈祷後:141番、メッセージ前:347番、メッセージ後:361番

聖書交読

詩篇 148篇1~14節

お知らせ

★本日の礼拝後に会堂の清掃を行います。
★Y.K姉は「説教学」の実習として、今月から来年 2 月までの 間に 5 回の説教演習を総持寺教会において受けられます。
★今月から工期 10 ヶ月の予定でMB宣教センターと石橋キリスト 教会の建設工事が開始されました。近隣住民とのトラブルも少な く、工事関係の業者も安全に作業が進められるよう祈りましょう。
★療養中およびご高齢の方々の平安と励ましのために祈りましょう。

2017年度後半の主な教会行事
11月26日 11月讃美礼拝 ムジカンパーニュ
12月24日 クリスマス礼拝/祝会/燭火礼拝

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