落ち着いた日々を歩む

メッセージ

<テサロニケ人への手紙 第二 3章6~18節>
牧師:徳本 篤 師

開会聖句

そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。

<ローマ人への手紙 14章19節>

メッセージ内容


序文)
MB教団の信仰告白には「聖書の民、宣教の民、平和の民」という3本柱が掲げられています。平和といえば一般の社会運動家が掲げる平和主義と混同されがちです。旧約聖書では平和をあらわすことばとして、「シャローム」が用いられています。相手に対する敵意がないという意味の他に、相手に対して負うべき負債がないという意味があります。新約聖書では、神に対する罪の代価がキリストの身代わりによって支払われたことによって、キリストを信じた人にはその負債がなくなった。それは人と神との平和が実現するために翁割れたキリストの愛のみわざとして書かれています。さらに「シャローム」は神との平和だけでなく、人と人との平和をあらわしていることも見落としてはなりません。

人との平和と対極にあるのは人の怒りの感情です。怒りは相手に対する不満から生じてきます。不満は相手の行いやことば対する疑い、それに納得できない思いから湧き上がってきます。神との平和は信仰とたましいの問題として扱われますが、人との平和はお互いの間に現実に存在する疑問や不満の感情をいかに解決するかという問題です。教会の内部で起こる平和の問題は、本人が問題だと思っていない事柄に対して、周囲の人々が疑いや不満を感じている場合に起こってくるものです。

本日の聖書個所はいよいよテサロニケ第二の最後の部分になりました。パウロが最後のメッセージとして取り上げていることはテサロニケ教会内に堅固な平和を築き上げるという課題でした。この手紙に書かれているようにテサロニケ教会は終わりの日に備え、自分たちの使命のために情熱をもって前進していました。聖徒たちの交わりを大切にし兄弟愛を実践していました。宣教のわざにも熱心に励んでいました。しかし、社会に対するあかしの推進力となっているのは実は平和の問題なのです。きょうは平和の問題に注目してみましょう。

本論) 
テサロニケ教会に起きた平和問題の原因として考えられることは、本来一体であるべき神との平和と人の平和が別々のものとして捉えられていたことです。

宗教に熱心なことが教会の問題、個人の問題のすべてがうまくいくという勘違いや勝手な妄想を抱かないよう注意すべきです。テサロニケ教会の一部の人々は過剰なくらい信仰に熱心になっていました。その熱心さから日常の生活や仕事に身が入らない状態でした。それは「間もなく世の終わりが来る。このことを知っている自分たちが周りの人々にも知らせるべきだ。のんびり自分の仕事に時間を費やしているような余裕などはない」と考えたようです。当然のこととはいえ彼らの言動は一般社会の人々から敬遠され、相手にされず、教会員の家々を訪ね回っていました。その家々でキリストの再臨に対する自分たちの考えを熱心に語っていましたが、実際にはその家族から食糧や生活費などの援助を受けていたのです。
教会は誕生した当初から、孤児や、未亡人や、迫害や諸事情によって貧しくなられた家族を援助してきました。テサロニケ教会もパウロが称賛しているようにこの点においては模範的な教会でした。聖徒たちの必要のために愛のわざに励んでいました。その愛のわざが「自分の勝手な理由で仕事をしない人々」に対しても同じように扱われていたのです。教会の多くの聖徒たちは、それは甘やかしであると感じていました。愛のわざと甘やかしを区別することは実はとても難しいことです。仕事しない人に教会が援助することに疑問を抱き、それが愛のわざと同等に扱われることに対して納得できないと感じていたようです。

例話)ロイド・ジョウンズ著「働くことの意味」
著者が若い頃に、水曜日の祈祷会に出たいから、早退させて欲しいと上司にお願いしたとき、上司から「私たち皆が組織で動いているのだから・・」とたしなめられたそうです。いくら教会のことに熱心であっても、そのような考えではこの社会で証しになりません。職場での誠実な働きそのものが主に仕えることであり、その姿と態度こそが、主の証しを上司にも、同僚にも立てていることなのだと納得できたそうです。
ロイド・ジョウンズ博士はエペソ人への手紙の講解説教から「働くことの意味」という本を書かれました。「働くことの意味」をひと言でいうと、それは「主に仕える」ことに尽きると語っておられます。たとえ奴隷のような立場にいても、主人のような立場にいても、全く差別なく、主を畏れかしこみ、キリストに従うように自分の仕事に従事するということです。教会において主に仕えることと、社会において主に仕えることは全く同じなのです。

適用と応答)
今日の聖書のことばを私たちにあてはめてみましょう。
第一に、私たちは神との平和の民であると同時に人との平和の民であるということにおいて一致した理解を持っているでしょうか。私たちの幸せな人生も、将来への希望も、信仰も、確信も、祈りも、讃美も、礼拝も、すべて平和のうえに成り立っています。平和は社会に対する教会のあかしであり、宣教の力です。

第二に、私たちが教会において主に仕えることと、社会において主に仕えることは全く同じであるということにおいて一致した理解を持っているでしょうか。平和の民である私たちは教会の中だけで主に仕えている者ではなく、社会においても主に仕えている者であることをあかしすべきです。今後何事があっても動かされることなく、主に仕える心で、いつもと同じように「落ち着いた日々を歩んで」いきましょう。

メッセージ内容のダウンロード(PDF74KB)

新聖歌

開会祈祷後:68番、メッセージ前:303番、メッセージ後:394番

聖書交読

詩篇 19篇1~14節

お知らせ

★本日の礼拝後に12月度聖餐式を行います。
★次週 10 日の礼拝に砂山智師が説教奉仕に来てくださることになりました。礼拝後に聖歌隊の練習、12月度運営委員会を予定しています。
★クリスマス献金のご協力をよろしくお願いします。
★療養中およびご高齢の方々の平安と励ましのために祈りましょう。

2017年-2018年前半の主な教会行事
12月24日 クリスマス礼拝/祝会/燭火礼拝
1月1日(祝・月曜) 元旦礼拝、新年聖会(石橋教会)
2月18日 年次総会(礼拝後)

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