主は王である

メッセージ

<サムエル記第一 8章1~22節>
メッセージ:牧師:砂山 智

開会聖句

主は王である。地は小躍りせよ。 多くの島々は喜べ。

<詩編 97篇1節>

メッセージ内容

Youtube動画

 

動画公開が遅れて申し訳ありません。 メッセージ動画公開:5/16 AM 1:12 


メッセージ原稿を公開しました。家庭での礼拝に用いてください。  
<序論>  

・「Ⅰサムエル」からの三回目です。今朝の8章は旧約の歴史の中でも特に重要な意義のある章と言えます。それは、古代イスラエルにおいて、士師の時代から王の時代へと歴史が移って行ったその経緯と意味とが記されているからです。サムエルは最後のさばきつかさ(士師)とも呼ばれているということは既にお話ししましたが、士師の時代はサムエルとともに終わりを迎えます。そして、ここから王の時代(王制)が始まるのですが、その背景には、遊牧の民から一つの国家を形成するまでに至ったという、彼らの歴史的な必然があったということに気づかされるのと同時に、もう一方で、それは神に対する反逆でもあったという批判的・預言者的な声が告げられます。そのような批判的・預言者的な声を取り次ぐ役割を果たしたのがサムエルであったわけですが、彼の使命は、言わば「キングメーカー」として、イスラエルの歴史の転換点に立つことであったと言えるでしょう。
今朝は、「主は王である」と題して、皆さんと一緒にみことばに耳を傾けたいと願っています。

<本論>
1、サムエルの後継者

まず、冒頭のみことばに注目したいと思います。

『サムエルは、年老いたとき、息子たちをイスラエルのさばきつかさとして任命した』(Ⅰサム8:1)。

さばきつかさ(士師)とは、イスラエルを政治的・軍事的に導く指導者でした。彼らの多くは神から特別な賜物を与えられた、言わば戦士でしたが、その中には女性もいましたし、祭司や預言者もいました。ただ、世襲制ではなかったと思います。今、お読みした1節には、サムエルが年老いたとき、自分の息子たちをさばきつかさとして任命したと書かれていました。そこに何か、人間的な思惑というか、事情が優先したのかな、ということを感じさせます。先週のメッセージでお話ししましたように、サムエルの二人の息子たちは、師であるエリの息子たちと同じように、どうしようもないドラ息子でした。恐らく、サムエル自身も、自分の息子たちがどんな者かということはよく分かっていたはずです。それなのになぜ?と思わされます。「立場が人を作る」ということも言われます。もしかしたらサムエルは、あのどうしようもない息子たちも、さばきつかさという責任のある立場に就いたなら、少しはまともになってくれるのでは、と期待したのかもしれません。しかし、それは甘かったみたいです。聖書は、どんなに素晴らしい信仰の人であっても、その失敗や罪についても遠慮なく書き残してくれています。それこそが、私たち人間の真実の姿だと言えるからでしょう。そして、この時のサムエルの失敗が、イスラエルの歴史が大きく転換する一つのきっかけとなるのです。

2.ほかのすべての国民のように

5節をもう一度、ご覧ください。サムエルのもとにやって来たイスラエルの長老たちは次のように言います。

「ご覧ください。あなたはお年を召し、ご子息たちはあなたの道を歩んでいません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」(Ⅰサム8:5b)。

彼らの心配はもっともだと思うんですが、ただ一つ、気になることばがあります。それは、「ほかのすべての国民のように」ということばです。このことばは、この後、サムエルが、王を立てることで起こるであろう不都合な真実と言うか、様々な負の側面を告げた後の彼らの返答の中にも出て来ます。そこではもっとはっきりとした彼らの意思表示として出て来ます。

「いや。どうしても、私たちの上には王が必要です。そうすれば私たちもまた、ほかのすべての国民のようになり、王が私たちをさばき、私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」(同8:19b~20)。

「そうすれば私たちもまた、ほかのすべての国民のようになり」。それは、言い換えれば、「私たちは神の民、選ばれた民族であることをやめて、ほかのすべての国民と同じようになりたいし、なるべきなんだ」ということではないでしょうか。それはまさに、7節と8節で神がサムエルに言われたように、彼らが拒んだのはあなたではなく、このわたしなのだ。わたしが王として治めることを拒んだのだということだと思います。

3.王に関する規定

実は、今朝の出来事の何百年も前に、モーセ五書の中で、唯一、王に関する規定が述べられている箇所があるんです。それは、「申命記」の17章14~20節です。そこには、イスラエルの王の資格として五つのことが挙げられています。
まず第一は、主が選んだ者であること。
二つ目は、同胞であるイスラエル人であること。
三つ目は、自分のために軍備を増強してはならないこと。
四つ目は、多くの妻をもってはならないこと。
そして五つ目は、自分のために多くの富を蓄えてはならないことです。
そして、その最後に、最も大切なこととして次のように命じられています。

『その王国の王座に就いたら、レビ人の祭司たちの前にある書から自分のために、このみおしえを巻物に書き写し、自分の手もとに置き、一生の間これを読まなければならない。それは、王が自分の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばと、これらの掟を守り行うことを学ぶためである。それは、王の心が自分の同胞の上に高ぶることのないようにするため、また命令から右にも左にも外れることがなく、彼とその子孫がイスラエルのうちで、長くその王国を治めることができるようにするためである』(申命17:18~20)。

今朝の箇所で長老たちは、自分たちもほかのすべての国民のようになりたい、自分たちにもほかの国々のような王が欲しい、とサムエルに求めました。そうすれば自分たちの将来は安泰だと。しかし、イスラエル王国はソロモン王の時代に頂点を極めますが、その驕り高ぶりのゆえに二つに分裂し、その二つの王国も、やがて異邦人の国によって亡ぼされてしまうのです。

<結論>

今朝の開会聖句は「詩篇」の中でも特に「王の詩篇」と呼ばれている詩篇の一節です。コロナによる自粛が始まってから、私たちの教会ではずっと礼拝での聖書交読は控えていますが、今朝の交読文の最初のことばです。「王の詩篇」は93篇から100篇までなんですが、これらの詩篇に共通する特徴は、神は全地の、全世界の支配者であり、その支配はただイスラエルだけにとどまるものではないということです。しかし、現実はどうでしょうか?私たちの目に見えるところは、例えば、この世界の政治・経済・社会における多くの具体的な問題、今、ウクライナで戦争が行われていますが、世界中で起こっている様々な問題を見た時に、本当に神様のご支配はそれらの上にも及んでいるのだろうか?神は一体何をしておられるのか?という疑問が沸き上がって来る時もあります。そんな神頼みではなくて、私たち人間が自分たちの力でなんとかしなければ、結局、何も問題は解決しないんじゃないかと。今朝のイスラエルの長老たちも同じだったと思います。彼らはもちろん、先程お話しした「申命記」のみことばを知っていたでしょう。しかし、目の前に置かれた厳しい現実に直面させられた時、そして自分たちの将来を思った時に、ほかのすべての国民のようになることを願った。それはつまり、神のみことばに従うよりも、この世の道理・価値観に従おうとしたのです。私たちはどうでしょうか?私はいつも、ヘンデルの「メサイア」のハレルヤコーラスにある「キング オブ キングス」というところにさしかかると、鳥肌が立つような感動を覚えるんですが、主は私の王であるというだけでなく、この全世界の王である、と本気になって信じているでしょうか。主とは私たちの父なる神様のことであり、そしてイエス様のことです。最後に、今日の礼拝の報告でご紹介した「ウクライナ支援献金」に対するMultiplyからの手紙にあったアレクセイ・マカエフ牧師の励ましのメッセージをお読みして、今朝の説教を閉じたいと思います。

-イースターにウクライナのアレクセイ・マカエフ牧師が私たちにあてた励ましのメッセージ-
「今日、私は幼い息子にイースターの意味を尋ねました。彼は自信満々にこう言いました。『イエス様が勝ったんだ!』そうです、友よ、イエスは勝ったのです。私たちは、死に対する命の勝利、暗闇に対する光の勝利を祝うのです。私たちは今日、破壊と痛みのただ中にいるかもしれませんが、私たちの真の勝利は本当によみがえられたイエス様の中にあります。」

祈りましょう。

メッセージ内容のダウンロード(PDF105KB)

新聖歌

開会祈祷後:15番、メッセージ後:280番

聖書交読

詩編97篇 1~12節

2022年教会行事

5月18日(水)オリーブ・いきいき百歳体操(10時~11時)

#54-2816

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