神の国に続く道のり

メッセージ

<テサロニケ人への手紙 第二 1章1~12節>
牧師:徳本 篤 師

開会聖句

ヨハネは何一つしるしを行なわなかったけれども、彼がこの方について話したことはみな真実であった。

<ヨハネの福音書 10章41節>

メッセージ内容


序文) 「仕込み」次第で良い出来栄えを決定づける
「わが家で本場仕込みのイタリアン」という本が目に留まりました。イタリアンの本場イタリアで修行してきた日本人シェフが一般家庭でも簡単にできるイタリア料理の作り方を宣伝する本でした。良い結果を期待するなら「仕込み」を手抜きなく行うことは避けられません。料理なら下ごしらえの基本、大工なら道具の手入れ、運動選手なら基礎訓練、芸術家なら技術の切磋琢磨、どれも表には見えない部分です。継続することは楽ではありません。面倒なことかも知れません。しかし、その結果は仕上がりの質の良さに確実に現れます。この「仕込み」の考え方は、私たちの信仰生活にも当てはまるものだと思います。

本論) なぜ「忍耐と忠実」が必要なのか。
パウロは誕生して間もない教会のことをとても心配していました。愛弟子のテモテがその教会を訪ねて現状を知らせてくれました。テサロニケ教会はパウロの教えに従って模範的な働きをしていました。パウロはそのことを大変喜びました。今日の聖書個所にもそのことが十分にうかがえます。しかし、その半面、復活や再臨などに教理に関する理解不足や信仰生活での実践面でまだ未熟さがありました。パウロはそうした状況の中で、人々が様々な噂に踊らされたり、無用な混乱に陥ることがなく、落ち着いて自分の仕事と日常の生活に集中するように勧めています。

今日の箇所で、パウロが特に強調していることは4節にある「忍耐と忠実」です。新改訳聖書第二版では「従順と信仰」、最新の2017版では「忍耐と信仰」と書かれています。「信仰」は「忠実」と同じ原語からの訳語ですから、あえて「忍耐と忠実」とさせていただきました。

「忍耐と忠実」が重要なのはなぜでしょうか。パウロはその理由として、5節~10節で「神の正しいさばき」が明らかにされるためであると説明しています。神は非の打ちどころのない、まったく公平で、正当なことをされるお方です。それが、次の二つのさばきと、二つの報酬によって明らかにされると説明しています。

A 最初に二つのさばき(クリセオ:評価、審査、判定)について取り上げています。「さばき」ということばは、神が罪人の悪い行いを罰されるというイメージがありますが、本来「さばき」とは「審査」する。「評価」する。「選別」する判定が下されることをあらわします。

●キリスト者に対する「さばき」は神の国にふさわしいことの「評価」です。その「評価」の基準が「忍耐と忠実」です。従って「忍耐と忠実」は私たちが神の国にふさわしい者である証拠なのです。イエスは弟子たちに

「あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。」(ルカ12:7)

と語られました。神のみこころに忠実に生きようとするとき、神を敬う生活をの最優先にするとき、この世と調子を合わせない方向を選び、神に嫌われる行いを避けようとするとき、「忍耐と忠実」であることが問われます。パウロは「忍耐と忠実」が神の国の存在をあかしすることであり、「忍耐と忠実」はこの世に対して「神の正しいさばき」をあかしするものだと言います。これがキリスト者に対する神の「さばき」です。
●不信者に対する「さばき」は「選別」される者に該当するかの「審査」です。その審査の基準はキリスト者の「忍耐と忠実」に照らし合わせ、それらを引き起こした迫害や妨害が刑罰に値する証拠とされます。ですから、神がその証拠を握っておられるので、さばきの座において言い逃れる余地はありません。

B 続いて二つの報酬(アンタポドナイ:返す、報復)について取り上げています。「報酬」ということばは、人が良いことを行えば神が何か良いことをしてくださるというイメージがありますが、本来「報酬」とは「返す」「報復する」ことをあらわします。

●キリスト者には「忍耐と忠実」に対する「報酬」が与えられます。それが「安息」です。「安息」はただの休息ではありません。神の正しいさばきが行われ、それが実現された時に私たちの心は本当の平安と安息を得ることができます。神が約束されたことをすべて私たちに返してくださるとき、それを信じた私たちによって神はご自分の栄光をあらわされます。私たちの「忍耐と忠実」がすべて報われる時が本当の「安息」です。

●キリスト者を迫害し妨害した者にも「報酬」が与えられます。それは「苦しみ」です。「苦しみ」はただの刑罰や苦難ではありません。神の正しいさばきは、相手にしたことがそのまま自分に返されるという「報い」です。自分が行ったことを一つも漏れることなく永遠に悔やみ苦しむことになります。そのように本人がなしたわざを、そのまま本人に返されることで「神の正しいさばき」が明らかにされます。

これらのことは現在すでに一部分が明らかにされていますが、主が再臨される時には誰の目にも明らかにされます。「神のさばきの正しさ」は、この評価と判定は決して覆されることがなく、必ずその通りに実現することです。

結論と応答)
1今日明らかにされたことは私たちの「忍耐と忠実」が重要な鍵であることです。それは神のさばきの正しさを評価する基準となりました。私たちの人生が迷うことのなく真理の道を進み、確かに神に国への道のりを進んでいるというあかしです。

私たちの日常生活は調子の良い時ばかりではありません。心がくじけそうな日もあれば、元気を失う出来事もあります。正しいことだと分かっていても思い通りに進めない日もあります。足取りは重く、躓きそうになる時もあります。パウロはそんな私たちに「忍耐と忠実」が必要なことを教えます。私たちを成長させるのは「忍耐と忠実」が働く時です。他に近道も回り道もありません。

「忍耐」が必要なのは私たちがまだ弱いからです。「忠実」が必要なのは私たちがまだ不完全だからです。そんな私たちの背中を押して前進させてくれるのが「忍耐と忠実」です。その一歩がたとえわずかでも確実に私たちを成長させてくれます。今日も私たちに「忍耐と忠実」を働かすことができる信仰を与えてくださるように神に祈りましょう。

メッセージ内容のダウンロード(PDF72KB)

新聖歌

開会祈祷後:144番、メッセージ前:339番、メッセージ後:262番

聖書交読

詩篇 127篇1~5節

お知らせ

★本日の午後1時から10月度の定例運営委員会が開催されます。
★21日(土)11時からNBCにてオータムフェスタが開催され、午後からムジカンパーニュも出演奏します。
★22日(日)の伝道礼拝は一階の礼拝堂で行われます。
★29日(日)は講壇交換のため千里教会に尼崎教会の桑田学師が来られ、徳本師は山口県の周南教会に行かれます。
★療養中およびご高齢の方々の平安と励ましのために祈りましょう。

2017年度後半の主な教会行事
10月21日 オータムフェスタ:NBC
10月29日 MB教団講壇交換
11月26日 11月讃美礼拝 ムジカンパーニュ
12月24日 クリスマス礼拝 祝会

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