ソロモン王の知恵

    令和5年5月8日(月)より新型コロナウイルス感染症が5類感染症へ移行することに伴い、礼拝での規制を緩和します。具体的には、会衆讃美は全節歌唱する、省略していた聖書交読を復帰し、司会者朗読→会衆朗読を交互に行います。
    なお、礼拝中のマスク着用は引き続き推奨、「平和の挨拶」の握手の自粛は今後も実施しますので、ご理解とご協力を宜しくお願いいたします。

    メッセージ

    <列王記 第一 3章1~14節>
    牧師:砂山 智

    開会聖句

    門番は牧者のために門を開き、羊たちはその声を聞き分けます。牧者は自分の羊たちを、それぞれ名を呼んで連れ出します。

    <ヨハネの福音書 10章3節>

    メッセージ内容

    Youtube動画

     公開が大変遅れて申し訳ありません。
    メッセージ動画公開:10/1 AM 0:09


    メッセージ原稿を公開しました。  

    <序論>  
    ・ソロモンという名前はヘブル語では「シェロモ」と言いますが、「シャローム(平和)」と似た響きを持っています。そのことが示すように、ソロモンはイスラエルにかつてない平和と繁栄の時代をもたらしました。そして、それは今朝、読んでいただいた箇所に記されていた、夢に現れた神に願って与えられた「知恵」によってもたらされたものでした。この後の3章後半に記されている二人の遊女の子どもを巡る争いの話も、ソロモンの知恵を示す話として大変よく知られています。この話は、遠く離れた日本においても、江戸時代の大岡裁きの話に取り込まれたと言われています。最後の結末の部分は異なるようですが。
    今朝は「ソロモン王の知恵」と題してお話しします。

    <本論>
    1.ソロモンの結婚

    先週の「どうする家康」では、秀吉が家康に上洛を促すため、自分の妹の旭を無理やり離縁させて家康の下に輿入れさせる(人質として差し出す)という場面がありました。山田真歩さんという女優さんは初めて知ったのですが、本当に素晴らしい演技でした。それはもちろん政略結婚の最たるものであったわけですが、今朝の最初に書かれていたソロモンとエジプトの王ファラオの娘との結婚も、そうであったと思います。今、思いますと言ったのは、そうではないとする解釈もあるからなのですが(「日々のみことば」今月号の執筆者)、私は、冒頭の『ソロモンはエジプトの王ファラオと姻戚の関係を結んだ』ということばに、そのことが暗示されているように感じました。そして、最初に申し上げた、ソロモンの平和と繁栄というのは、そのように、周囲の国々と姻戚の関係を結ぶという、言わば微妙で危ういバランスの上に成り立っていたものでもありました。このことは後にソロモンにとって大きな災いの種となります。11章3節には次のように書かれています。

    『彼(ソロモン)には、七百人の王妃としての妻と、三百人の側女がいた。その妻たちが彼の心を転じた』(Ⅰ列王11:3)。

    2.高き所

    そして、2~4節に『高き所』というのが出てきました。それは、神を礼拝するため、小高い丘や、盛り土をして祭壇を設置した場所のことで、先週、お話ししたように、後の時代に、そこは偶像礼拝の場所となってしまったのですが、ソロモンの時代には、まだ無関係であったようです。

    3節に『ソロモンは主を愛し、父ダビデの掟に歩んでいた。ただし、彼は高き所でいけにえを献げ、香をたいていた』

    とあります。この「ただし」ということばが少し気になりますが、主はその高き所で献げられたささげ物を嘉せられ、夢に現れ、「あなたに何を与えようか。願え」と言われたのです。そのみことばに対するソロモンの答えが6節以降に記されています。最後の部分、9節だけ、もう一度読ませていただきます。

    『善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、この大勢のあなたの民をさばくことができるでしょうか。」』(Ⅰ列王2:9)。

    このことばにある「さばく」とは、ただ裁判官のように民の争い事をさばくという意味ではなく、そのようなことも含めて、神の民であるイスラエルを治めることを意味しています。ただし、ソロモンが求めた「知恵」とは、単なる政治的・この世的な知恵ではありませんでした。それは、かつて父ダビデに施された大いなる恵みと同じようなと言うか、神の恵みとしての知恵ということでしょう。ソロモンのこの答えは、

    『主のみこころにかなった』(同2:10a)

    とあります。そして、13節。

    『そのうえ、あなたが願わなかったもの、富と誉れもあなたに与える。あなたが生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者は一人もいない。また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしの掟と命令を守ってわたしの道に歩むなら、あなたの日々を長くしよう』(同3:13~14)。

    イエス様は、

    『まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます』(マタイ6:33)

    と言われましたが、この時のソロモンにピッタリのみことばではないかと思わされました。

    <結論>
    そして、もう一つ。この時、ソロモンが願ったことばの中に「聞き分ける心をしもべに与えてください」という表現がありました。あの聖徳太子は10人(8人?)の話を同時に聞き、それを聞き分けたと伝えられています。今の日本の岸田首相は、「聞く力」という言葉を好んで使っておられますが、どうでしょうか?この時、ソロモンが神に願ったことも、そのようなことだったみたいです。ただ、今朝の開会聖句のイエス様のことばにあるように、そのためにも必要なこと、大切なことは、まず主の御声を聞き分けるということではないかと思います。私たちはもちろん、ソロモンのような王ではありませんが、今の時代、本当に多くの声が私たちの周りに溢れています。インターネットなんか見ていると、すぐに時間が過ぎてしまうのですが、そのような数えきれないような情報、無数のことばの中から、主の御声を聞き分け、従って行く。それこそが、私たちにとっての「知恵」ではないかと思うのです。それは言い換えれば、それぞれに与えられている時間、委ねられている時間を正しく用いて、主に献げるということでもあるでしょう。時間だけは、ソロモン王も、この私も、平等ですから。
    ソロモン王の晩年は、皆さんもよくご存じのように、心が主から離れてしまいました。今朝の聖書の最後の14節で言われている「父ダビデのように」歩むことはできなかったのです。知恵において、この世では並ぶ者がないと言われたソロモン王も、世の多くの声に振り回され、それをさばくことにやっきになる余りに、主の御声を聞き分けることができなくなってしまったのかなぁ、と思わされました。
    最後に、今朝の開会聖句の続きのイエス様のことばをお読みして、説教を閉じたいと思います。

    『羊たちをみな外に出すと、牧者はその先頭に立って行き、羊たちはついて行きます。彼の声を知っているからです。しかし、ほかの人には決してついて行かず、逃げて行きます。ほかの人たちの声を知らないからです』(ヨハネ10:4~5)。

    メッセージ内容のダウンロード(PDF89KB)

    新聖歌

    開会祈祷後:9番、メッセージ後:206番

    聖書交読

    詩編16篇 1~11節

    2023年教会行事

    9月13日(水)  オリーブいきいき百歳体操 10~11時

    #55-2885

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