神の御手はどこにでも

メッセージ

<詩編138篇 1節~24節>
牧師:徳本 篤師

開会聖句

私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。

<詩編139篇 7節>

メッセージ内容

序論)

「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。」 (1コリント13章12節)

この聖書の箇所でパウロは、ずっと先の日のことですが、キリストが再び来られる時に私たちにどのようなことが起こるのかについて語っています。その日にはキリストと私たちとが互いに「顔と顔を合わせて見る」ことになります。キリストが私のことを完全に知ってくださっていることが分かり、私もキリストのことを完全に知ることになるというのです。

2000年前のクリスマスの日に、飼い葉おけに寝ておられる幼児のキリストを見て喜んだ羊飼いたち、母マリヤと父ヨセフ、敬虔な聖徒のシメオン、女預言者のアンナ、祭司ザカリヤとその妻エリサベツ、そして東方の博士たちがいました。私たちもまた、キリストが再び来られる日に、彼らが味わった以上の喜びと感動を味わうことになるでしょう。

本論)
さて、驚くべきことにダビデはキリストが誕生される1000年も前に、すでにその喜びを先取りしていたことがわかります。今日の詩篇139篇にはその詳細が述べられています。

ダビデは彼に与えられたすぐれた信仰と知恵によって「人を完全に知られる神」について知っていました。
詩篇139篇を要約すると1節と23節の「私を探り」のことばで三層構造になっています。

最初の2節から6節は<行動的な軸での神の存在の認識>を述べています。
私たちが何をしようと、何を考えようと、何を語ろうと、神はそのすべてを知っておられます。

次の7節から12節は<空間的な軸で神の存在の認識>を述べています。
私たちがどこに行こうと、どんなに高い山の上、地底の深いところ、はるか遠くの島々であろうと、どこにいても神はそのすべてを知っておられます。

第三の13節から18節は<時間的な軸で神の存在の認識>を述べています。
神は私たちが誕生する前から、その人生の一日もないうちに私たちの人生のご計画がすべて書き記されています。私たちが母の胎内で組み立てられ、まだ胎児であった時にも慈しみ深く見守っておられました。

洞察)
詩篇139篇は私たちを完全に知られる神の人に対するみこころをよくあらわしています。

第一に、人に対する計り知れない愛と善意とに満ちておられるということ。

第二に、人に対する驚くほどの忍耐と同情と慈しみに満ちておられること。

第三に、人との永遠の交わりを最終的な目的として求めておられること。

応答)
私たちは自分のことを完全に知られる神に対して最初に抱く思いは、聖さに対する畏れです。23節24節でダビデが神に願ったように私たちも神に一切を明け渡し、傷ついた道からいやされてとこしえの道に導いていただきましょう。
さらに、自分のことを完全に知られる神に対して抱く思いは、神の御もとで安らぐ真の平安となぐさめです。

パウロが言うように、私たちが知っていることはほんの一部だけです。キリストに再び会う時はお互いに完全に知ることができます。その日を持ち望んで、今年もクリスマスの意味を味わいつつともに祝いましょう。

メッセージ内容のダウンロード(PDF106KB)

新聖歌

開会祈祷後:86番、聖書朗読後:88番、メッセージ後:474番

詩編交読

詩篇139:1~12節

お知らせ

★本日の礼拝後に女性会と聖歌隊の讃美練習を行います。午後からムジカの讃美練習を行います。
★来週はクリスマス礼拝です。奉仕者と参加者のために祈りましょう。

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