十字架から流れ出る愛

メッセージ

<イザヤ書 53章7~10節>
徳本 篤 師

開会聖句

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

<ヨハネの手紙 第一 4章9節>

メッセージ内容


序文)
クリスマスおめでとうございます。私たちの救い主イエスキリストのご降誕を、こうして皆さまとともにお祝いできることを、心から嬉しく思います。 さて、クリスマスということばがキリストを礼拝することをあらわしているように、クリスマスの主人公は神の御子イエスです。それを離れてクリスマスを語ることはできません。皆さまと一緒に本物のクリスマスをお祝いしたいと思います。

本文) 
さて、今日の聖書の箇所を読むと、多くの人々が期待する英雄の姿もなく、驚異的な力を振るって人々を敵の手から救い出すいうことでなく、かえって自分を無にして人々に仕える者が多くの人々のいのちを救うという、信じられないような神のみわざを預言しています。 10節には明確に「しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。」と書かれています。「みこころ」と訳されるヘブル語のカフェツということばは本来<喜び>をあらわすものです。<期待とおりの結果に満足する喜び>という意味になります。
したがって、御子イエスが十字架にかけたのは敵ではなく、

ヨハネ3章16節に「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

と書かれているとおり、父なる神が期待とおりの結果を願って、すなわち「みこころ」によって、それを行われたのです。
御子イエスは人々の救いを実現するために、ご自分を無にして父のみこころに従われました。すなわち、十字架のうえでご自身のいのちをささげられたのです。十字架から流れ出るイエスの愛を知った人々は、事実が想像していたのとはまったく違うこと、それと同時に驚くべき愛のみわざに圧倒されてしまいます。

洞察)
御子イエスの身代わりがどうして私たちの救いにつながるのでしょうか。この疑問に答える事例としてひとりの人物を紹介したいと思います。
長崎県長崎市大浦町には有名な国宝大浦天主堂があります。この天主堂に隣接する修道院があり、現在コルベ神父記念館になっています。ポーランド人修道士コルベ神父は1930年、36歳の時に数名の修道士とともに日本に来て、1936年まで精力的に宣教活動をしました。 しかし、第二次世界大戦が勃発し、祖国ポーランドはドイツのナチ軍に占領されることになりました。コルベ神父たちもこの非常事態に苦しむ祖国の人々のもとに帰って行きました。
教会堂はドイツ軍によって徹底的に破壊され、1939年8月神父や修道士は収容所に送られました。その中でコルベ神父はナチスの思想が神のみこころに反すると語ったため、さらに厳しいアウシュビッツ強制収容所に送られました。<囚人番号16670>それがコルベ神父につけられた番号でした。
1941年の夏、コルベ神父はアウシュビッツで強制労働に就かされていましたが、ある日、同じ班の囚人の中から脱走者が出ました。この収容所の決まりとして脱走者が見つからなかった場合、連帯責任として、見せしめのために同じ班の中から10人が処刑されることになっていました。その後、脱走者はついに見つからず、収容所所長は無差別に10人を選び餓死刑にすると宣言しました。息詰る時間が流れ、10人が選ばれました。その中に、突然妻子を思って泣き崩れる男がいました。彼はポーランド軍の軍曹でナチス軍に抵抗するゲリラ活動のために逮捕されていた人です。そのとき、囚人の中からひとりの男が所長の前に進み出ました。所長は銃を突きつけ「何か言いたいのか」と怒鳴った。しかし、男は落ち着いた穏やかな顔で「お願いしたいことがあります」と言った。所長が「お前は何者だ」と問うと、その男は「カトリックの司祭です。」と答えた。そして静かに続けた。「自分は、妻子あるこの人の身代わりになりたいのです」。所長は驚いて、すぐには言葉が出なかった。ほとんどの囚人がこんな場合は自分の命乞いをするものだが、他人の身代わりになりたいという囚人が現れたのです。しばらく考えて所長は「よろしい」と答え、コルベ神父を受刑者の列に加え、軍曹の男を元の列に戻しました。
こうしてコルベ神父は他の9人と共に<死の地下室>と呼ばれる餓死監房に連れて行かれました。この餓死監房は生きて出ることはできません。パンも水もなく、飢えは渇きよりも苦しく、そこからは絶えず叫びやうめき声が響きわたり、多くが狂い死するそうです。ところが、コルベ神父が監房に入れられたときは、中から祈りや賛美歌が聞こえてきました。他の部屋の囚人たちも一緒に祈り歌い出しました。彼は、苦しみの中で人々を励まし続け、仲間の臨終を見送りました。コルベ神父が<死の地下室>を聖堂に変えたのです。そして1941年8月14日、47歳のコルベ神父も永遠の眠りにつきました。
1982年に長崎を訪れた同じポーランド出身の教皇ヨハネ・パウロ二世はコルベ神父のことに触れて、「彼は自分が身代わりとなり一人の命を救っただけでなく、他の9人受刑者と苦しみを共にすることを選びました。彼は最期まで、見捨てられ絶望した人々を励まし続けたのです。」と語りました。

適用と応答)
神の御子イエスが誕生されたクリスマスを私たちはどのように礼拝すべきでしょうか。 死は恐怖であり、悲しみと孤独は絶望の暗やみです。愛の神は私たちを見捨てようとはなさらず御子イエスを世の光として遣わされました。
御子イエスは、あなたとともに悩み、ともに苦しみ、最後まで励まし続けるために、復活と永遠のいのちを与えるために、ご自分を無にして天から降って来られました。 あなたを生かすためにご自分のいのちさえもささげてくださったお方に、あなたは何ができるでしょうか。
今日からでも決して遅くありません、クリスマスの本当の意味を思い出して、生かされていることを感謝して強く生きてください。復活と永遠のいのちをしっかり握ってください。それが神のみこころです。

メッセージ内容のダウンロード(PDF81KB)

特別讃美~礼拝前前奏

 オルガン演奏:N.T姉
「来たりませ異邦人の救い主よ」
「きよしこの夜」

特別讃美~礼拝中

 フルート演奏:Y.Y兄
「セレナーデ」
「最愛のイエスよ我らここに集いて」
「スイス民謡による変奏曲」

新聖歌

開会祈祷後:75番、メッセージ後:99番

お知らせ

★本日のクリスマス礼拝の特別讃美はN.T姉のオルガン演奏とY.Y兄のフルート演奏でした。
★礼拝の後にクリスマス祝会と燭火礼拝を行います。
★12月27日と1月3日の水曜祈祷会は休みます。
★1月1日(祝)の元旦礼拝は午前11時からの開始です。
★療養中およびご高齢の方々の平安と励ましのために祈りましょう。

2018年前半の主な教会行事
1月1日(祝・月曜) 元旦礼拝 11時から
1月1日 新年聖会(石橋教会)15時から
1月14日 砂山師説教/昼食と交わり/運営委員会
1月21日 年次総会(礼拝後)

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