試練と誘惑との違い

メッセージ

<ヤコブの手紙 1章1~27節>
牧師:徳本 篤 師

開会聖句

私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。

<ヤコブの手紙 1章2節>

メッセージ内容

序文)
今日の主題は「試練と誘惑との違い」です。この両者はどこが違うでしょうか。
実は試練(ペイラスモス)と誘惑(ペイラスモス)とは同じことばなのです。したがって、クリスチャンにとって試練は同時に誘惑にもなるという可能性があることになります。私たちはこのことを忘れてはなりません。
それでヤコブは1章16節で「愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。」と警告しているのです。
だまされれたらどうなるのでしょうか。すなわち、間違った神理解は人の誤った考えと行動を生み出すことに結びつくことになります。

本論) ネヘミヤ 13章01節~31節
ヤコブの手紙は西暦50年頃に主イエスの兄弟でエルサレムの指導者であったヤコブから、迫害によって国外に散らされ、異邦人社会の中に住んでいる、かつての仲間たちを励ますために書かれました。
ヤコブがこの手紙で強調していることは、クリスチャンはどこにいても正しい神理解に立って、生きた本物の信仰を追い求めて欲しいということです。信仰が本物であることはそれが実践的であることです。彼らの生活がみことばによってどのように変えられたかをあかしするものです。

今日の聖書箇所では試練に会った時に、それを真実な神が与えられた信仰と忍耐と知恵を働かせる機会として考えるべきことを教えます。ヤコブはこの正しい理解にしっかり立つなら、様々な試練の中でその人は成長させられると語ります。

  1. 試練は忍耐を生みます。この忍耐はことばだけの信仰からより実践的な信仰へと目を向けさせます。忍耐がその人を本物の信仰へと成長させます。
  2. 試練は神の助けと知恵の必要を思い起こさせます。それを与えてくださる神への祈りを導きます。
  3. 貧しさの試練はその人をはかない富より、永遠に変わらないいのちの価値に目覚めさせます。
  4. 試練はそれを耐え抜いた人に信仰の喜びをもたらします。

展開)
しかし、誰もが理想的な信仰をあり方を持っているとは限りません。ある人は試練に会った時に、それを信仰と忍耐と知恵を働かせる機会にしようとは考えません。
ですから、神に祈り求めることをしません。かえって自分が忍耐できなかったことの言い訳をします。
言い訳の実例として創世記3章に記録されたアダムと彼の妻のことばに注目してみましょう。

12「人は言った。『あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。』
13 そこで,神である主は女に仰せられた。『あなたは、いったいなんということをしたのか。』女は答えた。『(あなたが私のそばに置かれた)蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」
(創世記3章12節13節)

適用)

聖書に注目すると、ヤコブは罪の誘惑がサタンのせいであるとは言いません。神は人の弱さに同情できない方ではありません。ヤコブは私たちに神のあわれみを求めて立ち直る機会がまだ残されていることを示唆しています。
しかし、子どもを身ごもった妊婦がやがて出産の日を迎えるように、人が罪をはらんだままにしておくことは危険です。罪からたましいの死(神からたましいが切り離される)が生まれ出ることを警告しているのです。

応答)

  1. 言い訳は解決になりません。解決してくださる神に知恵を求めましょう。
  2. 貧しさは人の値打ちを貧しくしません。いのちを持たない高ぶりが人を永遠に貧しくするのです。
  3. 喜びは試練に耐え抜いた人のために用意されています。これには近道も抜け道もありません。

メッセージ内容のダウンロード(PDF13KB)

新聖歌

開会祈祷後:384番、メッセージ前:175番、メッセージ後:444番

聖書交読

詩篇 8篇1~9節

お知らせ

★本日午後4時からEBSにおいて額賀師ご夫妻のタイ宣教第三期派遣式が行われます。
★明日千里教会において徳本師は日本FEBC放送局のインタビューを受けられます。
★28日(日)礼拝後に聖歌隊の練習があります。

2016年度後半の主な教会行事
09月27日-30日  日本伝道会議(神戸市)
10月15日(土)  オータムフェスタ
10月23日(日)  MB教団講壇交換
11月20日(日)  讃美礼拝(マキ&リリー)
12月25日(日)  クリスマス礼拝/祝会

#49-2516

Comments are closed