旅路の心得

メッセージ

<へブル人への手紙 11章1~12節>
メッセージ:牧師:砂山 智

開会聖句

これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。

<へブル人への手紙 11章12節>

メッセージ内容

Youtube動画

 

動画公開が遅れて申し訳ありません。 メッセージ動画公開:7/10 PM 11:21 


メッセージ原稿を公開しました。家庭での礼拝に用いてください。  
<序論>  

・毎日、暑い日が続いていますが、お元気ですか?「夏の思い出(夏が来れば思い出す)」という有名な唱歌がありますが、夏が来るとなぜか旅に出たくなります。新大阪駅を利用したりすると尚更、そんな気持ちになるんですが、またコロナの感染者が増えてきているようで、今年の夏もどうなるでしょうか。
今朝の開会聖句には、これらの人たちはみな、(中略)地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました、とあります。ということで、今朝は、旧約に出て来る信仰の先達たちがいかにこの地上での旅路を歩んだかということを覚えつつ、「旅路の心得」と題してみことばに耳を傾けたいと願っています。

<本論>
1、カインとアベル

まず初めに取り上げられているのが「創世記」4章に出て来るカインとアベルです。二人は最初の人アダムとエバの息子で、カインが兄で畑を耕す者となり、アベルは弟で羊を飼う者となりました。そして、二人はそれぞれ主にささげ物をするのですが、主はアベルとそのささげ物には目を留められましたがカインとそのささげ物には目を留められませんでした。それでカインは激しく怒って、弟アベルを誘い出し、殺してしまうのです。人類史上、最初の殺人です。しかし、主はなぜ、アベルのささげ物を喜ばれ、カインのささげ物は喜ばれなかったのでしょうか?そのはっきりとした理由は書かれていませんが、「創世記」4章3,4節を見ると、カインは

『大地の実りを主へのささげ物として持って来た』

とあり、それに対してアベルは

『自分の羊の初子の中から、肥えたものを持って来た』

と書かれていました。前の訳では「最上のものを持って来た」となっていました。結局、神は、ささげ物自体がどうこうということではなく、献げた人の心をご覧になられたということでしょう。同志社の創立者、新島襄の話ですが、幕末に国禁を破ってアメリカに渡った先生は、いよいよ帰国するとなった時、ラットランドという所で開かれた宣教団体アメリカン・ボードの大会でスピーチをする機会が与えられます。そこで先生は、祖国にキリスト教主義の大学を建てたいという思いを熱く語りかけ、その志に感銘を受けた人たちは、「私は百ドル支援する!」「私は千ドル!」と、次々に立ち上がって支援を表明したそうです。そのスピーチが終わって、演壇を降りた時、一人の貧しい身なりをした老農夫が近づいて来ました。彼は2ドルを差し出して、「これは自分の帰りの汽車賃だ。持ち金はこれだけだ。なに、わしの足はまだ衰えておらん。歩いて帰る。この2ドルをあんたが建てようとしている大学のために役立ててくれ」と言ったそうです。新島先生は、この時の2ドルこそが同志社の核となった、と書き残しておられます。

2.エノク

さて、次はエノクです。聖書にはこの地上で死を迎えずに天に挙げられた人が二人出て来ます。一人はエリヤで、もう一人がエノクです。「創世記」5章21節をご覧ください。

『エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。エノクはメトシェラを生んでから三百年、神とともに歩み、息子たち、娘たちを生んだ。エノクの全生涯は三百六十五年であった。エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった』(創世5:21~24)。

エノクは本当に謎の人物で、彼に関しての聖書の証言は、今、お読みしたことだけなんですが、ここで見逃してはならないのは、二度繰り返されている「神とともに歩んだ」ということばでしょう。イエス様は天に帰られる前、

『見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます』(マタ28:20b)

と、言われました。私たちは、イエス様とともに信仰の旅路を歩む者です。どんな時も、どんな所でも。

3. ノア
そして、三人目がノアです。今朝の聖書に、

『信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神から警告を受けたとき、恐れかしこんで~』(へブ11:7a)

とありました。彼が神に命じられた通りに箱舟を作り始めた時、周りの人たちは、恐らく、「お前、何やってねん!頭でもおかしなったんか!アホらしい!」と嘲ったことでしょう。今朝の聖書の冒頭に

、『信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです』

とありましたが、私たちにとって、まだ見ていない事柄について、それをそのまま信じるというのは、何と難しいことでしょうか。まして、それが人間的に見れば、到底あり得ないようなことであれば尚更です。しかし、今朝の開会聖句には、これらの人たちはみな、(中略)約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、とあります。私たちも、今はさやに見えなかったとしても、神の約束を信じて歩み続けたいですね。

4. アブラハム
そして、最後はアブラハムです。彼の信仰は、8節にあったように、「どこに出て行くのかを知らずに出て行く」信仰でした。彼はハランで平和に暮らしていたと思います。多くの財産も持っていたでしょう。しかし、神から「あなたは、あなたの土地、
あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい」(創世12:1b)と言われたとき、どこに出て行くのかも知らずに出て行ったのです。信仰の世界では失敗を恐れる必要はありません。大事なことは、失敗なく従うことではなく、ただ従うことです。何もしない人は失敗もしないかもしれませんが、神に従うということもできないというか、本当の意味で分からないでしょう。アブラハムという人も何度も何度も失敗しました。それも自分の妻を裏切るようなことさえ。しかし、そのような罪を犯し、恥を重ねるようなことをしたとしても、彼は最後には主の約束に頼った、すがりついたのです。だから、アブラハムは信仰の父と呼ばれるのです。

<結論>

この後、皆さんとお献げする讃美歌は、私の愛唱讃美の一つです。「山路越えて」 この讃美歌を作詞したのは日本人の西村清雄(にしむらすがお)という人です。この讃美歌ができた経緯は、彼が、明治36年2月に、四国の宇和島で伝道していたアメリカン・ボードの宣教師コーネリア・ジャジソンを訪ねた帰り道、まだ鉄道もなかったため、歩いて法華津峠という所にさしかかった時、日が暮れ、心細くなってきたんですね。しかし、友人が新作讃美歌を見せてくれたことを思い出したので、「ゴールデン・ヒル」という曲に合わせて一句一句作って口ずさんでみたそうです。そうしたら寂しくなくなり、山路を楽しむことができた、と紹介されていました。その法華津峠には、この讃美歌の歌碑が立っているそうです。最後に、「山路越えて」の4番、5番、6番の歌詞を読んで、今朝のメッセージを閉じたいと思います。

「4.道 険しく 行くて遠し 志す方に いつか着くらん
5.されども主よ われ祈らじ 旅路の終わりの 近かれとは
6.日も暮れなば 石の枕 仮寝の夢にも 御国 偲ばん」

メッセージ内容のダウンロード(PDF98KB)

新聖歌

開会祈祷後:275番、メッセージ後:507番

聖書交読

詩編105篇 1~11節

2022年教会行事

7月13日(水)オリーブ・いきいき百歳体操(10時~11時)

#54-2823

One comment to this article