この年も恵みを数えつつ

    メッセージ

    <民数記 1章1~4節>
    牧師:砂山 智

    開会聖句

    わがたましいよ 主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

    <詩編 103篇2節>

    メッセージ内容

    Youtube動画


    メッセージ動画公開:1/1 PM 3:35 


    メッセージ原稿を公開しました。  

    <序論>  
    ・あけましておめでとうございます。今朝のテキスト「民数記」は、原典のヘブル語聖書では、冒頭の「ベ・ミドバル」ということばから「荒野にて」という名前で呼ばれています。「民数記」という名前はギリシア語訳聖書(七十人訳)から来ており、英語では「ナンバーズ」と言います。何か「宝くじ」みたいな名前ですが、その由来は、今朝の1章と、そして26章にも人口調査が行われたことが書かれてあるからです。ただ、名前としては、原典のヘブル語聖書の方が相応しいと言えるのではないでしょうか。なぜなら、本書全体の内容は、出エジプトの民が辿った40年近い荒野での旅路の記録だからです。

    <本論>
    1.一人ひとり名を数えて

    さて、1節にありましたように、主は、エジプトを出て二年目の第二の月の一日に、シナイの荒野の会見の天幕でモーセに人口調査を行うようにと命じられます。これは、「出エジプト記」40章17節に記されている会見の天幕が完成した時から数えて、ちょうど一か月後のことでした。会見の天幕とは、神と人とが落ち合う場所のことで、人が神の前に立つことができる場所とされていました。つまり、そこはイスラエルの民が神を礼拝する場所であり、今朝の箇所の少し後の1章50節では、「あかしの幕屋」とも呼ばれています。そして、この時の人口調査の目的は、3節のみことばにある通り、これからの戦いに備えるためでした。

    『あなたとアロンは、イスラエルにおいて、二十歳以上で戦に出ることができる者をすべて、その軍団ごとに登録しなければならない』(民数1:3)。

    古代中国の武将で有名な兵法書を書き残した孫子の言葉に、「敵を知り、己を知らば、百戦して危うからず」というのがあります。この時のイスラエルは、これから戦う敵についてはまだ何も知りませんでしたが、主はその前に、まず自らの兵力、実力がどれほどのものであるのかを知るように、と言われたのでしょう。そして、私は、この主の命令の中に、気になると言いますか、神様はどのような方なのかというのがよく表れているなぁ、と感じることのできることばを見つけたんです。それは2節にあった、

    『一人ひとり名を数えて、その頭数を調べよ』

    ということばです。神は単に人数だけを数えよと命じられたのではないのです。一人ひとりの名前を数えて、それを調べよと言われたんです。高石ともやという人の歌に「ネイムズ」という歌があります。元はキャシイ・フィンクというアメリカのフォークシンガーが作った曲なんですが、彼女は、エイズで亡くなった大勢の人たちのためにメモリアル・キルトを作るという運動があるというのを知り、その運動に共感して曲を作ったんだそうです。その歌詞の一節に次のような言葉があります。「君の命を数で数えないよ 名前で呼ぶんだ 同じ時代を生きた者同士」。今、日本でも、毎日、テレビなどで、新型コロナの感染者数、重症者数、死亡者数が報道されています。その数字を見ながら、「ああ、また増えてるなぁ」とか、「少し減ってきたかな」とか思うんですが、何か私の中で、それが単なる数字と言うか、一人ひとりの命の重さに対する感覚が鈍感になってきているように感じる時があります。それはウクライナでの戦争についてもそうですね。本当に悲しいことです。けれども、今朝の箇所で、主は、その名前を数えて人数を調べよ、と命じておられる。それは、一人ひとりの命は単なる数字、頭数ではないんだ、ということではないかと思ったんですね。イエス様は、あの「迷える羊」のたとえで、迷い出た一匹の羊を見つけるために残りの九十九匹を野に残して探し回った羊飼いの姿を父なる神にたとえて話をされました。K姉が教会の前の掲示板に新しいみことばを掲示してくださいましたが、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザ43:4)とある通りですね。

    2.モーセとダビデの違い

    そして、今朝のテキストから、もう一つのことを示されたんですが、聖書には、今朝のモーセの人口調査以外にも人口調査を行ったという記録があります。あのダビデ王ですね。「Ⅱサムエル」24章にその記事があるのですが、より分かり易いので、その並行箇所の「Ⅰ歴代誌」21章の方を見てみましょう。

    『さて、サタンがイスラエルに向かって立ち上がり、イスラエルの人口を数えるように、ダビデをそそのかした』(Ⅰ歴21:1)。

    今、お読みしたように、この時の人口調査は主に命じられて行ったものではありませんでした。サタンがダビデをそそのかして行わせたものだったのです。その目的は、人口調査によってダビデの心に驕りが生まれ、自らの力に拠り頼むようになり、神への信頼より、この世的な安心を第一とするような王にするためだったのです。その結果、ダビデとイスラエルの民は神の裁きを受けることになります。同じ人口調査でも、今朝のモーセの場合とは全く違います。その違いとは何か?もちろん、今、申し上げましたように、主が命じられたのか、それともサタンがそそのかしたのか、という違いなんですが、私は、今朝のモーセの人口調査は、将来の戦いに備えてということもあったと思いますが、それと同時に、あのエジプトの地で奴隷という惨めな状態にあったイスラエルが、今、その状態から解放されて、約束の地カナンを目指す新たな一歩を踏み出そうとしている。まさにそのような時に、今まで彼らが経験した本当に驚くべき神の御業、恵みの数々を思い起こさせ、今、自分たちがここにこうしてあるのは、ただ神の恵みのゆえなんだということを再認識させ、励ましを与えるためだったのではないか、と思わされたんです。

    <結論>

    『わがたましいよ 主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな』(詩103:2)。

    私たちはよく、「過去を振り返らず、前だけを見て」と言います。しかし、時には、過去を振り返り、神様からいただいた恵みの数々を想い、未来への励ましとすることも、大切なことなのではないでしょうか。今年一年も色々なことがあると思いますが、心が挫けそうになった時には主の恵みを数えつつ、ともに歩んで行きたいですね。

    メッセージ内容のダウンロード(PDF87KB)

    新聖歌

    開会祈祷後:521番、メッセージ後:172番

    聖書交読

    詩編130篇 1~8節

    2023年教会行事

    今週はお休みです。

    #55-2849

One comment to this article

  1. mb-senri_web

    on 2023年1月1日 at 3:43 PM -

    砂山先生がメッセージ中で語られた、高石ともやさんの「Names」見つけました。
    YouTube動画でご覧ください。