完成者イエス

メッセージ

<ローマ人への手紙 10章1~13節>
牧師:砂山 智 師

開会聖句

わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。

<マタイの福音書 5章17節>

メッセージ内容

<序論>  
・皆さんは、「律法」という言葉を聞いて、何を連想するでしょうか。「モーセの十戒」でしょうか。クリスチャンの皆さんは、もしかすると、「律法主義」や「律法的」という言葉を連想するかもしれません。以前にもお話ししましたが、あるミッションスクールで、牧師が「宗教(キリスト教)とはいったい何だと思いますか?」と尋ねた時に、ある生徒が「宗教とは禁じられていることすべてのことです」と答えたそうです。お行儀よく、模範的に、禁止されていることをよく守る。例えば、「主日礼拝厳守」ということが、私の若い頃、よく言われていました。それは、「モーセの十戒」の中にある、次のような律法が基になっています。

『安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。』(同20:8)。

しかし、果たして、神さまが私たちに律法を与えられた目的は、そのように、私たちがお行儀よく、模範的に、禁止されていることをよく守る信徒となるためだったのでしょうか?
イエス様は、今日の開会聖句にあるように、自分が来たのは、律法や預言者(旧約聖書)を廃棄するためではなく、成就する(完成する)ためだと言われました。今朝は、このイエス様の言葉を覚えつつ、皆さんと一緒に「ローマ人への手紙」から見てゆきたいと願っています。

<本論>
1、 律法が目指すものはキリスト

今日のテキストの冒頭1節には、『彼ら』という言葉がありますが、この『彼ら』とは、一体誰のことなのでしょう?それは、パウロの同胞であるユダヤ人のことですね。パウロは、この手紙の中で、最早、民族というものは関係ない。イエス様が来られたことによって、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが差別はなくなった、と述べてきました。

『すなわち、イエス・キリストを信じることによって、信じるすべての人に与えられる神の義です。そこに差別はありません。すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、値なし
に義と認められるからです。』(同3:22~24)。

しかし、そうは言っても、パウロは、やっぱり自分の同胞のことが気がかりであったようです。パウロにも、もちろん「情」があったのです。

『私はキリストにあって真実を語り、偽りを言いません。私の良心も、聖霊によって私に対し証ししていますが、私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。私は、自分の兄弟たち、肉による自分の同胞のためなら、私自身がキリストから引き離されて、のろわれた者となってもよいとさえ思っています。』(同9:1~3)。

とても激しい言葉です。そして、この9章、10章、11章まで、特にユダヤ人の救いに焦点が当てられています。
今日のテキストの10章2,3節を、ご覧ください。

『私は、彼らが神に対して熱心であることを証ししますが、その熱心は知識に基づくものではありません。彼らは神の義を知らずに、自らの義を立てようとして、神の義に従わなかったのです。』(同10:2,3)。

ユダヤ人は、自らの力で、自分は義しい(正しい)ということを証明しようとして、旧約の律法を熱心に守ってきた。ところが、それは結局、神さまに逆らうことであったと。
イスラエルを旅行した人からよく聞かされる話ですが、イスラエルでは、今でも、旧約の律法を厳格に守って生活をしている人たちが大勢いるそうです。例えば、ユダヤ教の安息日である金曜日には、ホテルなどのエレベーターはすべて自動運転になっていて、ボタンを押さなくても自動的に上がったり下がったりする。これは、ボタンを押すという行為が働くことになると考えるからですね。我々日本人から見れば滑稽に思えるかもしれません。ただ、彼らは大真面目に、自らの義を立てようとして、そのように信じているのです。
私たちの教会が所属する「日本メノナイトブレザレン教団」の信仰告白の第一部、「神による救済の物語」には、天地創造と人間の堕落(罪)を述べた後、次のように記されています。

「救いの神は、イスラエルから始まる契約の民を起こそうと行動された。神のご計画は、神との調和のとれた関係に生きる契約の共同体を形成し、彼らが神の祝福を経験し、世の光としてすべての国々の民に仕えることであった。神は預言者たちを通してご自分の律法と目的を伝え、ご自身の永遠の真実、公正、正義を示された。神は新しい創造の希望を約束された」。

つまり、律法の本来の目的は、選ばれた民イスラエルが、神との調和のとれた関係に生きる契約の共同体となり、神の祝福を経験し、世の光としてすべての国々の民に仕えることであったということです。

2、 律法が目指すものはキリスト

そして、4節のみことば。今日のテキストの中心的な聖句だと思います。

『律法が目指すものはキリストです。それで、義は信じる者すべてに与えられるのです。』(同10:4)。

この箇所の日本語訳は、実に様々です。(「新改訳2017」の脚注:「キリストは律法の終わり/目標/成就です」「キリストは律法を終わらせました/成就しました」)。
「マタイの福音書」の5章、「山上の垂訓」の中でイエス様は繰り返し言われました。『昔の人々に対して、~と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います』。これらの言葉を読むと、イエス様は、旧約の律法を否定して、何かご自身の新しい教えを打ち立てようとされたのかな、と思ってしまうかもしれません。しかし、そうではないのです。むしろ、イエス様は、律法の神髄と言うか、本来の目的、意味というのはこういうことなんだよ、と教えてくださったんだと思うんですね。それが、いつの間にか形骸化し、忘れ去られてしまっていたからです。そして、この箇所を読むたびに、いつも思わされることですが、ユダヤ人だけでなく、私たちの誰一人として、イエス様のことばに完全に従い切れる人なんかいない。まさに、すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、ということです。一昨日、今年のノーベル平和賞の発表があり、コンゴ人医師のムクウェゲ氏とイラクの少数派ヤジディ教徒で人権活動家のナディア・ムラドさんが受賞されました。お二人が受賞した理由は、「性暴力」と闘かったということにあります。戦争、貧困、性暴力・・・。この世界には、目を覆いたくなるような恐ろしい罪の現実があります。ただ、今日は、もう少し身近なところで、私が気づかされた罪の現実について、少しお話しできればと思います。

<結論>
永六輔という方がおられました。2年ほど前に亡くなられましたが、テレビの草創期に、黒柳徹子さんらと共に活躍された方です。その後、テレビの世界から離れ、主に作詞やラジオ、執筆の世界で活躍されました。とても文才のある方で、しゃべりのプロです。そんな永さんが書いた本に、次のような一文があったことを覚えています。少し正確ではないかもしれませんが、それは、

「皆が楽しくなるような話、笑えるような話は、詳しく念入りに話しましょう。しかし、聞いていて辛くなるような話、悲しくなるような話は、さらっと明るく話しましょう。それが人の共感を得るコツです」

という一文です。これは、一対一での場面で、というよりも、何人かの人に向かって話しをするような場合には、ということだと思いますが、だいたい人間は(もちろん私もですが)、人の話は聞いてないというか、すぐに忘れてしまうものです。自分が話したことは、よく覚えているのですが・・・。そして、確かに、永さんが言うように、辛い話、悲しくなるような話を、詳しく念入りに聞かされたら、何かしんどくなってきて、正直、共感できなくなってしまうような時があります。それは、話す側もそうですが、聞く側にも、自己中心と言うか、人と共感することができないという、罪の性質が根深くあるからだと思うのです。永さんはクリスチャンではありませんでしたが、そのことがよく分かっておられたので、先程お話ししたような一文を書かれたんだと思うんですね。
イエス様は、そんな私たちの罪を贖うために、ご自分のいのちを、すべてを投げ出され、そして、あの十字架にかかって死んでくださいました。本来、裁かれるべき私たちの罪、過去の罪、現在の罪、そして、未来の罪に至るまで、全部引き受けてくださったんです。それが、本当の意味で律法を完成させるということであり、イエス様が来てくださった目的であったわけです。
最後に、9節からのみことばをもう一度お読みして、今日のメッセージを閉じたいと思います。

『なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれでも失望させられることがない。」ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。同じ主がすべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人に豊かに恵みをお与えになるからです。「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。』(同10:9~13)。

祈りましょう。

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特別演奏

 N.T姉
・神はわがやぐら
・栄に満ちたる
・我、汝を呼ぶ、主イエス・キリスト
・ガブリエルのオーボエ

新聖歌

メッセージ後:286番

聖書交読

詩編 63篇1~8節

2018年教会行事

10月10日(水)オリーブ・いきいき百歳体操

#50-2627

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