王の顕現に備える

メッセージ

<テモテへの手紙第一 6章11~16節>
説教:杉 貴生 師(MB堺中央キリスト教会牧師・福音聖書神学校長)

開会聖句

しかし、神の人よ。あなたはこれらのことを避け、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求めなさい。

<テモテへの手紙第一 6章11節>

メッセージ内容

<序論>  
・神の国に入る目的とは何でしょうか。イエス様は神の国は今ここにあるとおっしゃいました。神の国とは神のご支配のことであり、主を信じる者たちはすでにそのご支配の中にいます。私たちは何を求めてそこに入ろうとしたのでしょうか。私たちの人生は一体何を追い求めているのでしょうか。

<本論>
1.神の人が追い求めるべきもの

前の箇所には金銭を追い求めることの危険性が教えられていました。お金や富は霊的な力を有していて、神様に成り代わり、私たちを奴隷のように支配します。クリスチャンとは主を信じ、主を愛し、主に生涯をささげ、主とともに歩む人のことです。ですから神の人とはクリスチャンを指しています。神の人は何を追い求めるべきでしょうか。ここでは、金銭を愛する生活を避け、義、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさいと勧められています。私たちが求めるものが私たちの人格を形作ります。ですから本来の目標を見失わないようにしなければなりません。これは信仰の戦いです。私たちを主の道から引き離そうとする、悪の力との霊的な戦いです。
【設問】日々の生活を振り返る時、あなたが真に追い求めているものは何ですか。

2.永遠のいのち

使徒パウロは信仰の戦いを勇敢に戦って、永遠のいのちを獲得するように勧めています。永遠のいのちとは、イエス様を心で信じさえすれば自動的に与えられるものではありません。イエス様も「狭い門から入りなさい」とおっしゃいました。救いとは神様との人格関係を基本としています。神様がおられない人生に救いはありません。信仰の歩みは日々真剣勝負ですから、イエス様に日々従い続ける必要があります。もっとも仮に道から逸れたとしても悔い改めて主に立ち返ることはできます。しかしそれは自動的ではありません。「肉体は死によって滅ぶが魂は永遠に生き続ける」という霊肉二元論が教会でもしばしば教えられてきました。死後、魂は天国で永遠の安らぎを得るといいますが、それならばイエス様の復活は無意味なものとなります。ユダヤの民はからだが死んでも魂は生き続けるという考えを持っていませんでした。からだなしに魂は生きられません。永遠のいのちはからだがあってこそ意味があります。この地上において神様のいのちに生きるならば、やがて新しいいのちとからだによみがえる希望を確かなものとすることができるのです。
【設問】永遠のいのちをどのように理解していますか。

3.王の顕現
神様がご自身を現されることを「顕現」と言いますが、その最たるものがイエス様の誕生であり、ご生涯です。そして主は再び現れてくださいます(再臨)。私たちは主の御前に出るのですから、その日に備えなければなりません。主のご命令を守り、傷のない、非難されるところのない者であり続ける必要があります。この素晴らしい召しと約束を確信する時、私たちがどういうライフスタイルを探求すべきなのか自ずと明らかになります。私たちは王の王であるお方との会見の日に向かっています。その目当てを見失わず、追い求めるべきものを間違わないように、日々主の道を歩んでまいりましょう。
【設問】主とお会いする日を待ち望んでいますか。

<関連する聖書のみことば>
〔新約聖書 テモテへの手紙第一〕
6:11 しかし、神の人よ。あなたはこれらのことを避け、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求めなさい。
6:12 信仰の戦いを立派に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、多くの証人たちの前ですばらしい告白をしました。
6:13 私は、すべてのものにいのちを与えてくださる神の御前で、また、ポンティオ・ピラトに対してすばらしい告白をもって証しをされたキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます。
6:14 私たちの主イエス・キリストの現れの時まで、あなたは汚れなく、非難されるところなく、命令を守りなさい。
6:15 キリストの現れを、定められた時にもたらしてくださる、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、
6:16 死ぬことがない唯一の方、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれ一人見たことがなく、見ることもできない方。この方に誉れと永遠の支配がありますように。アーメン。

〔新約聖書 コリント人への手紙第一〕
13:12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。

〔新約聖書 マタイの福音書〕
6:19 自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。
6:20 自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。
6:21 あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。

7:13 狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。
7:14 いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。

〔新約聖書 コロサイ人へ手紙〕
1:22 今は、神が御子の肉のからだにおいて、その死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。あなたがたを聖なる者、傷のない者、責められるところのない者として御前に立たせるためです。

〔新約聖書 ペテロの手紙第二〕
3:14 ですから、愛する者たち。これらのことを待ち望んでいるのなら、しみも傷もない者として平安のうちに神に見出していただけるように努力しなさい。

〔新約聖書 ヨハネの手紙第一〕
2:28 さあ、子どもたち、キリストのうちにとどまりなさい。そうすれば、キリストが現れるとき、私たちは確信を持つことができ、来臨のときに御前で恥じることはありません。

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新聖歌

開会祈祷後:343番、メッセージ後:382番

聖書交読

詩編 70篇1~5節

2018年教会行事

10月31日(水)オリーブ・いきいき百歳体操

#50-2630

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