喜びの知らせを運ぶ人

メッセージ

<エペソ 6章21~24節>
牧師:徳本 篤師

開会聖句

それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。

<ローマ 15章6節>

メッセージ内容

序論)
先日、ジャスコの玄関で、泣きじゃくる小さな男の子と厳しい顔で叱っている若いお母さんを見ました。店の中で何があったのか想像がつきます。子どもは自分の願いが通らないと怒りをあらわしたり、攻撃的になることがあります。大人である私たちはどうしても欲しいものが手に入らない時にどうするでしょうか。それは無理なことだと諦める人。別のものに乗り換えていく人。どうしたら手に入れられるかをじっくり考える人などに分けるとしたら、あなたは自分がどのタイプだと思いますか。

本論)
「鎖につながれていても、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。」
パウロは、私が福音を語ることには条件や環境は問題ではない。自分自身の内にどうしても誰かに福音を語りたいという強い願いがあり続けることだと言っているようです。しかし、パウロでさえ、その願いがいつも心の内で熱く燃えているというものではないことを知っていました。心が燃えない時、今にも消えそうな時、語ることを恐れたり、自分の能力に行き詰まり限界を感じることだってあるでしょう。そうならないようにパウロ自身も勿論祈っているが、今日の聖書の中では誰かに祈っていただきたい。熱心な祈りで支えていただきたい。そうでなければ大胆に語り続けることができないことを訴えているのです。これが、どうしても欲しいものが手に入らない時に、私たちはどうしたらよいかという質問に対する、パウロの回答です。

洞察)
 パウロにとって福音を伝えることが喜びでした。
それは自分の目標を達成できたという自己満足から出てきた喜びではありません。福音のために、主にある聖徒たちとともに汗を流し、ともに涙を流し、ともに歩んできたきたことです。私たちはキリストの共同体であり、私たちの夫婦が、家族が、信仰の仲間たちがそうであることを心から願うことです。もし。私たちがそのようであることを心から願うなら、私たちを取り囲む条件や環境はさほど重要な問題とはならないということです。私たちにとって本当の幸せとは何でしょうか。それはいつも共に生きる仲間がそばに居ることです。そのような共同体を築き、維持していくために必要なことは互いのために祈ることです。

 祈りが生活になり、生活が祈りになる。
改革の指導者として多忙な日々を送っていたルターが残した名言のひとつに「今日はとても忙しい日になるので、しっかり祈らなければならない。」という言葉があります。仕事に取り掛かる前に神の前に静まって瞑想していると、今日一日何をどのようにすべきかといった知恵が与えられ、優先しなければならないことを整理することができるからです。
祈りのために特別な場所を確保し、祈りに専念できる時間を持つことができないという忙しい人にも、祈りの習慣を継続する方法があります。それはルターが語っているように、自分が常に神の力強い支配を必要としているという自覚のもとで生活することです。何をするにも短い簡潔な祈りが生活の一部になり、生活自体が祈りとなるのです。

応答)
ジャスコの玄関で泣きじゃくっていた小さな男の子の姿をもう一度思い起こしてください。子どもは自分の願いが通らないと、母親に対して文句を言ったり、怒ったりします。

 もしあなたの心が子どものように、不満や怒りや憎しみで満ちている状態なら、今日から心を一新して、大人として振る舞い、大人として物事を考える人に変わりましょう。そうなるように祈りましょう。

 もしあなたが表向き大人のように振る舞っていても、喜びの人生は最初から無理なことだと諦めていたり、自分を満たしてくれるものに興味や関心を向けていたなら、その生き方を変えていただきましょう。

 パウロは、人生の喜びや幸せは、共同体としてともに歩み、共同作業にともに加わることよってより具体的に体験し、さらに豊かに満たされることを教えました。そのことを思い起こして、自分の生き方と目標をはっきりと定めていきましょう。

メッセージ内容のダウンロード(PDF13KB)

新聖歌

開会祈祷後:163番、聖書朗読後:330番、メッセージ後:457番

詩編交読

詩篇121:1~8節

お知らせ

★本日は礼拝後に11月度の聖餐式を行います。その後第2回目のクリスマス実行委員会を開催します。
★今週11日(水)午前10時30分から「おしゃべりティータイム」を行います。
★22日(日)の讃美礼拝にお招きする木下裕子姉と来会者のためにお祈りください。

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