主の愛と真実は永久に

メッセージ

<テサロニケ人への手紙 第二 3章1~5節>
牧師:徳本 篤 師

開会聖句

イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。

<ヘブル人への手紙 第一 13章8節>

メッセージ内容


序文)
現在世界で最もクリスチャン人口が急成長している国はネパールだそうです。(世界クリスチャンデータベースの報告)1951年の国勢調査の時点ではクリスチャンの数はゼロでした。1961年には458人に増加しました。その40年後の2001年には約10万2千人に、さらにその10年後の2011年には3倍以上の37万5千人になりました。現在もさらに増え続けていると思われます。ネパールで教会が急成長した背景にはネパールの歴史が関連しているとみられます。長い間ネパールはヒンズー教を国教とする王国で外国に対しては鎖国状態でした。1990年代に民主化を求める内戦が始まり、2008年に王政が廃止されます。その後ネパールは共和国となり、新しい憲法で信教の自由が認められるようになりました。王政と古くからのカースト制度の差別社会に苦しんでいた人々が自由を求めてキリスト教に関心を持つようになったことが考えられます。このように堅く閉ざされた宣教の扉が思わぬところから突然開かれたという事例は世界各地で報告されています。中国でも共産主義の圧政のもとにありながら2010年の時点でプロテスタント教会に6700万人、カトリック教会と合わせると1億人以上のクリスチャンがいるという報告がなされています。 今日の聖書個所で、パウロが教会に宣教のための祈りを求めていることに注目しましょう。

本論) 
A 1節‐3節 パウロから教会へ宣教のための祈りの要請

第一に、教会の祈りの中心は宣教であることを大事にしていなければならない。私たちの必要が満たされることや、日常の諸問題の解決も大事なことに違いありませんが、教会の祈りの中心は宣教であることを忘れないようにしましょう。宣教のわざは直接に宣教の働きをする人々と、その人々を物心両面で支える人々との共同作業なのです。従って教会が宣教のために祈ることは、この世に対して自分たちの使命と情熱をあかしし続けることをあらわします。

第二に、宣教は教会の勢力の拡大や社会的地位の向上のためにあるのではなく、主のことばが教会を通して人々の間に広まっていくことです。主のことばは人々のたましいを生き返らせ、救いと永遠のいのちを確信させるものです。信じた人々は主をあがめる人に生まれ変わり、神の民に加えられます。それは教会の祈りと聖霊のみわざによって結ばれる実です。私たちもその実を期待して祈り続けましょう。

第三に、主のみことばを受入れる人々が起こされる一方で、その宣教のわざを妨害する人々も必ず起こされます。2節の「ひねくれた(アトポス)」とは、「見当違いをする」、「場違いな行動」をする人をあらわします。パウロはそのような人々から実際に妨害を受けました。(参照:使徒18:1‐11)教会は宣教のために祈る一方で、そのような妨害から守られるように祈る必要があるというのです。
例話1) 石橋教会の前任牧師有田優先生が言っておられました。「世間で色々と噂になっている教会は困ったものだが、噂にならないような教会も問題だ。」 生きていることは、それだけで生活感があり、存在感があります。賛成する人もあれば、反対する人が当然あっていいはずです。教会がそこにあるのに、何の存在感もなく反応も感じないということは死んだ状態です。ですから、私たちは生きているあかしとして祈りの声をあげ、それを行動であらわしていきましょう。クリスマスもその機会になることを期待しましょう。

B 3節‐5節 パウロから教会への励ましととりなしの祈り

歴史学者藤原彰氏の研究によると、第二次世界大戦での戦没者230万人のうちの60%以上は病死だったことが報告されています。日本軍はアジア各国に兵士を派遣しましたが、その無謀な領土拡大計画のために、武器弾薬だけでなく、生活必需品さえ満足に行き届かない状況に陥りました。特にインドやビルマに出兵した戦没者の70%ほどは飢えと栄養失調のために病死したと言われます。
戦争の問題を事例にして宣教の働きについて語ることはふさわしくないかもしれませんが、原則は同じだと思います。宣教は直接に宣教の働きをする人とそれを支援する教会との共同作業であることが原則です。教会と宣教は常に一体であるべきです。従って教会が元気にならなければ当然宣教の働きも前進できないのです。
本日の聖書個所の後半部分は、パウロからテサロニケ教会への励ましの祈りのことばが書かれています。一般的に考えられることは教会が元気になるような何かイベントをして盛り上がったり、特別な講師を招いて励まされるような説教を期待することなどが考えられます。しかし、パウロの考えはそうではなかったのです。主が真実なお方であることにどれだけ教会が深く関わっているかが元気になる秘訣だと確信していました。
主が真実なお方であるという告白は、主のご性質を知る者たちが確信するあかしなのです。そのことは主の弟子たちによってあかしされています。ペテロは

「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。」(Ⅰペテロ2:22)

と自分が見たまま、感じたままをを告白しています。パウロも

「私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです。」(Ⅱテモテ1:12)

と告白することに、何のためらいもありません。パウロはこの真実なお方こそがすべての人を強くし、守ってくださるという確信を伝えているのです。
テサロニケ教会の人々はパウロや使徒たちを守ってくださった真実なお方を思い出すことによって励まされ、そのあかしを信じる信仰によって強く生きる希望と力を頂いたことでしょう。
それは、現在の私たちにもあてはまることです。聖霊は私たちの心を導き、主の変わらない真実がやがて勝利の扉を開き、約束されたことを必ず成し遂げてくださることを思い起こさせてくださるでしょう。パウロの祈りは、今も聖霊とともに私たちの心のうちに働いていることを覚えてください。

決断と応答)
まず私たちは今日教会の祈りの中心に何を据えたいか明確にしなければなりません。それは宣教だと学びました。私たちもそうすべきです。宣教は多くの人々のいのちを救いに導き、同時に私たちを活かすものです。宣教の祈りは私たちに生きる使命と情熱を燃え立たせてくれるからです。宣教の祈りは、私たちがこの世に存在しているあかしです。ここに存在している理由です。
次に教会が元気になることと宣教のわざが前進することが一体であることを思い起こしましょう。このバランスを無視することはできません。教会が元気になる秘訣は、人の熱心な努力や頑張りだけではなく、主が真実なお方であることを信じそこに信仰の根を張ることです。主はまごころから仕える人を決して躓かせるようなことはなさいません。人の愛は不完全ですが主の愛は本物です。人の忍耐はあてになりませんが主の忍耐はとても強力です。聖霊は私たちの心を導いて、どんな時でも主が私たちの味方であることを思い起こさせてくださいます。あなたに何がなくとも、何もできなくても、事実、主はあなたの力なのです。人を恐れないで、希望の灯を消さないで、真実なお方に期待して祈り続けましょう。

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新聖歌

開会祈祷後:163番、メッセージ前:316番、メッセージ後:20番

聖書交読

詩篇 1篇1~6節

お知らせ

★本日の午後から11月度の定例運営委員会が開かれます。
★次週26日(日)の讃美礼拝はムジカンパーニュが讃美します。
★今週23日(祝)教団協議会が大阪CGCにおいて開かれ、千里教会からの代議員として徳本師と信徒Kが出席されます。
★療養中およびご高齢の方々の平安と励ましのために祈りましょう。

2017年度後半の主な教会行事
11月26日 11月讃美礼拝 ムジカンパーニュ
12月24日 クリスマス礼拝/祝会/燭火礼拝

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